第97話 黒竜と剣星
王都の北、アストラ山の手前にある大きな森。
その上空を、巨大な黒い影が飛んでいました。
月明かりをはじく漆黒のウロコ。星の光をおおいかくす大きな翼。すべてを射抜かんばかりにするどい金色の眼光。そして、なにものもよせつけまいとばかりにきらめく銀色のツメとキバ……
その名は黒竜――【ブラックドラゴン】。地上最強のワンダーとの呼び声高い、最悪の災厄です。
地上のワンダーたちは、クモの子を散らすようにほうぼうへ逃げだしたり、隠れてちぢこまったりするばかり。一帯の生命の気配は、きれいに消え去っていました。
黒竜は、そんなちっぽけな命たちには目もくれず、一直線にある場所をめざしていました。
目的地は、もちろん王都アストリア。そこにとらわれた、わが子を救い出すために……
しかし、それをはばもうと、王都の方角から白とやまぶき色の光が飛んできました。
黒竜は、ぴたりと動きを止めます。せまってくる光は小さいけれど、その存在感は、素通りしてきた命たちとは、くらべものにならないほど大きかったからです。
光もまた、ぴたりと止まりました。その正体は、白い大オオカミに乗った、ひとりの人間の少女でした。
人間の少女は、髪と同じ色の瞳をぎらつかせて、黒竜をにらんでいます。
黒竜は、長く生きてきた経験と本能で、直感しました。目の前の人間の少女が、これまで戦ってきた相手の中でも、最上位の強者たちに匹敵する存在であると。
少女は、オオカミの背にまたがったまま、腰に差した剣をすらりと引き抜き、黒竜につきつけて宣言しました。
「ここから先は、通さないぞ」
無謀ともいえる勇ましい姿からは、これっぽっちのおそれも感じられません。あらゆる存在におそれられてきた黒竜にとっては、めずらしいことでした。
わが子を救うために、わき目もふらず素通りしたいところです。けれど、目の前の少女からは、命をかけてでもここは通さないという気迫が伝わってきます。黒竜は、腹を決めました。
『グルオオオオオッ!!!』
まわりの空気を、いえ、大陸すらゆるがしかねないおたけび。ひるまずにいられる者などいない、王者の威圧です。
それでも、やまぶき色の少女――エイルは、一歩も引き下がりません。ひるむ気配すらありません。
ならば――じかに、振り払うのみ!
黒竜は大きく右手を振りあげ、するどいツメをぎらりと光らせました。
エイルは身がまえ、もう一本の剣も引き抜きます。
そして、黒竜のツメが振り下ろされました。それは、直接エイルを狙ったものではありません。風圧で、真空の刃を生み出すためのものでした。シロの《風刃》と同じ……いえ、それをはるかに上回る威力の魔法です。
「シロ!」
『ワ、ワンッ!』
主人のエイルとは対照的に、黒竜にすっかりおびえていたシロは、その一喝でハッと我に返りました。声の力強さは、「私がついてる。安心しろ!」とはげましてくれているようです。
シロは力強い四本の脚で、ひらりと跳びすさり、真空の刃をかわします。さっきまでいた大地に、黒竜の大きなツメあとが、小さな地割れのように刻まれました。
「おかえしっ!」
シロの全身が白いオーラにつつまれると、エイルの両手の二本の剣も、うずまく風をまといはじめます。
それらをいきおいよく振ると、合計六発の風の刃が、黒竜めがけて放たれました!
パチン! パチン!
しかし、黒竜のウロコにはまったく通じず、はじけて消えてしまいます。こちらの風の刃はむなしく散り、かわすだけで体力もけずられてしまいました。この風刃くらべは、痛み分けどころか、エイルたちの完敗です。
黒竜は、今度は左手を振りあげました。こちらは、エイルとシロを直接狙った一撃です。
シロはこれもかわしますが、風圧を受けて、体を大きく流されてしまいました。
「やっぱり、いままでやっつけたやつらとは、ぜんぜんちがうなあ」
エイルは感心したように笑います。
この数日で、エイルは何体もの黒竜と戦ってきました。けれど、どれも若い個体ばかり。同じ種族でも、目の前の成体とは雲泥の差だと、身をもって思い知らされたのです。
「エクス! レイ!」
エイルはパートナーの剣の精霊たちをアームドしました。両手の剣が、黄金と白銀に輝く双剣へと変わります。
「直接斬るぞ! シロ、つっこめ!」
『ワン!』
エイルの力強い指示にしたがい、シロは勇気をふりしぼって、黒竜めがけて突進しました。
黒竜は、微動だにしません。がんじょうなウロコと肉体があるかぎり、自分は無敵だという自負があるからでしょう。
しかし――
『……!』
そんなのはおかまいなしとばかりに、突っこんでくるエイルの目を見て、黒竜は、ひさしぶりに背すじがぞくりとするのをおぼえました。
――この攻撃を受けてはならない! 本能が、そう告げているのです。
バサアッ!
黒竜は巨大な翼をはためかせ、上空へと舞いあがりました。
「うわっ!?」
突撃をかわされたうえ、羽ばたきの風圧にあおられて、エイルたちは体勢をくずしてしまいます。
それでもシロは、なんとか立て直して、ざざっと着地してみせました。
エイルは、飛びたった黒竜を見上げ、不敵に笑って言います。
「逃げたな。私がこわいんだろう」
そのつぶやきは、するどい聴覚を持つ黒竜に、はっきり聞こえました。
そして、絶対的強者としての誇りが、ぐらりと揺さぶられたのです。
――下等な人間ごときが、生意気な!
怒りをこめて、黒竜はまた大きくはばたきました。今度は、飛ぶためではありません。
地上に立つ、アリのように小さな命を、押しつぶす風を起こすためです!
ゴオオオッ!
黒竜の漆黒のオーラをまとった強風が、ぎゅっと圧縮され、下降突風となって、エイルとシロに襲いかかります!
その規模と速度を考えると、いまからよけるのは、とても間に合いません。
エイルは、それを本能で察しました。シロが大地を蹴り、二人そろって空へ跳びあがります!
そう、まさに――この突風に立ち向かうために。
エイルは空中で二本の剣を振りあげ、大きなバツ印を描くように振りぬきました!
シュゴオオーーーッ……
すると、漆黒の突風は、うなりをあげながら、ただの強風となって、四方へ散っていきます。
さしもの黒竜も、これには面食らいました。よもや人間ふぜいが、この呪いの風を打ち破るとは!
風を斬ったエイルは、まだ終わりじゃないぞとばかりに、シロの背をトンッと蹴って、さらに高く跳びだしました。
そして、レイのチカラを借りて、おぼえたばかりの氷の翼を背中にひろげ――黒竜の目の前まで、ぐんと飛びあがったのです!
『!』
黒竜がおどろいて金色の目を見開いた、その瞬間。エイルは、二本の剣を合体させた黄金の大剣を手に、縦にくるくると回転しながら――
ザンッ!
黒竜の長く太い首筋を、深く斬り裂いたのです!
『グオオオオオッ!』
黒竜は、大きなおたけびを……いえ、悲鳴をあげました。
いったい、どれくらいぶりでしょうか。自分が悲鳴をあげたのは。これほどの痛手を負わされたのは!
黒竜は痛みにたえながら、不敵でステキな笑顔のまま落ちていくエイルを見下ろし、確信しました。
このちっぽけな少女は――わが命をおびやかす強者なのだと!
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