防壁の死角
床板が一際大きく揺らぎ、壁を走る排熱管から高圧の蒸気が噴出した。僕の視界を、噴き出した熱気が白く塗りつぶす。
「ハンスさん、手動の遮断弁は?」
「駄目だ。 雨が弁の駆動系に固着してる」
「…っ」
僕はレイナの方に振り向いた。
「レイナさん、あなたは炉心契約者でしたよね?」
「ええ、3…いえ2炉心契約よ」
「では、お願いがあります。その出力で配管内部に重結晶壁を固定して、排熱を物理的に遮断してください」
基本的に、心臓炉契約者の出力は、その炉心契約数に比例する。黒都の2炉心と契約しているレイナならば、出力としては申し分ない。
「イレブン、逆流してくるのは単なる熱じゃない、11区の『毒』を孕んだ高圧排熱だ。受けそこなえば丸焼けだぞ」
ハンスの言葉に僕は頷いた。
「分かってる。だから僕が心臓炉側で圧力を分散させる」
「俺も、2炉心契約者です」
セイルが窓から視線を剥がし、僕に向き直った。その右腕は落ち着いたとはいえ、まだ不規則に明滅している。
「セイル君はハンスさん達と外のパイプの破断を修復してほしい」
「…分かりました」
セイルが頷き、ハンスの後について部屋を出ていく。
「レイナさん、僕らは炉心室へ」
「分かったわ」
炉心室に入ると、すでにそこは熱気で満ちていた。天井近くを這うメインパイプの「T字分岐点」が、内部からの高圧排熱に耐えかね、赤熱して飴のように歪んでいる。接合部の隙間からは、白濁した蒸気が断続的に吹き出し、室温を殺人的な速度で引き上げていた。
「レイナさん、天井の接合部です。 壁との貫通部が熱で溶断しかけてる。そこを内側から重結晶で『裏打ち』してください。」
「了解 …っ、なんて熱さ…!」
レイナはコンソールの段差を蹴り上げ、熱風が渦巻く高所へと跳んだ。彼女がその白熱した鉄管に両手をかざすと、手のひらから溢れ出した銀の重結晶が、生き物のようにパイプの隙間へ滑り込んでいく。
『マスター。逆流圧は設計限界の120%を突破。グレイロック警備長の演算負荷が閾値に達します。第2、第4バイパスの強制開放シーケンスを推奨します』
網膜の奥で、ノアが冷徹なアラートと共に複雑な流体回路図を展開した。視界に浮かぶ無数の論理パスのうち、臨界点を示す赤色が急速に広がっていく。
「分かってる、今やる! …ノア、第2バイパスの安全弁を同調させろ。炉心出力を反転させて、逆流熱を予備タンクへ誘導する」
僕は右手の爪先をコンソールに突き立て、無理やりコマンドを割り込ませた。指先から伝わるのは、炉心が発する怒号のような振動。神経を灼くような情報の逆流に、奥歯が軋んだ。
「イレブン、圧力が…! 抑えきれないわ!」
頭上でレイナが悲鳴を上げた。パイプの内壁に張り付かせた銀の結晶が、数千度の熱に焼かれては崩れ、激しい火花となって彼女の周囲に降り注ぐ。
「逃がします。座標D-14、そこに重結晶を集中させて! 圧力を外側へ逃がす経路を確保します」
『マスター、炉心への過負荷が30%増加』
僕はコンソールのレバーを引き絞った。ドォン、と建物の底から突き上げるような衝撃が走り、レイナが抑えていたパイプの不整脈が、バイパスへの圧力流出に伴って一瞬だけ凪いだ。
「今だ、レイナさん、 最大出力で封鎖してください」
「…ッ!」
天井から激しく銀の火花が散った。レイナの銀の結晶がパイプの破断部を飲み込み、強引に「面」で塞ぎにかかる。
キィン、と耳を刺すような金属の悲鳴が室内に響き渡った。
レイナが抑えている箇所とは別の、僕のすぐ真横を通る垂直配管の溶接目が、逃げ場を失った圧力に耐えかねて爆ぜた。
『警告。近接配管からの二次破断』
「くそっ」
僕の右手の爪先から青い火花が散る。指先から、T字やL字の不揃いで鋭利な「不定形格子」が溢れ出した。それら欠損を補い合うように絡み合い、増殖し、破断した金属の傷口を無理やり綴じ合わせるように埋めていく。ガチリ、と音を立てて、青い格子が熱を吸収し、不定形の歪な塊となって配管を物理的に圧着した。
「はっ…」
天井から迸るように銀の火花が降った。モニターに示された回路図の赤色が急速に沈静化していく。
「…っ、…止まったわ」
天井から、レイナが肩で息をしながら飛び降りてきた。彼女の青灰の爪は、高負荷演算の名残でまだ微かに銀の火花を散らしている。
『マスター。炉心温度、安定域へ降下。メインパイプの封鎖成功を確認しました』
ノアの無機質な声が、鼓膜にこびりついていた高周波のノイズを塗りつぶす。
僕はコンソールに支えられながら、ようやく肩の力を抜いた。
庁舎の外、北壁。視界は「白い雨」によって数メートル先すら定かではない。
ハンスは配管の亀裂に左手を当て、逆流する蒸気に耐えながら指示した。
「ニコ、予備のパッチを持ってこい。セイル、イレブンたちが内側から押し返してる」
白い雨が激しく降る。透明な遮断膜で身を守っていてもなお、雨はじりじりと皮膚を焼く。
「今なら構造を固定できる。コーティングを頼む」
「はい」
ハンスの言葉に、セイルは短く応じると、右手から暗銀の火花を散らした。手首から覗く銀の結晶が、11区の濁った大気に触れて激しく明滅する。 彼はその掌を、熱で赤く膨張した配管の亀裂へと押し当てた。
ジュッ、と肉の焼けるような音と、結晶が熱を吸い込む高周波のノイズが重なる。
セイルの指先から極小の暗銀の重結晶が次々と生み出される。それは寄り集まり、薄い膜となって配管をコーティングしていく。飴のように柔らかくなっていた配管が急速にその硬度を取り戻していく。
「よし、圧が安定した。 ニコ、今のうちにパッチを叩き込め」
ハンスの指示に、ニコが白い雨で結晶化し始めていた工具鞄を力任せに開けた。取り出した予備の重結晶パッチを、破損した箇所へと懸命に貼り付けていく。
激しい蒸気が視界を奪う中、セイルは右腕を配管に押し付けたまま動かなかった。地面には白い雨が固着し、パキパキと音を立てながら結晶が広がっている。それはセイルにとって、一つの記憶を思い起こさせた。
「先生…」
呟きは蒸気の音に紛れた。庁舎内からは、レイナとイレブンが必死で押し返している熱波が伝わってくる。
「セイル、もういい。 手を離せ、あとは俺が溶接する」
ハンスが雨と蒸気の音を振り切るように叫んだ。配管から噴き上がる蒸気はごく細いものに変わっていた。
ハンスが腰に提げた通信機がノイズ混じりに鳴った。
『聞こえる!? 西壁、地下との接続部に極小の亀裂が発生した。こっちからじゃ圧力が逃がしきれない。…すぐそこなんだ、お願い、誰か一時的に押さえてきて!』
「分かった。おい、ニコ」
「俺が行きます」
セイルは熱を持った右腕をゆっくりと配管から引き剥がした。ハンスの手元で重結晶パッチを押さえるニコがセイルを見上げた。
「出力を考えると、俺が最適です」
セイルは足元の白い結晶を無意識のうちに踏み折りながら告げた。遮断膜を張り直し、周囲の視界を塗りつぶす白い霧の向こうを見据える。
「分かった。こっちはまだ手が離せねえ。 先に行ってろ。俺とニコも、ここを焼き付けたらすぐに追いかける」
ハンスはパッチの溶接を続けながら答えた。その手元からは青白い火花が激しく散っている。左の爪から淀みなくコードが編まれ、パッチを配管に手際よく焼き付けていく。
セイルは短く頷くと、白い雨が容赦なく降り注ぐ霧の中へと駆け出した。背後でハンスとニコが火花を散らして溶接を続ける音が、霧と雨音に呑み込まれて急速に遠ざかっていく。
遮断膜を透過して肌を焼く「白い雨」の痛みに耐えながら、セイルは西壁の角を曲がった。
そこには、指示された通り、配管の継ぎ目から糸のような熱蒸気が噴き出している場所があった。
「ここか…」
セイルは右腕を突き出し、その極小の亀裂を暗銀の結晶で覆おうとした。
その指先が金属に触れる直前。
背後の濃密な「白」が、音もなく不自然に揺らぎ、溶け出すようにローブ姿の人影が数体現れた。
それらは、降りしきる白い雨の一部が人の形を成したかのように、あまりにも滑らかに実体化した。雨のノイズに完全に同調し、音も、気配も、熱すらも持たない。
セイルが背後の異変を察し、振り返ろうとした瞬間。
「…っ」
首筋に、氷のように冷たい感触が走った。
影の一体が、至近距離からセイルの首に、「停止コード」を撃ち込んだのだ。
視界が急速に色を失い、爪先の暗銀の火花が一つ弾けて途絶えた。崩れ落ちるセイルの身体を、ローブの影が無機質な手つきで受け止める。
配管の亀裂から吹き出す蒸気の音が、誰もいなくなった西壁に響き続けていた。




