エピソード 12 : 四階層の異変
翌朝。
ダンジョンの中に朝はない。
だが体が目覚める時間というものはある。
ユズは目を開けた。
石の天井。
揺れる炎。
一瞬、どこにいるか分からなかった。
「起きたか」
シオンの声。
振り返ると、壁に背を預けて座っている。
「……師匠、眠りましたか?」
「少し」
嘘だとユズは思った。
だが追及しなかった。
「食べろ」
干し肉とパンを差し出される。
「ありがとうございます」
食べながら、ユズは体の状態を確認する。
筋肉の疲労は残っている。
だが魔力は回復していた。
「四階層から変わると思え」
シオンは荷物をまとめながら言う。
「どう変わりますか?」
「三階層まではまだ浅層だ。四階層からは魔物の質が変わる」
「強くなる?」
「強くなる。そして……」
シオンは少し間を置いた。
「昨日感じた魔力の流れが、四階層以降で急に強くなっている」
ユズは真剣な顔になる。
「それって」
「何かの境目だ。四階層以降から、ダンジョムの異常が本格的に始まっている可能性がある」
ユズは頷いた。
「わかりました。気を引き締めます」
「ああ」
二人は立ち上がった。
───
四階層の扉を開けた瞬間。
ユズは足を止めた。
空気が違う。
重い。
三階層までの重さとは比べ物にならない。
魔力が満ちている。
壁から、床から、天井から。
「……濃いですね」
「そうだ」
シオンも扉の前で立ち止まる。
壁に手を触れる。
魔力の流れが、明らかに変わっていた。
乱れている。
三階層までは「流れる」感覚だったものが、四階層では「荒れている」感覚だ。
「魔力が乱流している」
シオンは小さく呟く。
「乱流?」
「流れが一定じゃない。ぶつかり合っている」
「それって、魔物にとっても影響がありますか?」
「ある」
シオンは扉から手を離す。
「常に魔力の刺激を受け続けている状態だ。魔物が興奮するのは当然だ」
「そして、それが長期間続いているとすれば……」
「魔物自体が変質している可能性がある」
ユズは息をのんだ。
「変質、というと」
「通常の魔物とは別の、異常個体になる」
その言葉が空気に落ちた。
ユズは双剣を握る。
「……来てますね」
「ああ」
通路の奥から、音がした。
重い。
だが複数ではない。
一つの、大きな気配だ。
それが、こちらに向かってくる。
ゆっくりと。
まるで急ぐ必要がないように。
やがて暗がりから姿が現れた。
オーガだった。
だが普通のオーガではなかった。
全身に黒い紋様が走っている。
目は赤く光っている。
だが一階層のゴブリンとは違う。
赤ではなく、深紅だ。
「師匠……あれ」
「異常個体だ」
シオンは静かに言う。
「お前には荷が重い。下がれ」
ユズは一瞬躊躇した。
「でも……」
「下がれ」
今度は有無を言わせない声だった。
ユズは後退する。
シオンが前に出た。
オーガが咆哮する。
石の壁が震えた。
ユズは壁際で、息をのんで見ていた。
シオンは右手を上げる。
小さく、静かな動作だった。
「重力」
その瞬間。
オーガの動きが鈍くなった。
膝が折れる。
巨体が地面に引きずり降ろされる。
オーガが唸る。
腕で床を叩く。
立ち上がろうとする。
だが立てない。
重力魔法が、オーガの全身に圧力をかけていた。
シオンは歩いて近づく。
黒月を抜く。
オーガが腕を振る。
シオンは躱さなかった。
腕の軌道を読む。
わずかに体を傾ける。
腕がすり抜ける。
そのまま踏み込む。
黒月が閃く。
一閃。
静寂。
オーガが崩れ落ちた。
黒い紋様が、じわりと消えていく。
ユズは声を失っていた。
重力魔法で動きを封じ、近づいて一閃。
無駄が一切なかった。
「……師匠」
シオンは刀を鞘に収める。
「次からは、黒い紋様が出ている魔物に無理に挑むな」
「はい」
「わかりました」
ユズは頷きながら、先ほどの戦いを頭の中で反芻した。
重力魔法で動きを止める。
あの発想は自分にはなかった。
魔法と剣の連携。
シオンの戦い方は、自分とまるで違う。
「師匠の魔法と剣、私も真似できますか?」
シオンは少し考えた。
「魔法の属性が違う。同じ形は無理だ」
「でも考え方は使える」
「考え方?」
「魔法で状況を作り、剣で仕留める」
「その順番は同じだ」
ユズは双剣を見た。
身体強化と、属性魔法。
組み合わせる方法は、まだある。
「……やってみます」
シオンは頷く。
「ああ。試せ」
二人は四階層の奥へ進んだ。
四階層はこれまでと構造が違った。
通路の幅が広い。
天井も高い。
だが至る所に黒い染みがある。
床に。壁に。
まるで何かが焼き付いたような跡だ。
「この染み……」
「魔力が凝固したものだ」
シオンは染みに指を近づける。
微かに、魔力の残滓が感じられる。
「かなり強い魔力が、ここを通過した」
「通過?」
「深層から上へ向かう流れの中で、特に強い魔力の塊が通ったんだろう」
ユズは染みを見つめる。
「これが最近のものだとしたら」
「そうだ」
シオンは立ち上がる。
「ダンジョムの異常は、急に始まったわけじゃない」
「時間をかけて、少しずつ深層から上がってきている」
「そして今、四階層まで影響が出るほどになった」
ユズは息を吐いた。
「つまり、まだ進行中ってことですね」
「おそらく」
「放置すれば、いずれ一階層でも異常個体が出る」
「そうなると……外にも?」
シオンは静かに頷いた。
「だから王が急いでいた」
ユズはその言葉の重さを感じた。
三組の冒険者が戻らなかった理由が、少しわかった気がした。
「急ぎましょう」
「焦るな」
シオンは短く言う。
「急いで判断を誤る方が危険だ。確かめながら進む」
「……はい」
ユズは深く息を吸った。
落ち着け。
慌てても何も変わらない。
師匠のやり方を見ていれば、それだけで十分だ。
「行きます」
シオンは頷いた。
二人は黒い染みの残る通路を、前へ進んだ。




