エピソード24:十一階層の静寂
翌日、ユズは十一階層への扉の前に立った。
昨日の疲れは一晩でほぼ回復していた。
手首の痺れも、今朝起きた時にはなかった。
「師匠、昨日より体が軽いです」
「そうか」
「ボスを倒した後って、こんなに回復が早いんですか」
「興奮が残っているだけだ。油断するな」
「……はい」
シオンが扉を押した。
向こうは静かだった。
十階層の広間より広く、天井が高い。
だが、魔物の気配がない。
空気が違う。
九階層と比べて、魔力の密度がまた上がっている。
壁も、床も、天井も、全面に黒い導管の跡が走っていた。
ここまで来ると、このダンジョン全体が誰かによって改造されているのだとわかる。
「すごいですね。壁全面に導管が走っています」
「ここが、中心の一つかもしれない」
「魔力を集める場所ですか」
「あるいは、通過させる場所だ。深層に向けて」
ユズは壁に手を触れた。
振動がある。
昨日の六階層よりも、ずっと強い。
「いない、ですね、魔物が」
「いないのではなく……いないふりをしている」
「……どこかに潜んでいますか」
「床下か、柱の向こうか。どちらかだ」
ユズは足元を見た。
石の床。
継ぎ目が、均等ではない部分がある。
「床の石の継ぎ目が不自然なところがあります」
「見つけたか」
「あそこだと思います」
シオンが頷いた。
「踏むな。迂回しろ」
踏んだ瞬間に何かが発動する仕組みだろう。それほど精巧に作られている。
見落としていたら踏んでいた。背筋が少し寒くなった。
二人は不自然な石板を避けながら進んだ。
通路に入ると、気配がした。
壁の中だ。
「壁に穴がありますか」
「ある。小さい」
ユズは壁を見た。
石の継ぎ目の一つが、他より深い。
その奥に、何かがいる。
「何が来ますか」
「小さい。速い」
穴から何かが飛び出した。
小型の魔物だった。
体長は五十センチほど。
トカゲに似た体型だが、全身が黒い鱗に覆われ、目が深紅に光っている。
六本の脚を持ち、壁と天井を使って三次元に動く。
速い。
ユズは後退しながら双剣を構えた。
「どこを狙えばいいですか」
「首。小さいが、そこしかない」
小型の魔物が天井を走り、真上から落ちてくる。
ユズは左に跳んだ。
落ちた魔物が床を滑る。
ユズが追う。
速い。
これまでの大型と違う。
小さいから、逃げ場がない空間を縫うように動く。
ユズは身体強化を最大に高めた。
走る速度を上げる。
魔物の動きを目で追う。
壁を走り、床に戻り、また天井へ。
パターンがある。
壁→天井→床の順で動いている。
床に降りた瞬間、ユズは踏み込んだ。
右の短剣を、首の後ろへ。
深く入った。
魔物が一瞬止まり、倒れた。
「……倒せました」
「合っている。小型はパターンを読め」
ユズは息を整えた。
汗が出ている。
小型の方が、集中力を使う。
「大型より疲れますね」
「注意が散る分、消耗が多い」
「慣れますか」
「慣れる」
いつもの答えだった。
ユズはそれで十分だった。
通路を進むと、別の穴が壁に見えた。
今度は二つある。
「二体来ますか」
「そうだな」
ユズは構えた。
「どちらを先に」
「左だ。右は俺が引き受ける」
「わかりました」
壁の穴から、同時に二体が飛び出した。
ユズは左の一体だけを見た。
天井へ走る。
床へ降りる。
壁へ戻る。
同じパターンだ。
床に降りた瞬間、踏み込む。
首の後ろへ。
入った。
ユズが顔を上げると、右の一体はすでに倒れていた。
シオンが黒月を鞘に戻している。
「早いですね」
「そうでもない」
「……どうやって仕留めたんですか」
「見ていたか」
「見られませんでした。自分のに集中していたので」
「そうだな。それで正しい」
ユズは少し考えた。
任された一体を確実に仕留める。
それが、今の自分の正解だ。
「次、行きます」
「ああ」
ユズは踏み出した。
その後も、通路を進むたびに小型の魔物が出てきた。
三体目は一人で仕留めた。
四体目と五体目は同時に来たが、今度は二体目も自分で対処しようとした。
「無理するな」
シオンが言った。
「でも」
「できることをやれ。欲張るな」
ユズは素直に引いた。
シオンが二体目を断った。
シオンはユズの後ろを歩きながら、ほとんど手を出さなかった。
それは意図的なことだった。
ユズが自分で考え、自分で動く。
それを見ていた。
小型の魔物の動きを読む目が、確実に育っている。
シオンにはそれがわかった。
帰り道、ユズは今日のことを整理した。
小型の魔物のパターン。
一体に集中することの大切さ。
欲張ると崩れるということ。
三つ覚えた。
今日はそれで十分だ。
宿に戻ると、夕陽が窓から差し込んでいた。
「師匠、今日は何体倒しましたか」
「覚えていない」
「私は五体です。うち、二体は一人で」
「そうか」
「明日は三体一人で倒します」
シオンが少し間を置いた。
「やってみろ」
ユズは少し笑った。
双剣を手入れしながら、明日のことを思った。
小型の魔物。
パターンを読む。
一体ずつ確実に。
それだけでいい。
窓の外に、夜が来ていた。
今日も、一歩前に進んだ。
明日も、また一歩進む。
それだけで、十分だった。




