エピソード 11 : 野営
三階層を抜けたところで、シオンは立ち止まった。
「今日はここまでだ」
ユズは少し驚いた顔をする。
「まだ動けますよ」
「体力の問題じゃない」
シオンは周囲を見回す。
少し広めの空間だった。
壁際に岩の出っ張りがある。
背後を守れる。
「ダンジョン内で無理に進むな。疲弊した状態で深層に入るのは最悪だ」
「……なるほど」
「それに」
シオンは壁に手を触れる。
「三階層でも魔力の異常を確認した。進むほど密度が上がる。今日一日のデータは十分だ」
ユズは納得したように頷いた。
「わかりました」
「ここで野営しますか?」
「ああ」
シオンは荷物を下ろした。
ユズも倣う。
二人は壁際に座る。
シオンは荷物の中から小さな袋を取り出した。
乾燥させた木片と、火口だ。
だがそれを使う前に、手のひらに炎が灯る。
小さく、安定した炎。
それを石の窪みに移す。
即席の焚き火だ。
ユズは感心したように見ていた。
「魔法で火をつける方が早いですよね」
「当然だ」
シオンは袋を荷物に戻す。
「では木片は?」
「念のためだ。魔力が切れた時のために」
「五十年間、そうしてきた」
ユズは少し考えた。
「……師匠、本当に全部に備えてますね」
「備えは多い方がいい」
次に食料を出す。
干し肉と硬いパン。
水筒。
島にいた頃と比べれば、十分すぎるほどだった。
「……使えますね、そういう時にも」
「生活魔法だ。島では毎日使っていた」
ユズは少し笑う。
「五十年間、ずっと一人で野営してたんですね」
「そうだな」
シオンは淡々と答える。
「今は違うが」
何気ない一言だった。
だがユズには嬉しかった。
「私がいますからね」
シオンはそれには答えなかった。
ただ、わずかに目を細めた。
───
食事を済ませた後。
ユズは双剣を膝に置き、刃を確認していた。
「師匠」
「なんだ」
「三階層の魔物、急に動きが変わりましたよね」
三階層では、途中からリザードマンの行動が変わった。
単純に突進してくるだけでなく、連携するような動きを見せた。
二匹が同時に違う方向から来た。
「気づいたか」
「はい。最初と途中で、明らかに違いました」
シオンは炎を見ながら答える。
「魔力の影響だろう」
「異常活性化は、単純に凶暴になるだけじゃない」
「本能的な判断力が上がっている。群れとしての動きが出てくる」
ユズは少し考えた。
「それって、深層に行くほど……」
「そうだ。もっと複雑な動きをする」
「さらに知性が上がった魔物も出てくる可能性がある」
ユズは双剣を握り直した。
「……対策が必要ですね」
「ああ」
「お前はどうする」
ユズはしばらく黙って考えた。
「連携してくるなら、片方を先に崩す。もう片方が動く前に」
「動く前に、ですか」
「先手を取る、ということです」
シオンは小さく頷いた。
「悪くない。ただ」
「先手を取るには、相手の動き出しを読む必要がある」
「どうやって読む」
ユズはまた考える。
「目線、ですかね。どちらを向いているか」
「重心の移動も見ろ。次に踏み込む足に、体重が乗る」
「なるほど」
ユズは炎を見つめながら、頭の中でリザードマンの動きを反芻する。
「今日の戦闘を思い返すと……確かに、重心が動いてから爪が来てました」
「そうだ。お前はすでに感覚で気づいている」
「あとはそれを意識的に使えるようにすればいい」
ユズは顔を上げる。
「師匠って、どうやってそれを覚えたんですか」
「島で」
「島で?」
「相手に聞けないからな。負けたら死ぬ。だから必死に見た」
静かな言葉だった。
だがその重みは確かだった。
五十年間。
一人で、ひたすらに。
「……すごいですね」
「そうでもない」
シオンは炎の端が揺れるのを見る。
「ただ、時間があっただけだ」
「時間があっただけ、か」
ユズは小さく繰り返した。
五十年間。
それは途方もない時間だ。
ユズはまだ十五年しか生きていない。
その三倍以上を、シオンは一人で島にいた。
「……孤独じゃなかったですか」
少し間があった。
「そうだな」
シオンは短く答えた。
「孤独だった」
「だが、慣れた」
ユズはその言葉の重さを感じながら、黙っていた。
慣れた、という言葉が、なぜか胸に引っかかった。
ユズは少しの間、黙っていた。
やがて静かに言う。
「私も、強くなります」
「ああ」
「このダンジョンで」
シオンは答える代わりに、炎を少し大きくした。
暗いダンジョンの中で、小さな光が揺れている。
「師匠は眠らないんですか?」
「見張りをする」
「交代します」
「いい」
「でも」
「いい」
それ以上ユズは言わなかった。
毛布を肩に引き寄せる。
瞼が重くなる。
今日一日。
一階層から三階層。
数え切れないほどの魔物と戦った。
体は確かに疲れていた。
「……おやすみなさい、師匠」
「ああ」
ユズは目を閉じた。
その日の夜は静かだった。
魔物の気配はあった。
だが二人のいる場所には、何も来なかった。
シオンが密かに結界を張っていたからだ。
ユズはそれに気づかないまま、静かに眠り続けた。
シオンは炎を見つめながら、一人で夜を過ごした。
島での夜と同じように。
いや、少し違う。
隣に、誰かがいる。
それだけで、夜の重さが違った。
シオンはそのことに気づきながら、何も言わなかった。




