エピソード19:九階層の気配
エピソード20:九階層の気配
九階層への扉は、八階層の突き当たりにあった。
シオンが先を歩き、ユズが続く。
通路が長い。
壁の導管が、ここでも走っている。
だが、様子が少し違う。
八階層の導管は細く、慎重に刻まれていた。
この先の導管は、太い。
荒々しく、急いで掘られたような跡がある。
「師匠、導管の太さが変わりましたね」
「そうだな」
「急いでいた、ということですか」
「あるいは、ここから先は精度より量が必要だったか」
ユズはその言葉を飲み込んだ。
量が必要。
何のために、どれだけの魔力を流しているのか。
考えながら歩いていると、突き当たりに扉が見えた。
八階層の扉より、一回り大きい。
重厚な石造りで、表面に導管と同じ溝が刻まれている。
シオンが手をかざした。
「罠は、ない」
「気配は」
「……ある。複数だ」
ユズは双剣を引き抜いた。
身体強化を展開する。
足裏に魔力を集める。
シオンが扉を押した。
重い音を立てて、開く。
九階層は、広かった。
天井が高く、左右に柱が並んでいる。
七階層に似た構造だが、規模が違う。
柱の数が多い。
通路が複数に分岐している。
そこここに、魔力が淀んでいる。
触れれば、痺れそうなほどの濃さだ。
「迷宮になってますね」
「人工的に作った迷宮だ」
「誰かが入ってきた時に迷わせるためですか」
「そうだろうな」
シオンが分岐の一つを見た。
どの通路も、暗くて先が見えない。
魔力の流れが、右の通路から強く来ている。
「右ですか」
「そうだな」
二人は右の通路へ入った。
柱と柱の間が、七階層よりも狭い。
身を隠せる暗がりが多い。
これは、守る側に有利な構造だ。
逃げやすく、待ち伏せしやすい。
「罠というより、戦場ですね」
「そうだ。誰かが戦いを想定して作った」
「守るためですか。それとも戦わせるためですか」
「……両方、かもしれない」
ユズはその答えを頭に入れながら、足を進めた。
少し進むと、気配がした。
一つではない。
三つ、ある。
「囲まれますか」
「位置を把握しろ」
ユズは目を閉じた。
魔力の気配を辿る。
右前方に一つ。
左の柱の影に一つ。
背後から近づいてくる一つ。
「右前・左柱・背後です」
「合ってる。まず背後を断て」
ユズは振り返った。
通路の暗がりから、全身に黒い紋様を持つリザードマンが飛び出してきた。
昨日よりも速い。
だが、今日は最初から動いた。
後退しない。
横へ、最初から踏み出す。
爪が空を切る。
その勢いを利用して、側面に回り込む。
首の右側面。
右の短剣を打ち込む。
深く入った。
一撃で膝をつかせる。
左の短剣で仕留める。
「よし」
シオンが左の柱の影に向かっていた。
黒月が一閃する。
柱の向こうで、何かが倒れる音がした。
残るは右前方の一体だ。
ユズが向き直ると、リザードマンがすでに走り込んでいた。
距離が近い。
間に合わない——
「退け」
重力魔法が広がる。
リザードマンの動きが、急激に重くなった。
一瞬だけ、止まる。
その隙にユズは跳び下がった。
シオンが前に出る。
一閃。
三体目が倒れた。
静寂が戻る。
ユズは呼吸を整えた。
手の中で、双剣が熱を持っていた。
魔力を使いすぎた証拠だ。
でも、まだ動ける。
「背後の一体、前より速く仕留められました」
「そうだな」
「でも三体目は対応できませんでした」
「複数を同時に処理するのは、まだ早い」
「……はい」
「一体ずつ確実に。それが今の正解だ」
ユズは頷いた。
一体ずつ確実に。
それが今の現在地だ。
通路の奥に、また扉が見えた。
その手前の壁に、文字が刻まれていた。
現代語だ。
ユズが近づいて読む。
「……『第二実験区画・転送路』」
シオンが並んだ。
「転送路、か」
「魔力を送るための、専用の通路ですか」
「おそらく。そして第二区画がここにある」
「では第一は……」
「もっと深い」
ユズは扉を見た。
向こうに何があるか、まだわからない。
魔力の気配は扉の向こうから漏れている。
生きた何かの、気配だ。
「今日はここまでです」
ユズが言った。
「そうだな」
シオンが珍しく、ユズの判断を待っていた。
ユズが「ここまで」と言った。
それでいい、とシオンは思った。
押しすぎず、引きすぎず、今日の限界を自分で知っている。
それが、一番大事なことだ。
二人は引き返した。
宿に戻ると、夕暮れが街を染めていた。
ユズは双剣の手入れをしながら、今日の戦いを頭の中で繰り返した。
「師匠」
「なんだ」
「今日、背後の一体を一撃で仕留めました」
「ああ」
「……成長してますか、私」
少しだけ、間があった。
「している」
短い言葉だった。
でも、ユズには十分すぎるほどだった。
「月一の報告、そろそろですね」
「明後日だ」
「今日の発見も、持っていきますか」
「ゴーレムの欠片と、区画の記録を整理する」
「手伝います」
シオンが少し間を置いた。
「頼む」
ユズは驚かなかった。
でも、少しだけ嬉しかった。
師匠に頼まれた。
その言葉が、胸の中で小さく温かかった。
双剣を磨く手が、また動き出した。
明日も、ダンジョンに入る。
ユズは剣を鞘に納め、目を閉じた。
そして鞘の中で、静かに眠る。




