エピソード7:黒刀
一週間が過ぎた。
王都の朝は今日も賑やかだった。
石畳を歩きながら、ユズは少しそわそわしていた。
「師匠」
「なんだ」
「今日、刀できてますよね」
シオンは前を向いたまま答える。
「一週間と言っていたからな」
「楽しみですね!」
「……まあな」
わずかに口元が緩む。
シオンとて、気にならないわけではなかった。
あの黒鋼石がどんな刀になるのか。
グルンデルの腕がどこまでのものか。
五十年間、刀を探し続けた。
鍛冶屋を訪れるたびに、刀を手に取るたびに、どこかしっくりこないものがあった。
重すぎる。軽すぎる。刃の反りが合わない。
細かなことかもしれないが、長年体に染みついた感覚は正直だった。
今回は違う気がした。
やがて見慣れた外壁が見えてくる。
黒く煤けた武器屋。
扉を押すと、金属と油の匂いが漂う。
だが今日はそれだけではなかった。
熱の残り香。
鉄を打った後の独特の空気。
グルンデルが奥から現れた。
いつもより少し疲れた顔をしている。
目の下に隈がある。
だがその目は爛々と輝いていた。
「来たか」
「はい。できましたか?」
グルンデルは無言で頷く。
そのまま奥へ引っ込んだ。
ユズはわくわくしながら待つ。
シオンは静かに立っていた。
しばらくして。
グルンデルが戻ってきた。
その手に、布に包まれた細長いものを抱えている。
丁寧に、両手で。
カウンターの上に、静かに置いた。
「……見てみろ」
シオンは一歩前に出る。
布をゆっくりほどく。
現れたのは。
黒い刀だった。
鞘も黒。柄も黒。全身が黒に統一されている。
装飾は一切ない。ただ無骨に、黒い。
だがそれが逆に、ただならぬ存在感を放っていた。
シオンは鞘を手に取った。
ずしりとした重さ。
だが不思議と、重さが気にならない。
柄を握る。
吸い付くような感覚。
鞘から静かに抜いた。
刀身が現れる。
黒銀の刃。
鋼の中に黒い結晶が溶け込み、刃紋のように走っている。
光を受けると、深い輝きが浮かぶ。美しい、というより、静かだった。
シオンは刀を立てた。
重い。
普通の刀より、確かに重い。
だが。
「……悪くない」
思わず声が出た。
グルンデルは腕を組んで見ている。
「どうじゃ」
「非常に良いです」
「そうじゃろ」
グルンデルは少し得意そうな顔をした。
「黒鋼石は硬すぎて、普通の炉では溶けん」
「魔炉で三日かけて溶かした」
「刃をつけるのにさらに二日」
「柄と合わせるのに一日」
「……一週間、ほとんど寝ずにやったわい」
シオンは静かに頭を下げる。
「ありがとうございます」
グルンデルは豪快に笑う。
「礼はいらん。良い仕事ができた。それで十分じゃ」
シオンはもう一度、刀を構えてみる。
腰を落とす。
右足を引く。
刀を横に払う。
ひゅん。
重いはずの刃が、滑らかに空気を切った。
次いで縦に振り下ろす。
また払う。
突く。
「……」
五十年間。
木の枝で、石で、流木で。
ありとあらゆるものを刀の代わりにして修行した。
島で出会った魔物を、素手で、あるいは粗末な刃で倒し続けた。
だがこれは違う。
これは本物だ。
シオンは刀を鞘に収めた。
ユズがそっと声をかける。
「師匠、どうですか?」
「良い刀だ」
その一言に、ユズは嬉しそうに笑った。
「でしょう! すごく格好いいです!」
グルンデルがユズを見る。
「お嬢ちゃん、何か言いたそうじゃな」
ユズは少し考える顔をして、シオンを見た。
「師匠、この刀、名前をつけませんか?」
シオンは少し驚いた顔をする。
「……名前?」
「はい。こんなに格好いい刀なのに、無名は勿体ないです」
シオンは刀を見る。
黒い鞘。黒い刃。
名前か。
五十年間、道具に名前をつけることはなかった。
島にあったものはすべて、ただの道具だった。
誰かに見せるわけでもなく、誰かと話すわけでもなく。
ただ修行のために、生き延びるために使うだけだった。
「何かあるか」
ユズは少し考えた。
夜空のような黒。
静かで、深い。
月が出ていない夜の、濃い闇の色。
「……黒月、はどうですか」
「黒月」
「はい。黒くて、夜の月みたいに静かな感じがするので」
シオンは鞘を見つめた。
黒月。
「……そうだな」
「決まりですね! 黒月!」
ユズは嬉しそうに笑う。
グルンデルも満足そうに頷いた。
「黒月か。良い名じゃ」
「じゃあわしが彫っといてやろう。鞘の根元に入れてやる。少し待て」
グルンデルは刀を受け取り、奥へ消えた。
金属を削る小さな音が聞こえてくる。
しばらくして戻ってくる。
鞘の根元。
小さく、丁寧な文字で。
「黒月」
と刻まれていた。
シオンはそれを見て、静かに刀を受け取る。
「……ありがとうございます」
グルンデルは笑う。
「弟子が良い名をつけてくれたのぉ」
ユズは少し照れた顔をした。
シオンは黒月を腰に差した。
重さが馴染む。
まるで最初からここにあったかのように。
「さて」
ユズが顔を上げる。
「明日は王城だ」
「そうでした!」
ユズは背筋を伸ばす。
「緊張しますね……」
「普通にしていればいい」
「師匠は緊張しないんですか?」
「しない」
即答だった。
ユズは苦笑する。
「さすがです」
グルンデルが二人を見比べて笑う。
「王城か。しっかりやってこい」
「はい」
「ありがとうございました」
二人は武器屋を出た。
王都の陽光が降り注ぐ。
シオンは腰の黒月に、ふと手をやる。
黒月。
ユズがつけた名前。
五十年間の孤独の中で。
誰かに名前をつけてもらうことなど、考えたこともなかった。
「師匠」
「なんだ」
「明日、頑張りましょうね」
シオンは前を向いたまま答える。
「ああ」
王城への謁見は、明日だ。




