エピソード 18 : 第三実験区画
八階層への通路は、七階層とは明らかに違った。
天井が低く、壁が狭い。
二人並んでは歩けないほどだ。
シオンが先を歩き、ユズがその後ろに続く。
足音が壁に反射して、妙に大きく聞こえる。
湿った空気が、口の中に入ってくる。
石と水が混ざったような、重い匂いだ。
「ここから雰囲気が変わりますね」
「深くなるほど変わる」
シオンは前を向いたまま答えた。
魔力の流れも変わった。
七階層までは、深層から上へ向かう流れとして感じていた。
ここでは、それが乱れている。
方向が定まらず、通路の壁にぶつかって揺れ戻るような感覚だ。
「師匠、魔力の流れが変ですね」
「ああ。何かが干渉している」
「誰かが意図的に魔力の経路を変えている。自然じゃない」
ユズは壁に触れた。
冷たい、湿った石の感触。
指先に、かすかな振動がある。
「壁の中を何かが通っています」
「魔力の導管だ。岩の中に刻んである」
シオンが壁の一点を指した。
よく見ると、石の継ぎ目に沿って細い線が走っている。
人工的に掘られた溝だ。
「これも、同じ者の仕事ですか」
「おそらく」
通路を進むと、少し広くなった場所に出た。
左右に部屋のような空間がある。
かつて何かが置かれていたと思われる台座が、いくつか並んでいる。
すべて空だ。
「何かを運び出した跡ですね」
ユズが呟く。
「最近じゃない。埃が積もっている」
シオンが台座の一つを調べた。
指で表面を撫でると、灰色の埃が舞い上がった。
「ここで何かを製造していた。あるいは保管していた」
台座の表面に、焼け焦げたような跡が残っている。
そこだけ、石の色が変わっている。
「魔法陣の跡ですか」
「そうだな。かなり強い魔力が通った跡だ」
「ゴーレムを作っていたんでしょうか」
シオンが少し考えた。
「可能性はある」
ゴーレムに刻まれていた紋様。
壁の中を走る導管。
台座に残る焦げた跡。
点が、少しずつ線になりかけている。
調べていた時、通路の奥から音が響いた。
石を引きずるような、低く重い音だ。
「来る」
シオンが静かに言う。
ユズは剣を引き抜いた。
現れたのは、ゴーレムではなかった。
全身に黒い紋様を持つ、リザードマンだった。
目が深紅に光っている。
七階層のゴーレムよりも速い。
間合いを詰めてくる速度が、明らかに違った。
瞬きをする間もなく、目の前にいる。
「動きを見ろ」
シオンの声。
ユズは後退しながら観察した。
足の使い方が、四階層で戦ったリザードマンとは違う。
重心が低い。
体全体で踏み込んでくる。
リザードマンが爪を振り上げた。
右から左への薙ぎ払い。
ユズは下に潜り込んだ。
爪が頭の上を通り過ぎる。
体勢が崩れた一瞬、リザードマンの左側が空いた。
「重心が低い分、横への反応が遅いはずです」
呟きながら、横へ踏み出した。
斜め後方から、右の短剣を首の側面へ。
刃が入った。
手応えがある。
リザードマンが体を捻って反撃しようとする。
その前に、左の短剣で同じ場所を打つ。
深く、入った。
二発目で、動きが止まった。
膝をつき、倒れる。
ユズは呼吸を整えた。
思ったより速かった。
リザードマンの速さは、ゴーレムとは別の種類の危険だった。
「どうだ」
「首の側面は正解でした。でも、最初から横に回ればよかったです。観察する前に後退したのが遅れになりました」
「そうだな。次は最初から動け」
「はい」
短い指摘だった。
でも、それで十分だった。
部屋の奥の壁に、文字が書かれていた。
現代語だ。
「ここにも何か書いてあります」
シオンが並んだ。
「……『第三実験区画』」
「第三、ということは、第一と第二も……」
「どこかにある」
ユズはその文字をもう一度見た。
整然とした、慎重な筆跡だ。
六階層の「実験は続く」と、同じ雰囲気の文字だった。
「師匠、やはり同じ人物ですよね」
「ほぼ間違いない。導管の彫りの深さを見れば、数年では足りない。長い時間、ここを使っていた」
ユズは壁の導管の跡を見た。
誰にも見つからないように、時間をかけて。
「今日はここまでだ」
シオンが言った。
「情報が増えた。持ち帰って整理する」
二人は引き返した。
宿に戻ってから、ユズはしばらく眠れなかった。
頭の中で、今日見たものが繰り返し浮かぶ。
台座の焦げた跡。
壁に刻まれた区画の名前。
リザードマンの深紅の目。
眠れないなら、整理しようと思った。
起き上がり、頭の中に今日の地図を描く。
八階層は通路が狭く、人工的な導管が走っている。
台座のある部屋は「第三実験区画」。
つまり少なくとも三つの実験区画がこのダンジョンにある。
「……第一と第二は、もっと深いところか、別の場所か」
呟いた声は、部屋に吸い込まれた。
わからないことが、また増えた。
でも、それは前に進んでいる証拠だとも思った。
知らなかったことを、知らなかったと気づいた。
それは、何も知らなかった時よりも確実に、前だ。
隣の部屋に、シオンの気配がある。
静かで、均一で、揺れない。
その気配が少しだけ、ユズを落ち着かせた。
ユズは目を閉じた。
明日も、ダンジョンに入る。
答えに、少しずつ近づいている。




