侵食する因果
「これは、枝葉に過ぎない」
カウスの淡々とした、平熱の断罪。彼の指先で爆ぜる漆黒の火花が、のたうつ白い肉芽を「情報の塊」へと分解していく。
「グレイロック監査官。網膜の情報をパージし、層を一つ下げなさい。かつて、この廃都200号から209号は個別の都市ではなかった。同規格の十の心臓炉とそれを繋ぐ霊子回路。十の心臓が揃って脈打つ、一つの巨大な生命体だったのですよ」
カウスが空間を指先でなぞる。
青白いホログラムが映し出したのは、かつてのこの地の姿―廃都200号から209号までが霊子回路を神経系として繋がり、巨大な循環器系として機能していた「連環中規模都市群」の全容だ。
カウスが指先を払うと、青白いホログラムが明滅しながら過去の地図を編み出す。十の光点が、血管のような光の帯で繋がっていく。
「100年も前の話です。当時の私は、心臓炉とその都市の市民全体を一つの生体OSとして統合する試作を走らせていた…しかし結果として」
カウスの指先に従って、十の点のうち、二つが光を失った。
「…っ、あなたは…203号、204号を…」
レイナの声が、喉の奥で凍りつく。
かつて黒都が「不可解な出力不全による放棄」として処理した、二つの都市の消滅。その記録の裏側で、カウスが何を「部品」として扱い、何を「ノイズ」として焼き捨てたのか。その凄惨な実験の終端が、目の前にある。
「203号と204号は消失してしまいましたが…どうやら、その『生き残り』が回路の底を這い、他の炉―200号系の炉から漏れ出す廃霊を啜って生き永らえていたらしい」
カウスは、脈動する白き肉芽―100年分の怨嗟を栄養に育った「胎児」を、無感情に黒い火花で焼きつぶした。
「…カウス、あなたは人間を実験台にした」
「『していた』―すでに私は『完成』を得ました」
レイナの指先、青灰の爪から鋭い銀の火花が散った。
「…ッ、何万人を殺してそんな言葉が吐けるの!? あなたは…!」
だが、カウスは眉一つ動かさない。彼は黒い手袋の指先で、狂ったように針が躍る計器の表面を軽くなぞった。レイナの指先から散る銀の火花が一層激しさを増す。
「カウス、私は逃がさない、あなたの罪を―」
「それよりも、今は目の前のことに対処したほうがいいでしょう」
カウスの声が落ちた刹那、地響きが廃都の静寂を暴力的に引き裂いた。
足元の鋼鉄の床が、悲鳴を上げて歪む。
「…っ!?」
「言ったでしょう? これは枝葉に過ぎないと」
炉の冷却配管を内側から食い破り、触手状の白い結晶が蠢きながら隆起し始めた。
白い結晶体は、すでに、繕っていた「規格通り」という皮を食い破っていた。それはただ、「復讐」という一つの目的のために動作する、剥き出しの純粋演算である。
「…………カ、……ウ……」
隆起した白い肉芽の隙間から、廃霊ガスと共に復讐者の歪んだ咆哮が漏れる。
炉の熱を吸い上げ、硬化した結晶の触手が天井を貫き、レイナの退路を白の檻となって塞いでいった。
「…っ、炉が、逆流してる…!?」
「いいえ。200号から209号までの全回路が、この206号という一点を目指して流れ込んでいるのですよ。100年分の『熱病』がね」
廃都206号の演習場を支配するのは、耳朶を圧するほどの「調律された静寂」だった。
数百人の学徒が爪先から散らす術式の火花は、淀みなく銀の幾何学陣を展開し、崩れたビル群から這い出る廃霊を重結晶化していく。
ミレーヌ・リートは黒のレースのハンカチを弄び、無機質な銀の火花が整列する学徒らの間を音もなく回る。学徒たちはリートの視線という検閲を受けながら、規格正しく立方八面体を生成していた。
「…素晴らしいわ、セイル君」
リートの歩みが最前列で止まる。
セイル・ヴァランシエルの掌の上には、一点の歪みもない「正八面体」が浮遊していた。それは周囲の学徒が生成する規格品とは一線を画す、黒都エレボスの特権的な輝き。不純物を一ビットも許容しない、冷徹なまでの演算結果だ。
「あなたの綴るコードには、一点のノイズも存在しない。これこそが、私たちが目指すべき『世界の清浄』よ」
リートの称賛に、セイルは紫の瞳を動かすことなく、ただ自身の暗銀の火花を網膜に映し続けていた。リートは満足げに頷き、小さな唇を綻ばせてセイルを見つめた。
「…?」
学徒らの後方、全員を視界に入れる位置。そこに佇むギルはかすかな違和感に目を細めた。前腕の鱗状爪が空気中の異変に反応してかすかに逆立つ。
「空気がおかしい。ギル」
隣のダリウスが声をかける。彼は爪から銀の火花を散らし、ホルスターのネイルガンを引き抜いた。
「…何かいる」
ギルがポツリと呟く。
学徒らの足元、舗装された床が、音もなく白濁した。触手状の白い結晶が、石畳の分子構造を突き崩しながら、肉芽のように隆起する。地面から槍のように生えた触手は飛散する破片さえも滞空中に白い塵へと相転移させた。
「総員、遮断壁!」
ダリウスの怒声が演習場に爆ぜる。
演習場の銀色が、「白」に塗りつぶされていく。
触手に迫られた学徒の爪先から、銀の火花が散った。展開された結晶壁を触手が食い破るが、砕け散った結晶がその勢いを削ぐ。その隙を逃さず銀の術式が触手を絡め、正八面体として重結晶化した。学徒の中でも冷静さを保った者たちは調律された銀の火花を散らし、その高度な演算能力を以て触手を処理していく。
だが、突然の事態にパニックを起こし、焦燥に駆られた学徒の爪先から綴られる術式は形を成さない。あるいは立ち尽くし、あるいは逃げ惑い、個々に触手に追い詰められていく。学徒の一人が瓦礫に足をとられ、無防備に石畳に転がった。
「―汚らわしい。」
リートの指先から放たれた銀の火花が転んだ学徒に迫る触手を撃ち抜いた。
彼女は黒のレースのハンカチで爪先を拭い、触手をきっと睨みつけた。彼女の指先、青灰の爪から放たれた銀の奔流が、学徒たちを包み込むように円環を描く。
「広域多層防御陣、展開」
彼女の声に応じ、空中に数百、数千の「正八面体」の結晶が隙間なく整列した。それは物理的な壁というより、空間そのものを黒都の規律で「固定」する銀の城塞だ。
「…っ!」
リートの眉が不快げに寄せられる。防壁の外側では、白い触手が激しく銀の結晶を叩き、情報の摩擦熱が彼女の神経を直接焼いていた。だが彼女は一歩も退かない。学徒たちの脆弱な「正解」を守るため、その演算能力のすべてを防御へと転向させていた。
セイル・ヴァランシエルは銀の城塞を一瞥すると、一歩、白濁した地面へと踏み出した。
彼の紫の瞳に、演習場を埋め尽くす触手の軌道が、冷徹な数式として投影される。
「…掃討します。―『事象再定義』」
セイルの蒼の爪が、空中に鋭いコードを刻んだ。
「局所的重力定数、値を上方修正。―『圧』」
セイルの視線の先にある空間の「重さ」が、物理法則を無視して変質した。
鎌首をもたげ、学徒たちへ突き刺さろうとしていた複数の白い触手が、見えない巨大なプレス機に叩きつけられたかのように、一斉に石畳へと「圧着」される。
「ギ、ギギ……ッ」
白い肉芽が自身の重みに耐えかね、構造を維持できずにひび割れ、塵となって崩落していく。
「…ッ…先、生…」
白い触手に足を貫かれ、銀の防壁の外に取り残された学徒が恐怖に顔を強張らせながらダリウスを見る。地に伏せたその学徒に、別の触手が背後から迫った。
「動くな」
ダリウスがネイルガンを引き抜く。射出された黒い鉤爪が学徒の背後から迫る触手の根元を撃ち抜き、「停止」コードにより即座に沈黙させる。一拍で距離を詰めたダリウスの拳が重結晶を纏った。重い打撃が学徒の足を貫く触手に叩き込まれ、外皮の白い結晶が塵のように剥離する。剥がれた外皮の間隙に爪を立てたダリウスがコードを打ち込む。学徒の足を貫いていた触手が重結晶化され、立方六面体としてダリウスの掌に収まった。
「立て」
傷の深さを確認すると、ダリウスは負傷した学徒の襟首を掴んで立ち上がらせた。展開した銀の結晶壁で降り注ぐ白い塵を弾きながら、その体をリートの展開する安全圏内へと突き飛ばす。
「ギル、学徒の保護を!」
ダリウスの声に、触手を引き裂きながらギルが頷く。逃げ遅れた学徒らに迫る触手を片手で払うと、2人を軽々と抱え上げ彼らをリートの防御陣の中に放り込む。
「セイル!お前も防御陣に入ってろ!」
ダリウスは、なお防御陣の外で触手を圧殺するセイルに叫んだ。
「いいえ。防御陣の中では力場が干渉し合う危険性があります。」
セイルが淡々と返す。その蒼い爪は演算熱で摩耗し始めていたが、彼は冷徹に「正解」を綴り続ける。
「…演算負荷、許容範囲内です」
「セイル!」
ダリウスの警告が空気を震わせた瞬間、地面が悶えるように揺れた。
セイルが「圧」として空間に固定した仮想質量は、白い触手を圧殺するだけに留まらなかった。触手の侵食によって内側から分子構造を食い荒らされていた演習場の石畳―旧都市回路の残骸が走る脆弱な「蓋」に対し、その「正解」は致命的な質量となった。
石畳が爆ぜる。
セイルの足元、圧縮された白い触手が石畳もろとも地下数メートルまで一気に沈み込んだ。粉砕された瓦礫が、重力操作の力線に沿って螺旋を描きながら奈落へと吸い込まれていく。
「…ッ、リート! 足場を!」
ダリウスが地を蹴り、セイルに向かって手を伸ばす。額に汗を浮かべたリートの爪先から銀の火花が散った。彼女の足元に幾何学陣が展開され、崩れる石畳を綴じ合わせるように結晶で埋めていく。
「セイル!」
ダリウスの声にセイルが振り返る。暗銀の火花を散らす爪先がダリウスに向けられた。
バチッ、と肉の焼ける音。ダリウスに迫っていた触手が撃ち抜かれる。
「銃火」
セイルが呟く。その足元では、地面が巨大な傷口のように口を開けていた。廃霊の奔流が、地下の闇から蒸気となって噴き上がる。
「先生、引き返してください。」
巻き上がる廃霊に焼かれながらセイルが後方を指さした。
「…救助は非効率的です」
「黙ってろ」
ダリウスは亀裂を飛び越え、手を伸ばす。その指先が、セイルの手首を掴んだ。
だが、その瞬間、殴りつけるような廃霊の奔流が地面から噴出した。リートが必死に編み繋ごうとした銀の幾何学陣がガラス細工のように爆ぜて霧散する。ダリウスとセイルの足元が巨大な円盤状に剥離し、奈落へと傾ぎ落ちる。
「リート、学徒を連れて離脱しろ!」
ダリウスの叫びは、地下から噴き上がる廃霊の咆哮に掻き消された。石畳に爪を立てたダリウスが崩れる地面にコードを叩き込む。だが、その結晶すら瓦礫の一部となって亀裂へと飲み込まれた。
「くっ」
ダリウスは落下する瓦礫を蹴り、その反動でセイルの体を自身の胸元へと引き寄せた。
「…理解できない」
セイルがポツリと零した。
上方では、リートの展開する銀の城塞が土煙の中で遠ざかっていく。
地下深く、100年分の怨嗟を溜め込んだ廃霊の霧が、口を開けて二人を迎え入れた。




