十四話「接客二日目」
か、顔が痛い……。私は口をあーっと開けてみたり、にっと笑ってみたり鏡の前で百面相する。
時刻はただいま夜の六時。人間の世界で言うところの朝の六時にあたる。日はまだのぼっていない。何だか早くに目が覚めてしまったのだ。起きてから、顔が痛いことに気が付く。昨日あれだけ無料の笑顔を振りまいていたのだ、そら筋肉痛にもなりますよねー。ははは。……笑い事じゃない。
今日も一日頑張れるかな……そんな不安が頭をよぎったが、全ては友人のオルドのためである。オルドが音をあげるまで付き合う。自分でオルドに付き合うと決めたのだから、やり遂げないでどうする! 私はペチッと頬を叩いて気合を入れるために冷水で顔を豪快に洗った。
「おはよー、リセ」
「オルド……顔、やつれてるけど大丈夫?」
「あははー……大丈夫大丈夫」
そう言いながら死んだ顔でフラフラと歩くオルドは全然大丈夫そうには見えなかった。フラフラ-と更衣室に入って行く途中に柱に頭思いっきりぶつけてたし。なのに痛がる素振りも見せなかった。本当に大丈夫か、オルドよ。
心配そうに見つめていると、ちっちさんがやってくる。
「ちょっとやりすぎちゃたかねぇ」
「ちっちさーん……何やったんですか」
じとーっとちっちさんを睨みつける。
「いや、それは秘密の特訓としか言いようが……」
てへっと可愛らしく真っ赤な舌を出すが、冷めた目で見てたら恥ずかしくなったのか頬を赤く染めて厨房に引っこんだ。かわりばんこにドイさんが厨房から姿を現す。相変わらずのっしのっしとか効果音がつきそうな歩き方をする人だ。
「俺も程ほどにって言ったんだけどなぁ……。店長、息子が増えたみたいで張り切っちゃったんだろうな」
はっはっはっ、と笑うドイさんに私は苦笑いを返すことしかできなかった。ちっちさんが張り切ると人はああなるのか。何て恐ろしい人……ちっちさん! あんなんでオルド、きちんと働けるのかなぁ。
その心配は見事に的中した。オルドは何と開店して一時間もしないうちにへにゃへにゃとへたり込んで動けなくなってしまったのだ。運ばれて行くオルドをこっそり見たけど、魂の抜けた抜け殻みたいだった。ちっちさんは申し訳なさそうに耳を垂れさせてるし、ドイさんは苦笑いを浮かべている。
結局、今日は私一人でお客さんを案内することになった。
外は雨が降ってると言うこともあって、昨日みたいに次から次へとお客さんがくるわけじゃないから大分楽だった。常に笑顔キープは厳しかったけど。時折頬がピクピクするのを隠すのに必死だった。
「終わったぁー! オルド、大丈夫?」
ようやく仕事が終わり、休憩室に運ばれて行ったオルドの様子を見に行くと、休憩室は電気が消されて薄暗かった。暗がりの中、オルドのすうすうと規則正しい寝息が聞こえる。よかった、生きてた……。あの魂の抜けた顔を見ただけに、休憩室覗きに行ったら死んでました、とか半分本気で考えてた。流石に不謹慎だったかね。
私は小さな声でオルドに声をかける。
「オルドー、私帰るから。また明日ね」
「んん……リセ? あ、待って」
「……? どうしたの」
起きたようで、オルドがもぞもぞと動きだす。明かりつけたほうがいいかな、と思ったので入り口近くにいた私がパチンッと音を立てて電気のスイッチを押した。パチパチ、と音を立てながら電気が点滅して部屋の中が明るくなる。暗がりの中にいたせいか、眩しく感じた。オルドも同じようで、しばらく目を細めていた。
「リセ、今日はごめん。一人で任せちゃって……」
「気にしないで! 今日は雨だったからそんなにお客さんいなかったし」
「そっか……。リセ、僕本当に感謝してる。絶対一週間働いて、元の世界に帰るよ」
帰る、かぁ。簡単に言えていいよね、オルドは。
突然黙り込んだ私を不審に思ったのか、オルドが顔を覗き込んでくる。はっと我に返り、慌てて顔を逸らす。そして、極めて明るい声で言った。
「うん、頑張れ! 応援してる」
「……? ありがとう、リセ」
「じゃぁ私帰るね。バイバイ」
オルドの返事を待たずに、休憩室を後にした。そのまま走ってお店を出る。ちっちさんやドイさんの制止するような声が聞こえた気がしたけど、聞こえないフリをした。あと数分後に風さんが迎えにくる予定だったけど、構わず走り続ける。
ダメだよ。オルドは大事な友人なんだから、醜い嫉妬なんか見せちゃダメ。……でも、だって、私に帰る場所はもうないのに、あんな簡単に帰るなんて言うから。羨ましくて妬ましくて嫉妬で狂いそうだった。オルドに、「あんたに帰る場所のない私の気持ちがわかるのか」って怒鳴ってしまいそうだった。
気が付くと、オルドと一緒にちっちさんのお店の店員さんから逃げた時逃げ込んだ公園にきていた。一緒に息をひそめて店員さんをやり過ごした場所。オルドに人生相談っぽいことをされた場所。今は……私一人だ。
雨が酷くなって、体がどんどん冷えて行くのを感じた。さちの家に戻らないとって思うのに、足に根が生えたみたいに動けなかった。




