エピソード23:十階層への道
翌朝、ダンジョンの入口に立つと、空気が少し変わっていた。
昨日より、重さが薄い。
ガーネット師の修復が、じわじわと効いている。
「感じますか、師匠」
「ああ。少し落ち着き始めている」
「コアの修復が、ここまで届いているんですね」
「時間はかかる。だが、最悪の状況は抜けた」
ユズは頷き、入場した。
一階層から九階層まで、今日は速度を上げて進んだ。
途中の魔物は、ユズが一人で対処した。
二階層のリザードマン一匹。
四階層の異常個体トロール。
七階層のゴーレム二体。
全部、自分で仕留めた。
一体ずつ確実に。
その言葉が、今日は体の中にある。
シオンは後ろを歩きながら、何も言わなかった。
それが、いつもの許可だった。
九階層の迷宮に入ると、前回の記憶が戻ってきた。
分岐の数、柱の位置、気配の濃い通路。
前回の経験が、今日は地図になっていた。
「右に入ります」
「ああ」
迷わず進んだ。
前回の三体のリザードマンがいた通路も、今日は二体で済んだ。
ユズが一体を先に仕留め、シオンが一体を断った。
「数が減ってますね」
「コアが安定し始めた影響だろう」
「深くなるほど、強い個体が待っているんですよね」
「そうだ」
ユズは頷いた。
楽になるんじゃなくて、別の難しさが来る。
それが、ダンジョンだ。
前回『第二実験区画・転送路』の扉があった通路を抜けると、扉の前に出た。
シオンが手をかざす。
「罠は」
「ない。だが……気配が、ある」
「扉の向こうですか」
「ああ。一体。大きい」
ユズは双剣を引き抜いた。
身体強化を展開する。
足裏に魔力を満たす。
深く、一度だけ息を吸った。
「行きます」
「ああ」
扉を押した。
重い音を立てて、開く。
向こうは広い空間だった。
天井が高く、石の柱が四方に立っている。
正面に、それはいた。
体高は二メートルを超えている。
全身に黒い紋様が走り、両目が深紅に光っている。
だが、ゴーレムでもトロールでもリザードマンでもなかった。
人型だった。
甲冑のような黒い外皮に覆われ、右手に長剣を持っている。
長剣の刃にも、紋様が刻まれていた。
「剣士型か」
シオンが呟いた。
魔物が動いた。
速い。
これまでと、段違いだった。
踏み込みに重さがある。
一歩で距離を詰め、剣を振り下ろしてくる。
ユズは横へ跳んだ。
剣が床を叩き、石の破片が飛ぶ。
衝撃が足裏に届く。
「速い、ですね」
「まだ本気じゃない。様子を見ている」
「……そうですか」
ユズは距離を取った。
魔物も追ってこない。
こちらを見ている。
深紅の目が、動かない。
ユズは双剣を正眼に構えた。
風魔法を足元に集める。
踏み込む。
速く。
最初から全力で。
魔物が剣を横薙ぎに振ってきた。
ユズは潜り込んだ。
剣が頭上を通る。
胴の側面。
右の短剣を打ち込む。
弾かれた。
甲冑の硬さが、刃を受け止めた。
「くっ」
手首が痺れる。
距離を取る。
「継ぎ目を狙え」
シオンの声。
ユズは呼吸を整えた。
甲冑の外皮に継ぎ目がある。
脇の下、膝の裏、首と胴の境目。
「わかりました」
もう一度踏み込む。
今度は低く。
魔物が右から剣を振ってくる。
ユズはその軌道の下を、体を傾けて滑り込んだ。
魔物の左脇の下。
風魔法を纏わせた左の短剣を叩き込む。
刃が食い込んだ。
甲冑の継ぎ目に、深く。
魔物が吼えた。
右腕が振り回される。
ユズは跳び退いた。
距離を取る。
呼吸が荒い。
でも、入った。
「よくやった」
シオンが短く言った。
「まだです」
魔物は健在だ。
片脇を押さえながら、向き直る。
深紅の目が、さっきより赤く見えた。
ここから本番だ。
膝が少し震えている。
恐怖ではない。
魔力の消費と、打撃の衝撃が積み重なっている。
「まだ動けますか」
シオンの声が来た。
「動けます」
「無理なら言え」
「……言います。でも今はまだ」
ユズは風魔法を両剣に展開し直した。
魔力が、まだある。
体も、まだ動く。
魔物が剣を大きく振り上げた。
これまでより、大きい予備動作だ。
強い一撃が来る。
でも、予備動作が大きいということは、隙も大きい。
「今だ」
シオンの声と、ユズの踏み込みが同時だった。
魔物の振り上げた右腕の下、首の左側面。
右と左の短剣を、連続で打ち込む。
深く、入った。
魔物が揺れた。
膝をつく。
「退け」
ユズが跳び下がると、シオンが前に出た。
重力魔法が広がる。
巨体が、急激に重くなる。
黒月が一閃した。
静寂。
魔物が倒れた。
深紅の光が消える。
広間に静けさが戻った。
ユズは呼吸を整えながら、倒れた魔物を見た。
紋様はもう光っていない。
「……倒した」
「ああ」
ユズは両手を見た。
震えている。
でも、倒した。
「師匠」
「なんだ」
「私、自分で脇の継ぎ目を見つけました」
「ああ」
「次は、もっと早く見つけられます」
シオンが少し間を置いた。
「そうだな」
ユズは深く息を吐いた。
これが、十階層のボスだった。
十一階層の扉が、広間の奥に見えた。
まだ続く。
でも今日は、ここまでだ。
一つ越えた。
それで、十分だった。
二人は広間を出て、帰路についた。
足取りは重かったが、体の中に温かいものがあった。




