第84話 めばえと開花
「やっと、おちついて話せるね。いろんなことがありすぎて、そんなヒマなかったもんねえ」
「……そうですね」
シオリは、わずかにほほえみました。エミルの笑顔を見て、ほんのすこし心がいやされたのかもしれません。
それから、ぎゅっとひざを抱きしめると、声をしぼりだすように言いました。
「エミルさん……ほんとうにありがとうございます。わたしなんかのこと、信じてくれて……助けてくれて……」
「お礼なんて、いいよ。わたしは、助けてって言われたから……ううん、助けたかったから、そうしただけだから」
エミルの言葉を聞いて、シオリは思い出しました。
ロウランが殺されたと知り、警察にも"大地の探究者"の団員たちにも追われ、たたみかける絶望で頭の中がまっしろになって、それでも必死に、ビブリアードの分身を通じてエミルに助けをもとめたことを。もう……信じられる相手が、エミルしかいなかったことを。
エミルが助けに来てくれる保証なんて、ありませんでした。事件のことを知らないかもしれないし、知っていたって、指名手配された自分を助けになんて来ないかもしれない、そう思っていました。
けれど……エミルは来てくれました。王都じゅうを敵にまわしてしまうこともおかまいなしに。それが……どんなにうれしかったことでしょう。
そう思い返すと……シオリの胸の中の思いのダムがくずれ、涙の川がどっとあふれだしました。
「シオリ……だいじょうぶ?」
エミルは心配そうに声をかけます。
いいえ、わかっています。だいじょうぶなわけがありません。シオリのいまの気持ちを思えば、なおさらです。それでも、彼女の心をすこしでもやわらげたくて、言わずにはいられないのです。
すると、シオリはたまらず、がばっとエミルの胸に飛びこみ、ぎゅっとしがみつきました。
「エミルさん……わたし……わたし……こわいです……つらいです……! お母さんのようだったロウランさまが亡くなって……王都じゅうの人たちがわたしを冷たい目で見て……強いウィザードの人たちに追いかけまわされて……わたし……わたしっ……」
感情の洪水が、とめどなくあふれてきます。
エミルは、それを受け止めるように、やさしくシオリを抱きしめました。
「うん……うん……こわかったね、つらかったね……でも、もうだいじょうぶ。わたしがいる。ラナがいる。みんながいる。きっと、お姉ちゃんだって力になってくれる。ここにいるみんな、シオリの味方だから。だから、安心して……」
そう言って、シオリの背中をさすります。
あふれる気持ちがとまらなくなる……そんな経験は、四年前、お姉ちゃんのエイルが故郷の村を追放されたときなど、エミルにも何度かおぼえのあることでした。だから、大切な人たちがそうなったとき、今度は自分が受け止めてあげられる人間になりたい……つねづね、そう思っていたのです。
すべてをはきだして、からっぽになったはずのシオリの心は、いつのまにか、あたたかな気持ちでいっぱいになっていました。
それは……本で読んで知っていた、無償の愛と呼ばれるもの。シオリは、はじめてその愛を実感できた気がしました。そして……いつのまにか、師であるロウランからも、すこしずつ分けてもらっていたのだということも。
だれかからの愛を自覚したシオリの中に、新たな感情がめばえました。――そう、受けた愛に応えたい、返したいという、エミルが持っているのと同じ、だれかのために力をつくしたいという心が!
すると――
カッ!
シオリの左手にはめた指輪――そのうちの二つが、まばゆく光りはじめました。
そして中から、パートナーの【ブックマ】くんと、【ビブリアード】の分身が、ふわりと姿をあらわしたのです。
「あなたたち……」
シオリは、丸メガネの下で目をまんまるにしました。エミルもびっくりして顔をあげ、思い思いにすごしていたほかのみんなの視線も、ふたりにあつまります。
ビブリアードの分身は、両手からツタをのばし、シオリとエミルのふたりを、ふんわりと包みこみました。
それを見とどけると、こんどはブックマくんが、かかえていた本をパラパラとめくりはじめます。
「こ、これって……!」
エミルが言い終わるより早く、ふたりと二体の姿は、隠れ家のリビングから、あっというまに消えてしまいました。
《ブックマークリープ》……瞬間移動の魔法が発動したのです。
ラナも、クリスティーヌも、アノニマスまでもが、あっけにとられているなか……
ドタドタドタ……
あわただしい足音をひびかせて、クリスティーナが階段をかけおりてきました。
「待たせたわね! それじゃ、作戦の説明を……って、あれ?」
家主のクリスティーナは、キョロキョロと部屋を見わたし、エミルとシオリの姿が見えないことに気がつきます。
「エミルちゃんと、メガネの子は?」
いちばん気やすい相手の、妹のクリスティーヌにたずねてみると……
「……消えちゃい、ました」
ほほをひくつかせたまま返ってきたのは、自分でもわけがわからないといった感じの答えで……
「はあ!?」
クリスティーナのすっとんきょうな声が、隠れ家にひびきわたるのでした。
☆ ☆ ☆
――突然の瞬間移動でとんだエミルとシオリは、見覚えのある部屋の中にいました。
床も壁も天井も、無数の木の根でできた部屋。中央の根の柱には、緑色の球体がからみつき、やわらかな光を放っています――
「ここって……"大樹の図書館"のコアルーム!?」
エミルは思わず声をあげました。
「ブックマくん……これはあなたのしわざ、なの……?」
シオリは足もとのパートナーを見下ろし、おっかなびっくりたずねました。
ブックマくんは、こくんとうなずきます。かたわらにふわふわ浮かぶビブリアードの分身が、おっとりと言いました。
『正確には、私のチカラも合わさって、だけどね。貴女に新しい気持ちがめばえたことで、本体と同じチカラの一部が、私の中で解放されたの』
「チカラの、一部……?」
よく見ると、ビブリアードの分身の長い緑色の髪に、かざりのような花が三つ、四つほど咲いていました。まさに、シオリのチカラが開花したあかし……なのでしょう、たぶん。
「……まあ、なんにせよ、目的の場所に安全にこられたし、結果オーライ!」
エミルはなかばやけくそぎみに、あっさりと気持ちを切りかえました。だてに、いくつもの急展開をくぐりぬけてきたわけではありません。せっかく作戦を立てようとしてくれたクリスティーナや、協力を申し出てくれたラナたちへのもうしわけない気持ちは、そっと胸の奥におしこんで。
「ビブリアード! いるんでしょう! 出てきて、おねがい!」
エミルは、部屋の中央のコアにむかって叫びました。シオリも、いのるように両手をあわせます。
すると……コアから緑色の光の粒子があふれだし、長い髪をふわりとなびかせる、美しい女性の姿をかたどっていきました。【大樹の大精霊ビブリアード】……その本体があらわれたのです。
『……おどろいたわ。ほんとうに来てくれたのね……』
ビブリアードは、この場にエミルたちがいることに面食らっているようでした。けれど、その口ぶりは、まるでエミルたちがここに来るのを予想していたかのようにも聞こえます。
「パートナーのあなたなら、知ってるよね? ロウランさんが殺された事件の真相と、その犯人の正体を!」
エミルはまっすぐに切り出しました。真実を知りたい気持ちももちろんありますが、いちばんは、早くすべてをあきらかにして、シオリの心を救ってあげたいからです。
「……おねがいします、精霊さま」
エミルさんにばかり言わせてはいけないと、シオリもすがるような顔で頭をさげました。
ビブリアードは、うっとりとふたりを見つめると、ゆっくりと口を開きました。
『……いいでしょう。約束だからね。貴女たちには、すべてを話すわ。ふたりには、その権利と……資格がある』
ふたりは、その言葉にどこか含みを感じて、はっと息をのみました。
『だけど……ひとつだけ聞かせて。貴女たちに、すべてを受け入れる覚悟はある?』
ビブリアードの真剣なまなざしに、エミルとシオリは顔を見あわせ、こくりとうなずきました。
「……はい」
ふたりの顔には、たしかな覚悟がうかんでいました。
これ以上ないほどの敗北と絶望に打ちのめされて――だからこそ、ふたりの心は、どんなことでも受け止められるだけの、大きな器になっていたのです。
『わかったわ。貴女たちに、すべての真実を伝えましょう。そして――この王都を救って』
ビブリアードもまた覚悟を決めて、エミルとシオリにすべてを話しはじめました。
この数日間に起きた一連の事件にまつわる、だれもがおどろくような真実を――
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