エピソード27:残されたもの
廊下の扉は、七つあった。
三番以外の部屋も、順番に開けていく。
一番の部屋は空だった。
机も棚も何もなく、壁だけが四方を囲んでいる。
だが床の中央に、魔法陣の跡が残っていた。
焼けたように黒く変色した石が、円を描いている。
「使い終わったあとか、あるいは——」
ユズは跡の縁をしゃがんで観察した。
「最初から、何かを置く場所だったのかもしれません」
シオンは無言で頷いた。
二番の部屋も、ほぼ空だった。
棚の枠だけが残っており、そこに何かを並べていた痕跡がある。
等間隔についた擦り傷。
瓶か箱か、均一な大きさのものが置かれていたようだ。
「持ち出した、ということですね」
「そうだな」
計画的に撤収した痕跡だった。
急いで逃げた様子はない。
必要なものだけを選んで、丁寧に運び出している。
四番の部屋を開けた時、ユズは思わず息を止めた。
壁一面に、文字が書かれていた。
紙ではない。
壁の石に直接、細かい文字が刻まれている。
天井近くから床近くまで、びっしりと。
「……すごい量だ」
シオンが低く言った。
ユズは壁に近づき、顔を寄せた。
文字は読めた。
現代語だ。
だが内容が、すぐには理解できない。
数式のような記号が混じっている。
魔法式の記述か、あるいは別の体系か。
「魔物の記録……?」
いくつか読み取れる単語がある。
「個体」「反応値」「第三段階」「崩壊」。
「師匠、これは」
「記録だ。実験の」
シオンは壁全体を見渡した。
「一から刻んでいる。長い時間をかけて。」
ユズは改めて壁を見た。
天井まで届く文字の量。
これを一人で刻んだとしたら、どれだけの時間がかかるか。
「この人は、ここで何年も過ごしたんですね」
答えは返ってこなかった。
だがシオンの目が、少し細くなった。
ユズは部屋の隅まで視線を動かした。
床の端に、小さなものが落ちている。
しゃがんで拾い上げる。
石を削るための、小さな鑿だった。
刃先が摩耗している。
長く使い込まれた道具の、重さがある。
「……落としていったんですね」
それだけ言って、ユズは鑿を床に戻した。
五番は施錠されていた。
シオンが鍵穴を確認し、腰の道具袋から細い金具を取り出した。
少し手を動かすと、重い音がして錠が外れた。
「開きました」
「島では開け方を覚える時間が十分あった」
特に自慢するでもなく、シオンは言った。
中に入る。
部屋の奥に、大きな石の台座があった。
六階層で見たものと、同じ形だ。
だがここの台座には、何も置かれていない。
表面に導管の跡だけが残っている。
「ここにも、コアがあったんですか」
「あったか、あるいは置くつもりで作ったか」
シオンは台座に触れた。
「魔力の残滓がある。何かが長い間ここにあった」
ユズは台座の周囲を一周した。
台座の裏側に、文字が刻まれている。
小さく、目立たない場所に。
「師匠、ここに」
シオンが回り込んで見る。
「『移送済み』」
ユズが読み上げた。
二人は少しの間、その文字を見ていた。
「どこに移したんでしょう」
「この先だろう」
シオンは立ち上がった。
六番と七番は、また空だった。
だが床や壁に、使われた痕跡がある。
六番には血のような染みが残っており、ユズは少し足を止めた。
広くはない範囲だ。
壁の低い位置に飛沫の跡があり、床に向かって筋を引いている。
魔物の血か、あるいは別のものか。
判断はできなかった。
「触るな」
シオンが短く言った。
ユズは手を引いた。
何があったのかは、わからない。
だがこの部屋で、何かが終わったことは確かだった。
七番は、他の部屋より少し広かった。
中央に作業台のような石の台が残っており、表面に細かい傷が無数についている。
刃物で何度も作業をした跡だ。
台の端に、乾いた黒い粉が少量残っていた。
シオンがそれを指先で軽く触れ、匂いを確かめた。
「薬草を加工した跡だな。魔法薬か、触媒か」
「どちらにしても、研究に使うものですよね」
「そうだ」
全ての部屋を確認し終えて、二人は廊下の端に立った。
廊下はここで行き止まりではなかった。
さらに奥に、下へと続く階段がある。
「十三階層は、この区画の中なんですね」
「そういうことになる」
ユズは階段の入口を見た。
下から、空気が上がってくる。
冷たく、少し湿った空気だ。
かすかに、何かの匂いが混じっている。
薬品のような、鉄のような。
「今日は、ここまでにするか」
シオンが言った。
ユズは少し意外に思った。
まだ進める、と思っていたからだ。
だが次の瞬間、自分の肩が少し張っていることに気づいた。
廊下を歩きながら、ずっと気を張り続けていた。
「……そうですね」
素直に答えた。
「無理に今日押し込む必要はない」
シオンは階段に背を向けた。
「見たものを、整理する時間も要る」
ユズは荷袋の重さを確かめた。
書物と瓶が入っている。
それから今日見た部屋の記憶が、頭の中にある。
魔法陣の跡。
空になった棚。
壁一面の文字。
摩耗した鑿。
空の台座と「移送済み」の文字。
「整理、します」
ユズは静かに言った。
二人は来た道を戻り始めた。
廊下に足音が響く。
行きと同じ音のはずなのに、少し重く聞こえる気がした。




