二十二話「帰る場所」
「オルド、私は村へ帰るよ」
オルドの目が、驚いたように見開かれる。しばらくの沈黙のあと、オルドが泣きそうな顔で笑って言った。
「そうかぁ。リセは、思いだせたんだね。ねぇリセ……覚えてる? 二年前のあの出来事。僕が、侵入者に襲撃されて……リセが、助けてくれたんだ」
「もちろん、覚えているよ」
「あの時、リセの目がすごく怖かったんだ。戦争から帰ってきた兵士の目と言うべきか……怒りや憎しみ、とにかく負の感情でいっぱいになってる目だった。そんな目にしてしまったのは、僕だったんだよね」
今度は、私が驚く番だった。オルドは、気づいていたのか。私が、人殺しの訓練をしていることに。それが全て、記憶を失って帰る場所もない私を助けてくれたオルドを守るためだったことに。
オルドが、ペンをクルクルと回しながら、寂しそうに笑う。
「ねぇリセ、君は幸せになるべきなんだよ。僕が妖の世界で助けてもらったから今度は僕がリセを助けた。でも、リセは幸せになっていない。僕の力じゃ……足りなかったんだ」
風がふいて、薄いカーテンが揺れる。オルドのサラサラの深い海みたいな青髪も揺れた。オルドが、私の目をまっすぐ見据えた。
ドキリとして、一歩後ずさる。オルドは、私の目を見つめたままだ。目をそらしたくてもそらせなくて、オルドと見つめ合う形になる。私を見つめるオルドの目に、あの日のような怯えの色はなかった。それが、私の心を安心させた。オルドはもう、私を人殺しとしては見ていないのだと、わかったから。
「村へお帰り、リセ。君の場所は村にある幸与様が祀られていた神座……あそこだ」
穏やかに微笑むオルドに、私も自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう、オルド。私は、村へ帰る。そして、またさちの信仰を集めようと思う。そしたらいつか……さちは、帰ってきてくれるかな?」
「帰ってくるよ。だって、幸与様だもの」
オルドの言葉に、ふふふ、と笑みがこぼれた。二人でしばらく笑い合って、私はまっすぐオルドの目を見つめた。
「今までお世話になりました。本当に、ありがとう」
「こちらこそ。あ、一つ……」
言い忘れたことが、とオルドの唇が動く。何だろう? 首をかしげてオルドの次の言葉を待つ。オルドは、十歳の私の頬に口づけを落としたあの時のような悪い笑みを浮かべて、言った。
嫌な予感がする。こう言う予感は大抵、当たるものだと決まっている。
「王子としての役目を果たしたら、僕も村へ行くよ」
……は、い? 私はポカーンと口を開けて固まる。何を言ってるんだ、この王子様は。しかし、オルドは本気のようでペラペラとこれからのことを話しだす。
「まずは村の復興かな。七年以上経って荒れ放題だろうから、人を入れて雑草やなんか刈って……それから、僕とリセの住む新居を立てないとね。ああ、安心してよ。そんなに派手にするつもりはないから。それと、リセとの結婚式はどこでやろうか? やっぱり村がいいよね。だとしたらっぱり今から村の復興に力を入れたほうが……」
「ちょい待ち。オルドさん? 何を言ってらっしゃるん――」
「言ったはずだよ? 十八になったら迎えに行くって。まぁ、リセが村に帰るわけだから僕がお婿さんになるから迎えに、とはいかなかったけどね」
そう言って、オルドが片目を瞑った。あの約束……今の今まですっかり忘れてたよ! て言うか逆にオルドはよく覚えてたな! 私はオルドの唇が頬に触れた感触を思いだして、顔が熱くなるのを感じた。
「楽しみだね? リセ」
そう言ってニッコリと笑うオルドを見て、やっぱりこいつは小悪魔系だと思った。
***
村人たちの間で、流行っている噂がある。とある村に祀られている神様にお参りに行くと、旅を無事終えることができてさらに幸せになれる、と。
その神様の名は「幸与神」と言い、幸せを与えると書いて幸与、と読むんだとか。
村で一番大きな家には一組の男女が住んでいる。女の名をリセと言い、男の名をオルドと言った。二人は仲睦まじく高台に建てられた神社の階段に座って、訪れる旅人や村を見守っている。リセは大層な美人で、旅人の男が声をかけようとするとオルドが無言の笑顔と言う名の殺気を振りまいてよくリセに叱られている。そんな二人は、村の名物だった。
リセは、よく子供を集めてこんな話をする。
とある昔、この村にまだ神様がいたころの話。そのころ村では十年に一度神様に供物を捧げる祭りを行っていてね、でも、ある年……捧げられた供物を、神様はあろうことか愛してしまったの。供物は神様の元で、幸せに暮らしたそうよ。
子供たちはこの話が大好きで、よくリセに話してとせがむ。村は、優しい笑いで包まれていた。




