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二重波形の奔流

単なる廃霊を受肉したのなら、波形はもっと無機質で、不規則なエラーの羅列になるはずだ。だが、そこにあるのは、かつて確かに「誰か」であったことを証明する、強固な個人の情報の残骸だった。


「…警備長?」


僕の声に、レイナの指先が、コンソールの上で不自然な動きを見せる。



「…受肉した際に、廃霊が周囲の残留情報を過剰に巻き込んだのよ。廃都206号には霊子回路を通じてかつての市民の情報の残滓ジャンクが漂っていたわ。それが複雑に重なり合って、擬似的な個人波形を形成しているに過ぎない。そう報告されているはずよ」


レイナは視線をセイルの右腕に固定したまま、早口で言った。その声は、僕を説得しているというより、自分自身に言い聞かせているかのようだった。

彼女の青灰ブルーグレーの瞳が、僅かに泳ぐ。


『マスター。不自然です。警備長の血流速度が増加、発汗による皮膚抵抗値の変化を確認。…嘘をついています。警備長は、この波形の主を知っています。そして、恐れています』


ノアの冷徹な分析が脳内に響く。


「…そうですか。擬似的な“個人波形”、ね」


僕はそれ以上、深くは踏み込まなかった。

レイナの震える指先と、ポッドの中で苦しげに息を吐くセイルの姿を見ていると、この11区に持ち込まれた「ノイズ」の正体が、想像以上に重く、救いのないものであることだけは理解できた。


「イレブン。…いいから、早く作業を進めて。セイルを助けるのが先よ」


レイナは顔を伏せた。

僕はひび割れた灰白色の爪をコンソールに突き立てた。青い火花が指先から走り、老朽化した心臓炉の駆動術式とセイルの波形を強制的に繋ぎ止める。


「同期率、40%…。ノイズが、重すぎる」


僕の視界の端では、レイナの青灰の爪先が、制御盤の上で激しく震えていた。彼女の視線は、モニターに映し出された歪な二重波形に釘付けになっている。


『警告。対象―セイル・ヴァランシエルの右腕において、個体定義の二重波形の一方が深刻な干渉を起こしています。銀色の波形による「上書き」を阻止するためには、心臓炉の出力をさらに三段階引き上げる必要があります』


脳内を、ノアの冷徹な警告が埋め尽くす。

僕は、セイルの右腕を締め付けていた拘束布に指をかけた。布は既に銀色の火花によって内側から焼き切られ、炭化した繊維が重結晶の熱で白く変質している。指先に力を込めると、布は湿った音を立てることなく、薄い硝子細工のようにパキパキと音を立てて砕け散った。


セイルの肘から先は銀と暗銀の結晶が螺旋状にねじれ合い、血管を押し広げるような不規則な拍動を繰り返している。


僕の爪先が、セイルの変質した手首の皮膚をなぞる。接触面から鋭い演算熱が走り、指先に小さな火傷の痕を刻んだ。


『マスター、心臓炉のバルブを開放。出力、限界値の80%まで上昇させます。これより「静止コード」を直接投射。』


僕はコンソールのレバーを一段深く押し込んだ。

心臓炉の底から地響きのような重低音が鳴り響き、霊子流が、ポッドへと収束する。


僕の右手の爪が青い火花を散らし、空中に幾何学的なパッチコードを編み出す。その青い火花の塊を、セイルの右腕に宿る最も輝きの強い「銀色の核」へと叩き込んだ。


「――ッ!」


セイルの喉が、音もなく跳ねた。

右腕の結晶が、外部からの強制介入を拒絶するように鋭利に逆立つ。僕の指先を裂き、鮮血が銀色の面に滴る。


「出力、維持。…90%」


僕の視界が、情報の過負荷で白く明滅する。爪先の火花がバチリ、と音を立てた。



「…あの、これ。なんか、火花が散ってたんですけど…」


不意に、ニコが恐る恐るといった様子で、炉心室に顔を出した。その手には銀の火花を散らすネイルガンが握られている。


「見せてみろ」


ハンスがそれを受け取った瞬間、ポッドの内部で狂ったような放霊が起きた。セイルの右腕の結晶が鋭角に反り、拘束布の残骸を粉砕する。


「っ」


僕はひび割れた灰白色の爪を、剥き出しになったセイルの右腕、その銀の結晶の節々に突き立てた。 接触面から、僕の青い火花と銀の放霊が激突する。指先の皮膚が、情報の過負荷による摩擦熱で瞬時に炭化し、焦げた臭いが鼻腔を突く。


「ノア、出力を反転させてくれ。炉の『吸気』を利用して、余剰ノイズを炉心へパージする」


『了解』


僕の網膜に、青い走査線が猛烈な速度で走り抜ける。心臓炉が「吸気」の行程に転じ、溢れる銀のノイズを貪欲に吸い込み始めた。ポッドの中で、セイルの呼吸が少しずつ落ち着き始める。


「セイル、大丈夫?」


レイナがセイルの頬に手を当てる。その声にセイルがうっすらと瞼を開けて反応した。


「…ダリウス・ベックバルトか」


ハンスの呟きに、レイナの肩が跳ねた。


「あいつ、黒都で旧式のネイルガンなんざ使ってやがったのか」


ハンスが左手でネイルガンを持ったまま、そのグリップに刻まれた微細な傷痕を親指でなぞる。彼の爪先から青白い火花が散り、そこにある“何か”を読んでいる。


「…ハンス・レイグル。それ以上は」


「昔、任務で一緒になったことが何度かある。“後先考えて”突っ込むやつだった」


ハンスの指先が、ネイルガンのトリガーガードを無造作に撫でた。鉄錆の粒子が彼の硬い指の腹で削れ、わずかな金属音を立てて床に落ちる。


レイナの視線が、ハンスの持つネイルガンに縫い留められた。彼女の瞳孔は、天井の煤星灯の橙の光を反射して不規則に収縮している。


二人の間に言葉はない。ただ、ハンスの吐き出す屑煙草フィルター・バグの煙が、炉心室をよぎる。


「…それを」


レイナが唇を震わせ、掠れた声を絞り出した。彼女の右手が、ハンスの方へ伸びる。


「そのネイルガンを、貸して」


ハンスは答えず、ただ視線だけで彼女の指先の震えを射抜いた。わずかな静止。彼は鼻を鳴らして歩み寄り、ネイルガンのグリップをレイナの手のひらへと押し付けた。


その時、ポッドの中で横たわっていたセイルの喉が、機械的な律動で跳ねた。


「……個体定義を、弾丸に…重結晶化コンパイル


セイルの右腕の結晶が、レイナの持つネイルガンに呼応して、甲高い金属摩擦音を奏でる。銀色の波形が急速に収束し、セイルの右腕の銀の結晶が崩れるように形を変えていく。


『マスター、危険です。対象セイルの個体定義の一部が「射出物」へと自己置換を開始しました』


ノアの警告が脳を焼く。



「くそっ」



僕は、炭化しかけた右手の指先をセイルの右肩―肉と結晶が歪に混ざり合う境界線へと叩き込んだ。


「止まれッ」


接触面からノイズが逆流し、僕の神経系を焦がす。網膜の端で、ノアが提示する同期グラフが赤く点滅し、限界値を突破して消失した。


セイルの右腕の銀の結晶が脈動し、その皮膚を組み替えて変形する。セイルの右腕から突き出した鋭利な結晶が、僕の右手を掠めた。

傷口から噴き出す血は、空気に触れると同時に銀色の塵へと変質し、セイルの右腕から噴き出すノイズに飲み込まれていく。結晶は僕の介入を拒絶し、さらに鋭く、さらに硬く変質し、僕の右掌を抉った。


『…マスター。通常の術式では、このノイズを停止させることは困難です。単なる廃霊バグではなく、強固な個人の定義が残留しています』


ノアの左目、かつて煤蜂との戦いで変質した「琥珀の瞳」が拍動する。無機質なホログラムの中で、そこだけが熱を持ったように、ノアの光が密度を増した。


『このノイズの熱量を逃がすための「生体端子バイパス」、あるいはそれ以上の密度を持つ、別の「定義」が必要です』


網膜の奥でノアと僕の意思が交差する。

―ノアは僕から受け取った「肉体の死」を使おうとしている。


「…ぐッ!」


僕が必死に抑え込んでいるセイルの右腕から伸びた銀の結晶が右掌を貫いた。反射的に手を引き抜く。だが、痛みは来ない。


『マスター、痛覚受容体を一時遮断。神経信号を代替処理プロキシします』


ノアの冷徹な声。僕を襲うはずの右手の激痛は来ず、代わりに氷のような冷たさが腕を支配している。僕の意識は、肉体の損傷を「情報の摩耗」としてのみ認識していた。


『マスター』


「使う」


僕が手を離したことで、銀の結晶はさらに激しくノイズを散らし、セイルの右腕を塗りつぶすように広がっていく。


『マスターの左側の視神経、および同期する腕の末端組織は、一時的な「死」を共有することになります』


「いい。やってくれ」


『…了解。同期を開始します。同期率30%を維持』


左目の奥に、焼けるような熱が奔った。じわり、と何かが広がる。左目を起点とする熱は首を通り、肩、左腕へと広がって行く。僕の左の爪先から、熱を増した青い火花が散った。



「…っ」

視界の左半分から色彩が抜け、白黒の階調へとくつがえった。


「イレブン、あなた、その目…」


レイナが立ち竦むように言葉を切る。



揺れる視界の中、瞬きをすると、ポッドの金属部に映った自分自身と目が合った。

その左の瞳は、ノアと同じ、死を宿した琥珀色に染まっていた。


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