第39話 号笛
シェンルーにある古代魔法研究所。
シュミジャール大陸の建物は、屋根がドーム型になっていて、壁は白い石壁、それにアーチ型の大きな回廊や窓が印象的だ。
研究所もそのような建物になっている。
回廊の先には水をたたえた中庭が広がっていて、噴水の音が響いている。その最奥がロアン・ルーンベルクの研究室になっている。
ロアン・ルーンベルクは、ここで古代ルーン語と、それを用いた古代魔法を研究している。
部屋の中は天井まで届く本棚が並び、羊皮紙の巻物や古い書物が隙間なく収められている。
壁には古代ルーン語が刻まれた石板が立て掛けられ、机の上にはルーン語で書かれた書籍や手書きの羊皮紙、羽ペンとインクが置いてあった。窓から差し込む柔らかな光が、白い石床に幾何学模様の影を落としていた。
ロアンは、自分が書いた羊皮紙を目を細めながら読み直した。長い白髪を後ろで一つに括っている。
「いいだろう……」
ロアンは羊皮紙を丸めて、伝書鳥の足にくくりつけた。
「しっかり運んでくれよ」
両手で伝書鳥を抱え、窓から勢いよく空に放ると、バタバタと羽音をさせて鳥が青空へと飛んでいった。
ロアンは見えなくなるまで、空を見つめていた。
◇
アルルは狭い船上生活ながら、同部屋の人たちのおかげで楽しく過ごせていた。
「今日は腹の調子が悪くてねえ。魔法で良くならないかねえ」
マーサがお腹を押さえながら、苦しそうな顔をする。
「あるよ。『穏やかな息吹よ、体の巡りを正せ』」
アルルは、マーサの方に杖をかざした。すると、マーサは目を丸くした。
「あら! 痛みが消えたよ!」
笑いながら、何度も礼を言っている。
「頭痛にも効くよ」
アルルがそう言うと、エマがアルルに向かって
「私、たまに頭痛がするのよ。その時はお願いね」
と言った。
すると、エリスがアルルの方に近寄った。
「それも教えて!」
ノエルも「私も!」と叫んだ。
「なんて言うの?」
『セレ・ヴィーナ、ラフィス・コルナ(穏やかな息吹よ、体の巡りを正せ)』
エリスとノエルは、何度も繰り返して詠唱していた。
「アルル、いっぱい教えてね!」
「もちろんだよ」
「ピピ!」
ピーちゃんが、部屋をパタパタと飛んでいる。ピーちゃんも、狭い船上生活で羽を伸ばせずにいた。
リタもピーちゃんに慣れてきて、扱いがだんだん粗雑になってきた。
「ピーちゃん! ピーちゃん!」
リタは、ピーちゃんをむんずと掴むと、宙に放り投げた。
「きゃははは」
エマは水をもらいに、他の部屋に行っていた。
アルルは苦笑しながら眺めていた。
何度も繰り返す。
「もっと飛べー! も一回!」
「ピピピ!」
ピーちゃんが高いところへ止まって降りてこないと、リタはぐずり始めた。
「う……、ピーちゃんこなくなっちゃった。ぐずっ」
ピーちゃんは、仕方ないなという顔をして、リタの手を降りた。すると、リタはすぐ泣き止み、またピーちゃんを手に乗せると、宙に放り投げた。
しまいには、ピーちゃんの両羽を左右の手で掴んだ。ついにピーちゃんの堪忍袋の緒が切れた。
「離せよ! コラ!」
リタは目を丸くし、ビクッと体をこわばらせて、床にしゃがんで大泣きした。
「ピーちゃんが……怒ったぁ……あーん!」
「あらあら」
マーサがリタを抱き抱えると、エマが部屋に戻ってきた。
「リタ!? どうしたの!?」
エマは慌ててリタのもとへ駆け寄った。
「今の声ってピーちゃん!?」
ノエルが気づいて、目を丸くしてアルルに聞いた。
「あ……うん」
アルルは苦笑いした。ピーちゃんは、リタから離れた。高いところの棚に乗って毛繕いしている。
「すごい!! 喋る鳥なの?」
「ママー! ピーちゃんが怒った……」
リタは泣きながらエマにしがみついた。
「リタちゃんが、ピーちゃんを乱暴に扱ったから怒ったのよ」
クララが説明する。
エマはリタを抱き抱えると、リタを叱った。
「痛いことしちゃダメでしょ! 生き物なんだから。リタだって痛いのは嫌でしょ? ごめんなさい、アルルちゃん。リタにはよく言って聞かせときます」
「ピーちゃん怪我したわけじゃないし、いいですよ」
アルルが言うと、ピーちゃんがアルルの肩に乗った。
「これだから子供は嫌いだ!」
みんながピーちゃんを見た。
それを聞いたリタは、また火がついたように泣き出した。
「あーーーん!」
「ピーちゃんも、怒りすぎよ。ちょっと外行こうか」
アルルはそう言って、ピーちゃんを肩に乗せたまま甲板に歩いて行った。
「羽は大丈夫?」
アルルが指で羽の中を覗いた。
「大丈夫。……ごめん」
「でも、あの子もちょっとしつこかったからね。まあ、毎日狭い船の中だから……。ごめんね、止められなくって」
「アルルは悪くないよ」
アルルは風に吹かれながら、青い空と水平線を眺めた。
ピーちゃんがどこか一点を見つめている。アルルも見たが何も見えなかった。
「なんかあった?」
「遠くに船が見えた。でも、ただの船だよ」
「そっか。……今どの辺なんだろう? 確か補給するのにアストラに一旦停泊するからまだオラン大陸の隣のはず」
「一ヶ月の船旅か……ピーちゃん、食べ物どうしよう。デーツもらったやつで間に合う?」
「……無理。足りん」
「じゃあ、アストラでたくさん買い出ししようか」
「ピピピピ!!」
ピーちゃんが嬉しそうに羽ばたいた。
◇
「リタ、ごめんなさいは?」
「……ごめんなさい」
リタは、母親に叱られてシュンとしていた。
「大丈夫よ。ピーちゃんも、言いすぎたから、ほら、謝って」
アルルは、ピーちゃんをテーブルの上に乗せた。
「……ごめん、リタ」
リタは、機嫌が直ったのか、笑顔になった。
「うん……いいよ」
ピーちゃんも嬉しかったのか、テーブルの上をぴょんぴょん跳ねた。
「ピーちゃん」
「何?」
リタはピーちゃんに顔を近づけた。
「クイズ出して!」
「よし。俺は何の鳥でしょう?」
「えーっと……スズメ!」
「違う!」
「じゃあ、カラス?」
「違う!」
「わかんない!」
「メジロ!」
「……メジロって何?」
「俺のことだよ。緑の体の鳥」
ピーちゃんは、羽を広げてメジロをアピールした。
「メジロ!」
リタがピーちゃんを指差して、叫んだ。
「メジロ! メジロ!」
「覚えたな! よし!」
ピーちゃんは、リタの頭の上に乗った。また、リタがピーちゃんを掴もうとするが、その前にピーちゃんは、空中に飛んでいた。
「もう動きは読めてるんだよ!」
「メジローッ!」
リタがピーちゃんを追いかける。荷物に躓いて転んだ。ピーちゃんは部屋の隅の高い棚に飛び乗った。
「そろそろ夕飯よ。静かにしなさいね」
エマがリタの手を引いた。
アルルは最後のリンゴをナイフで剥いた。
「ピーちゃん、リンゴだよ」
「ピピピ!」
エリスとノエルが、ピーちゃんの変わりようを見てクスクス笑った。
「人のようでもあり、鳥らしくもあり、面白いね!」
ピーちゃんは気にせずリンゴに夢中になっていた。
いつものように船員が夕食を配り、みんなで会話しながら食べると、船員が食器を下げに来る頃には、就寝時間に近くなっていた。
リタは昼間泣いていたせいか、すでにベッドで寝息をかいている。
アルルもリタが寝て静かなせいか、眠気に襲われた。
(そろそろ寝よう……)
「おやすみなさい。ピーちゃん」
「ピィ……」
ピーちゃんもアルルの枕元で寝始めた。
◇
「アルル……起きろ」
ピーちゃんが、アルルの頬をつついた。
「う……ん」
「様子がおかしい」
ブオォォーー。
低く長い号笛が船内に響き渡った。
アルルはハッとして、反射的に起き上がった。
「何かあったの……?」
廊下では慌ただしい足音と、誰かが何かを叫ぶ声が聞こえる。
「見にいったほうがいい?」
「いや、目立たないほうがいいだろ」
ピーちゃんが即答した。それでもアルルはベッドを降りた。
廊下から船員の声が響く。
「皆さん、部屋から出ないでください! そのままお待ちください!」
その直後、部屋の扉を激しく叩く音がする。
「開けるぞ!」
船員と魔王国の兵士が入ってきた。
その後ろでアルルに指を差している男がいた。ザルフと名乗っていた甲板で会った男だった。
「この娘です!」
魔王国の兵士二人が、アルルのところへサッと歩み寄ると、腕を捕まえて引っ張った。
「こっちへ来い」
「アルルちゃん?!」
最初に起きたクララがベッドから降りて兵士を静止しようとした。しかし、兵士に押されてその場に倒れた。
アルルは指輪を取られないように手をグーにした。
兵士はアルルの左手を捻り上げ、薬指の指輪を確認した。
「手を開け」
アルルはグーのままでいた。
パシッ!
兵士がアルルの頬を打つと、鼻血がつっと流れた。
「まあいい、あとで取ればいいさ」
兵士はアルルの両手首を縄できつく縛った。
「アルル!」
部屋のみんなが起きて、連れられていくアルルをなすすべもなく見ていた。
ピーちゃんは、兵士の顔をつつこうとするも、手で払われて床に落ちた。
(抵抗するよりもアルルにくっついていよう)
ピーちゃんは、アルルの肩に飛んだ。
アルルは海上の船の上でどうしたら逃げられるのか、必死に考えを巡らせていた。




