第二十一話 早朝
翌日、みんなより遅く寝たにも関わらず、一番最初に起きたフライヤは寝室から出て、欠伸をしながらも階段を降りた。受付員のスタッフに挨拶を交わした後、エントランスチェアに座ってすぐ近くの海の景色を眺める。宴であれだけ騒いでいたのにそれでも活気溢れる漁師の姿を見て、体力の高さに少しばかり羨ましい感情を心に留めながらも思った。
「タフだなぁ…」
そうつぶやきながら片膝をついて外を眺める彼の横から、焦げ茶色の長い髪をした女性が現れては運んでいたコーヒーをテーブルの上に置く。この宿のスタッフのようだ。
「コーヒーをどうぞ」
「あぁ、ありがとうございます」
姿勢を戻して、フライヤは運ばれてきたコーヒーカップを手にしてゆっくりと口にした。出来立て故に高温の刺激で思わず声を漏らす。それを見て心配をするスタッフ。少し恥ずかしい気持ちを抱きつつも大丈夫と優しく返事をした。自分の手を見てふとある事を思いついた彼はスタッフに声を掛ける。
「あれ…そういえば俺、狼男ですよ?」
「えぇ。存じております。魔女を倒して下さったそうですね」
魔女。おそらくリベラの事だろうか。あの時以降、気を失ってて気づけばこの宿に居たため、詳細をあまり知らない。
「いや、倒したのは俺じゃなくて彼女達なんだ。俺はただ――」
「そのようですが彼女の一人の金髪の女性さんが貴方が居たからこそ打ち勝つことが出来たと申しておりました」
金髪の女性。確かベールと言っていただろうか。うろ覚えの中で顔を思い出そうとするフライヤ。その最中でスタッフは続けて当時の話を切り出した。
「地響きが突然起こって、街のみんなが巨大なゴーレムを見てこちらに向かってくると知った時は絶望だったわ」
「ゴッ、ゴーレム?!」
初めて耳にした言葉に彼は驚きを隠せずにいた。スタッフも彼が魔女を倒した人の一人だと思っていたため、食い違いが発生していた。
「えっ、えぇ。街から3キロもない距離まで近づいて。全員が避難し終わった頃に突然崩れ落ちて、寸での所で崩壊の危機は免れたの。その瞬間、みんな喜んでまして…」
全く知らなかった。正直の所、フライヤも昨日の昼頃に目覚め、夜までシエラの助言で安静にしていたのだ。そのため今、彼女に言われるまでリベラとの一戦の末端を知る事が出来ずにいた。
チコ達にそんな事があったのかと顔の下半分を両手で覆った。深いため息のようなものをついて、一切関われなかった自分を心の中で責めた。
「しばらくして、その日の夜にお仲間さん達が倒れたあなた方を連れて…」
【アクアリウム 西入り口付近】
オークの里で援護を終えたシエラ達。ベールがチコを救助班の仲間の一人がフライヤを背負った状態で十数人規模で街の入り口についた。
「どこか。休める場所を教えてくれぬか?」
街人達にそう尋ねるもある者の存在を見て、その口を閉ざしてしまう。狼男であるフライヤである。モンスターという恐怖の対象を気絶しているからといって安全と思う方が無用心である。シエラもその可能性を考えていなかったわけではないのだがその流れであれば野宿も辞さない話だった。
「そうか…無理を言ってすまなかった」
「待ってくださいっ!」
「…っ?」
声がした方向へ再度視線を向けると受付の彼女が山葡萄の手提げを持って立っていた。見るからに次の日の買い出しの帰りであろうか。彼女から宿を経営している事を知ったシエラは数日宿を借りる事は可能かを懇願し、それを快く受け入れてくれた。
【宿内 エントランス】
そして今に至り、宴の明かりが日が変わっても衰える事がないぐらいまで飲み明かされる中でチコとフライヤは2日間近く眠りについていたという。その経緯を聞いたフライヤは視線を深くして、シエラ達に迷惑をかけてしまったことに少し申し訳ない気持ちを抱いた。
「ですが…俺のせいで、周りから言われたりしませんでしたか?」
視線を戻して、もう一つの心配を投げかける。モンスターである俺を庇った事で周囲の視線が悪くなっていないのか。そんな狼男である彼を見ながら彼女は微笑み、戸惑いのない口調でこう言った。
「考えれば簡単な事です。あなたが気絶してもつれて帰る理由が彼女達の中にあったからです」
その一言にフライヤは目を見開いた。
「理由…」
彼にも当然、その理由は分かっていた。チコのためにシエラ達は俺を要塞から連れ出したのだと。彼女に礼を言って、今後の事をコーヒーを飲みながら考え始める。少し心が軽くなった気がした。その時だった。もう一方から女性の声が聞こえた。声の主は先ほど彼女の口から出た金髪の女性、ベールであった。彼の名を口にした後に階段を降りてきて、こちらに歩み寄ってきた。
二人に挨拶をした後、ベールは向かい側の椅子に座った。彼女の分のコーヒーを作る旨を伝え、スタッフは一旦その場を去っていった。
ベージュ色のローブが締め付けないように気を付けながら椅子に座り、体調について問いかけてきた。
「具合は大丈夫ですか?」
「えぇなんとか。…ありがとうございます。色々迷惑をかけてしまって…」
申し訳ない顔をしながらベールに感謝を強く示した。彼女は首を横に振って。気遣いなく接してほしいようにお願いをしつつ、当時の話を述べ始める。
「気にしないでください。…私もあなたに謝らないといけないので…」
その言葉にフライヤは唖然とした顔をした。何かされただろうか。短時間で記憶を駆け巡ってみるが見当がつかなかった。その間に彼女の口から答えが出てきた。
「合流した時、あなたに鎌を向けてしまった事です…」
「えっ?ああっ!仕方ないさ。俺がチコを脅してる可能性だってあの時はあっただろうし」
当時の事を思い出したフライヤは片手を横に小さく振りながら優しく許してあげた。今思えばパートナーとしてチコを守ろうとしたという彼女の志が伝わってくる。そう言うとベールは少し照れた様子を見せる。
「…チコは俺のために死んだようなもんなんだ。俺が死ななければ、今でも現世で幸せに過ごしてただろうし」
現世の話を持ち出すとベールは興味を示してその話に耳を傾ける。ちょうどスタッフがコーヒーを運んできてくれた。礼を言うと彼女はまた仕事のために二人から離れていった。
「聞かせて下さい。現世のチコさんとフライヤさんの事を…」
コーヒーを手にしながらベールがそう言うと。フライヤは迷う事はせず、過去の話を彼女に教えてあげた。初めて会った文化祭の日の話で言葉を交わす事をしなかったことに驚きを見せるベール。そのあとのやり取りやいじめを受けてたこと。そして、あの惨劇の事。真剣に聞きながらも、ベールは時折共感で怒りを見せたり、悲しんだりした。
「そういう事だったんですね…でも不思議ですね…なぜリベラはチコさんではなく、フライヤさんの魂を奪ったのでしょうか…もちろん、フライヤさんも素晴らしい身体能力を持っています。でもあの一件で私は見たんです」
「…?リベラと戦う時の事?」
「はい。あの時のチコさんはもう、殺意しか無かったように感じたんです」
ベールは当時のチコを思い出しては少し恐怖した。過去1年近く彼女と共にしてきたが今までに見た事がないぐらいの顔だった。怒りと憎しみだけで作られたなんとも名状しがたい目。それは瞳ではなく、膜部分が緑色でもはや狂気ともいえる姿だった。その時の霊気も並々ならぬ程突出しており、気でさえも凶器のような感覚に襲われていた。シエラの助言がなかったら私も別の人格の彼女に見境なく危害を加えられていたのかもしれない。
「チコが…」
現世のチコを知る彼ですら彼女がそのような振る舞いをするとはとてもじゃないが考えもつかなかった。一体彼女に何があったのか。俺を守りたかったからであろうとは思うがそこまでしなければならなかったのか。後々聞くべきだろうとフライヤは思った。
「あなたの代わりみたいな形で1年近く死神として共にしていましたが…あんな彼女を見たのは初めてでした…」
「…きっとチコもやむを得なかったんだ」
確証はなかったが、チコが仲間を捨ててまで選ぶような事はしないはずだ。直接見たわけではないから現時点では何とも言えなかったが現世の頃の考え方を視野に入れればどちらかと言えば自己犠牲でそうした可能性が高いだろう。
「チコは決して、仲間を見限るような人じゃねぇんだ」
真剣な眼差しで口にする彼を見て、なんて真っ直ぐで優しい意志を持っているのだろうと感じた。同時にチコが彼を愛してやまないのも、納得が行く気がした。もちろん、彼の言葉には賛同する部分がほとんどだったため、肯定の意を唱えたベール。
「フライヤさんのおっしゃる通りだと思います。少なからず、あなたのために行った事なんだと思います」
そう言ってベールはこの話を終わらせ、今度は自分自身の疑問を投げかける事にした彼女はフライヤに今後の話を持ち掛けた。
「この後、フライヤさんはどうするか考えてましたか?」
「会長さんから死界の住民にならないかと誘われて、問題なければ行かせて欲しいと昨日の夜、お願いをしていたんだ」
「そうだったんですね!良かったです。きっとチコさんも喜ぶと思いますよ」
ベールは笑顔でそう言った後、コーヒーをゆっくりと飲んでいく。狼男の自分が死界へ行っても問題がないのかと感じる彼であったが、普通に亜人が住んでいる事をベールから教わって安心する結果となった。世界観や特徴、生活習慣なども懇切丁寧に教えてあげるベールに対してフライヤはその都度礼を言う。それに嬉しさを感じたベールは笑顔で返していく。ある程度死界について学んだところで今度はシエラが二階の寝室から階段を伝って降りてきた。フライヤ達の存在に気づいた彼女は早起きに感心しつつ近づいてきた。
「早いのう。何を話しておったのじゃ?」
先ほどの話を簡単に話した後、シエラはベールの隣に座って談話に加わる。シエラにも現世でのいきさつとベールの疑問も含めて事の発端を説明してあげた。
「なるほど…確かにベールの考えも一理あるな…戦力を得るのならフライヤだけでなく、チコの魂も奪うべきなはずじゃ。…純粋にあの力がアイツにあるとは知らなかったのじゃろうか…」
「それが一番考えうる可能性だと思います」
「事は終わった話じゃ。リベラもこの先、裁判から正式な判決が下る。一説によれば無期懲役になる事じゃろう」
それを聞いた二人は安心する様子を見せる。そしてシエラはフライヤの今後の流れに話題を切り替えた。チコの様態を再確認した後、それに沿って行動するという。
「まずは住民登録に居住の申請、後はチコとのパートナー申請と…その他もろもろな誓約書などとやる事は多い。移動に手間はあるが許してくれ」
「大丈夫です。死界の世界は俺のような姿の人がいるとベールさんから聞いてます」
「うむ。そこは心配ない。治安も0とは言えぬが悪いわけではない。おそらく生活も現世と大差ないはずじゃ」
その返答にフライヤは再び安堵の表情を浮かべる。またチコと共に過ごせるのか。奇跡とも呼べる展開に思わず涙が出そうになった。死神となった彼女を思い描いて、昔とは違う、彼女も戦う女に生まれ変わっているのだ。彼は誓った。必ずやチコを守って見せる。片時も離れさせたりはしないと。
しばらく談話を続け、時刻も7時に針が指す頃合い。シエラはチコを起こしに行ってくると言ってその場から階段を上がってチコのいる部屋へ向かっていく。
「チコ。起きておるか~?…入るぞ~」
ゆっくりとドアを開け、チコの様子を覗くように確認した。すやすやと眠るチコへ近づいて小さく揺さぶるシエラ。
「お~い、ひとまず起きるのじゃ」
「…ん。会長…?おはようございます…」
寝ぼけた顔をしながらもシエラの存在に気づいたチコは挨拶する。満身創痍の中で起床させたことに謝りながらも今後の流れについて説明しだすシエラ。その前に彼女の具合を確かめるために背中を支えて起こそうとした。しかし、全身の痛みが抜けきっておらず、未だ痛みが走る状態だった。
「身体の方は…こりゃ、ダメそうじゃな」
「いたた…」
「安静にしておれ、今バーバラに救助の通達をしてくる。あと、フライヤを死界の住民として迎い入れる事にした」
その途端、チコは思わず跳ね起きてしまい、激痛でベッドからバランスを崩して雪崩の如く落ちてしまった。シエラも慌てて彼女を起こしてベッドに戻してあげた。物音を聞きつけ、ベールとフライヤも部屋に駆け寄る。
「どうしたのっ!?」
「愚か者っ!跳ね起きる奴がおるかっ!?」
「ご、ごめんなさい…」
結局、その場を動くことは不可能と判断したシエラは死界から救助班を電話で呼びだし、チコをこの場から運んでもらう事にした。30分経たずして到着した部隊はまず、彼女の容態を軽く調べる。
「腰と両足が複雑骨折…」
「複雑骨折っ?!」
フライヤが後ろ側で小さな声で思わず復唱してしまった。普通に考えてまともに会話なんか出来る状況じゃないはずだ。しかし、ベールはむしろわかりきっていたかのような顔をしていた。
「複雑骨折にはなってるとは思ってましたが…」
「いや待って、何"やっぱり"みたいな感じで言ってんだよっ?」
あまりに冷静な態度にフライヤは突っ込んでいく。するとベールは視線を下におろし、左手で右腕を掴み、悲しげな顔をしながらも過去の話を切り出した。
「一度チコさんの右足は無くなったことがあるんです…」
「え゛っ?!」
突拍子もなく、ましてやとんでもない言葉を発していくベールにフライヤは耳を疑った。チコのさらなる負傷状態を救助班の口から次々と出ている中、ベールはその時の出来事の末端をある言葉で述べた。
「…私のせいで…チコさんの魂は危うく消滅する所だったんです…」




