第59話 まだ生きていてくれ!
シュミジャール大陸の南海岸の中央にあるシェルナ湾には、シェンルーという王都が面している。
シェンルーの大きな港には、オラン大陸からの大きな定期船が到着しようとしていた。
アルルが乗ってくる予定だった定期船だ。予定より数日遅れで到着する。
——アルルがいた部屋。
「長かったねえ。ずっと歩いてなかったから足腰弱くなったよ」
商人マーサが、腰を叩きながら自分の荷物をまとめている。
「早く帰って、ママのご飯が食べたい」
そう言ったのは、姉妹の妹のノエル。
「ノエルは食べるだけじゃない」
姉のエリスが文句を言った。
「手伝えって言われてないもん」
ノエルは口を尖らせた。
「ママは、ノエルに甘いんだから……。リタちゃんはこんなになっちゃダメよ」
リタは空になったベッドで探検していて聞いていない。
「リタも甘えん坊だからねえ。……リタ、そろそろ降りてきなさい」
リタの方を見ながら、エマは荷物をまとめていた。
シスター・クララは、荷物をまとめ終わって椅子に座ってみんなを眺めていた。アルルの荷物は、シスター・クララが向かうシェンルー大聖堂で保管する予定だった。
(アルルちゃんはどうなったかしら……。祈りが届いてるといいわ……)
部屋のドアが開いた。船員が顔を出した。
「そろそろ甲板に移動してください」
◇
号笛が鳴り響き、定期船が港に入ってきた。時間をかけて、ゆっくりと巨大な船体が港に横付けされた。そして、何人もの船員が縄を港にかけて固定した。
タラップが港に架けられた。その時には、船の甲板には下船を待つ荷物を持った乗客がひしめき、港には迎えにきた家族や身内などでごった返していた。
王都立古代魔法研究所に勤めている、古代魔法研究者のロアン・ルーンベルクは、人混みをかき分け最前列に移動した。隣の夫人が押されて嫌な顔をした。
ズレた丸メガネを持ち上げながら、タラップを降りてくる乗客を一人一人丹念に見ていた。
周りの家族たちは、再会を喜び抱き合ったり、涙ぐむ者もいた。少しずつ人が減っていった。
ロアンが探している少女らしき人がいた。ロアンは、声をかけようとしたが、別の夫婦が近づいていく。
「エリス! ノエル!」
「パパ!」
「ママ!」
少女二人が両親らしい男女と抱き合っていた。姉妹らしかった。
ロアンは、伸ばしかけた手を引っ込めた。
その後も降りてくる乗客を見ていたが、男性が降りたあと、船員が片付け始めた。
「すみません! 乗客はもういないんですか?」
ロアンの額にうっすら汗が滲む。
「ああ、下船は終わったよ。荷物ももう少しで下ろし終わると思うよ」
「女の子が乗っていませんでしたか?」
ロアンは、必死に船内に戻ろうとする船員に食いついた。気づけば船員の腕を掴んでいた。
船員はロアンの手を振りほどいた。
「もう誰もいないよ」
船員はしばらく考えて、ボソッと言った。
「途中下船した女の子がいたような……」
船員は、とぼけたような表情をした。
「誰だ?! その子は」
船員はキョロキョロしたあと、手のひらを出した。
「情報料」
ロアンは仕方ないなという表情でポケットのお金を船員の手のひらに置いた。
船員はさっさとポケットにしまう。
「アルル……とかいう子だったかなあ? 魔王国の兵士が捕まえに乗り込んできて大変だったよ」
それを聞くと、ロアンは青ざめた。
「つ、連れて行かれたのか?!」
船員が黙って、ロアンをじーっと見ていた。ロアンは船員が手を出す前に、自分のポケットに手を入れてお金を出した。
「教えてくれ!」
船員は、口の端で笑ってお金を受け取った。
「俺は甲板で少し見ただけだけど、兵士から逃げて、自分から海に飛び込んでいったな」
ロアンは、ガックリと肩を落として、自分の足元を見つめた。
船員は、ロアンの肩をポンポンと叩いた。
「ありがとな。しかし、残念だったな。あの大海原じゃ、まず助からないな」
船員は返事もしないロアンをそのままにして、船に戻っていった。
しばらくの間、ロアンは呆然と立ったままだった。
◇
どうやって研究所に帰ったのか記憶がない。
港から歩いて帰った? いや、馬車を借りたのだった。
ロアンは自分の研究室の椅子に座り、頭を抱えていた。
ジャックになんて言えば……。
迎えに行けば良かったんだ……しかし、自分は亡命した身、すぐ捕まってしまうだろう。
ロアンは古代魔法の研究者だが、魔法を使う能力がなかった。知識はあっても、魔法でアルルの居場所を探すことも、無事を確かめることもできなかった。
ミシェル大魔法師の子孫の子を亡くしてしまった……。
いや、まだ死んだと確定したわけではない。
——大魔法師の血が流れてる子なんだ。簡単には……。
でも……。
ロアンは何時間も、嫌な予想とそれを打ち消そうとする考えが頭の中をぐるぐるしていた。
『ロアン』
不意にジャックの声がして、ビクッとした。声のした方に顔を上げると、窓枠に一匹の鳥が止まっていた。
あれは伝書鳥だ。目のない鳩のような姿をしていた。
『アルルは、無事着いたか?』
「……着いてない」
『アルルの様子はどうだ? よろしく頼むな』
「……」
『返事は、伝書鳥の足に括り付けてくれ』
「アルルらしい子は、船から下船しなかった。船員に聞いたら……船から落ちたと……」
独り言のように自分の手を見ながら呟いていた。
ロアンは沈んだ気持ちで手紙を書いた。アルルは船に乗っておらず、まだ着いていないこと。魔王国の兵士から逃げて、自分から海に飛び込んだと聞いたこと。それを、伝書鳥の足に括り付けて飛ばした。
ロアンは部屋の窓から見える満月を見つめた。
(まだ生きていてくれ! ……アルル)
自然に祈りのポーズで祈っていた。重ねた手が微かに震えていた。




