第67話 殿堂の首領と名無しのエルフ
『あの……そろそろ、降ろしてもらえません、か……?』
エルフの女性にお姫さま抱っこされたままのシルヴィアは、恥ずかしそうに目をそらしました。すらりと長い手足が、おとなしくちぢこまっています。
エルフの女性は、くすっとほほえみました。淡いピンクの長い髪がふわりとゆれ、長いまつげの下の水色の瞳が、いつくしむような光をたたえます。
『あら? 降ろしてほしいのかしら?』
ちょっぴりいじわるなひとことに、シルヴィアはまた、ぼっと顔を赤くしました。
エルフの女性の腕は、むちっとしているのに、筋肉質寄りな自分以上に力強いのです。そのうえ、ふんわりとやわらかそうな見た目以上の包容力まで感じます。ずっと、こうされていたいと思えてしまうほどに。
『……いえ……もうすこし……このままで、いたい……です……』
だから、目をそらしたまま、ついそんなことを言ってしまいました。ほっぺと鼻だけでなく、長い耳の先まで、ほんのり赤く染まっています。
『おおせのままに、お姫さま』
エルフの女性は、かわいらしい満面の笑みを浮かべました。そしてシルヴィアを抱っこしたまま、エイルを連れて闘技場から出ていくドンを追い、軽やかな足どりで歩いていきました。
☆ ☆ ☆
あのあと、ドンのカミナリで団員たちの訓練が再開されました。闘技場からは、ふたたび武器のぶつかり合う音が響いてきます。そんなコロシアムの中にある団長室へ、エイルとクリスティーヌ、ミリアムとラナは通されました。
シルヴィアは、さすがにもうお姫さま抱っこから降ろしてもらってはいますが、エルフの女性のそばでもじもじと立ちすくんでいました。どうやら、すっかり気に入られてしまったようです。
「……で、道場破りじゃないなら、わざわざなんの用で、ここまで来たんだ?」
ドンは、イスにふんぞり返ってたずねました。
実にえらそうな態度ですが、それが許されるほどの威厳と迫力が感じられます。多くの戦士をたばねるギルドの長として、必要なふるまいなのでしょう。
「……そういえば、なにしに来たんだっけ?」
しかし、エイルはそんなものには気にもとめず、いつもどおりのんきにすっとぼけました。
ズコーッ! ドンガラガッシャーン!
これには仲間たちはもちろん、エルフの女性も、ドンまでもがずっこけ、イスから転げ落ちてしまいました。せっかくの貫禄も、かたなしです。
「て……てめえ! マスターウィザードになったってえのに、いい加減なところも相変わらずか!」
またしても、ドンのカミナリが落ちました。
ラナはおびえてミリアムの影にかくれ、シルヴィアもエルフの女性にぎゅっとしがみつきます。
すると、エイルの指輪からエクシリアがにゅっと現れ……
『だから! ここには訓練に来たのでしょう!』
追加のカミナリを、ご主人さまひとりめがけて落としました。
「ああ、そうだった。やることが思いつかなくって、なんとなくここに来たいと思ったんだった」
エイルはようやく目的を思い出しましたが、案の定、ドンは青筋を立てて、わなわなとふるえています。
そこへ、彼をなだめようと、エルフの女性が口を開きます。
『まあ、もうすぐ黒竜が王都を襲ってくるかもしれないって話だから、それに備えようとしたんじゃないかしら? 悪いニンゲンたちも暗躍してるみたいだし、対人戦の経験も積みたかった、とかね』
彼女の言葉を聞いて、ミリアムとクリスティーヌ、エクシリアのしっかり者トリオがハッとしました。それらの事実は、まだ公表されていない、ごくわずかな者しか知らないはずです。
するとエルフの女性は、そんな彼女たちの心を見透かしたように、やわらかくほほえみました。
『ドンは元マスターウィザード。引退した身とはいえ、情報を共有する権限はまだ生きているのよ。だから、会議の内容もぜんぶ知ってるわ』
ミリアムたちは、その説明で納得したようでした。
「まあ、若えモンがまだまだふがいないんでな。俺みたいな年寄りも、時々駆り出されなきゃいけねえってわけだ」
ドンはあきれたように言いますが、顔はうれしそうです。さっき容赦なくエイルに剣を振り下ろしたことといい、戦うことが好きなのでしょう。その機会が与えられることを、よろこばしく思っているみたいです。
ドンは、おもむろにイスから立ち上がりました。
「とりあえず、小娘の態度は気に入らねえが、お前らの目的はわかった。マスターウィザードの先輩のよしみで、来客用の日帰り特訓メニューを組んでやる。アノニマス、お前はそのエルフの小娘を見てやれ」
『ええ、まかせておいて』
エルフの女性は、こころよく返事をしました。アノニマス、どうやらそれが、彼女の名前のようですが……
「あのにます? ヘンな名前……」
エイルは、つい思ったままを口にしました。たしかに、こんなに美しい女性につける名前としては、似つかわしくないおかしな響きです。
ラナやシルヴィアも同じ感想を抱きましたが、ちゃんと思いやりがあるので、口には出しません。
アノニマスと呼ばれたエルフの女性は、軽く笑い飛ばしました。
『あはは、ヘンな名前か。さすが"巨獣狩りの剣星"、ズバッと言うわね。私もそう思うわ。アノニマスは、あくまで便宜上の呼び方なの。"名無し"って意味の言葉。私、だれともパートナー契約、してないからね』
「あら、そうなのですか?」
クリスティーヌは目をぱちくりさせて、口をおおいました。
基本的にワンダーは、名前をつける文化を持ちません。ですから、名前があるのは、ウィザードとパートナーを組んでいる証でもあるのです。
『名前といえば、貴女の名前は? たしか、シルとか呼ばれてたけど、ニックネームでしょ?』
アノニマスは、自分より少し背の高いシルヴィアの顔を、見上げるようにのぞきこんでたずねました。
『シ、シルヴィア、です……』
アノニマスの、白磁のようになめらかな美しい顔を間近に近づけられて、シルヴィアは、照れくさそうにこたえました。
『いい名前ね。この髪の色が由来なのかしら?』
素直な感想とともに、アノニマスは、月の光をつむいだようなシルヴィアの銀髪を、さらりとなでました。くすぐったくって、心地よくって、シルヴィアは思わずもだえてしまいます。
『あ、ありがとうございます……ええ、エミル様は、そうおっしゃっていました』
『エミル……ウワサの"雨あがりの聖女"ちゃんね。きょうは、いっしょじゃないの?』
『え、ええ。きょうはちょっと、別行動で……』
『そう、残念。ぜひじかに会ってみたかったわ。こんなにすてきな貴女がパートナーに選んだ、すてきなウィザードさんにね』
アノニマスに、自分と大好きなエミル様のことを同時にほめられて、シルヴィアは胸がいっぱいになり、気絶してしまいそうでした。
『ならきょうは、貴女と一対一のレッスンね。お姉さんが手取り足取り、教えてあ・げ・る』
アノニマスにつんと高い鼻をつつかれて、シルヴィアはもうくらくらです。
ふたりとも、見た目は絶世の美少女です。けれど、アノニマスのほうが、ずっと長く生きている格上のエルフだと、シルヴィアはひと目でわかりました。たしかに顔つきも、少女らしさを残しながら、シルヴィアよりちょっぴり大人びています。
「小娘。てめえはこの俺が直々に鍛えてやる。あん時みてえに、逃げたりしたら、今度こそ許さねえからな!」
ドンは、ビシッとエイルを指さして宣言しました。
「逃げたのは、ここの訓練っていうのがつまんなかっただけ。おもしろければ、逃げたりなんてしないよ」
エイルはにかっと笑って、堂々と言ってのけます。
ふたりはバチバチと視線の火花を散らし、ラナとクリスティーヌはおどおどと見守り、ミリアムがあきれ笑いを浮かべるなか……訓練が幕をあけました。
☆ ☆ ☆
一行は、団員たちが訓練を続ける闘技場にもどり、一角のあいたスペースに集まりました。
「まずは狩人の小娘とチビの小娘、お前らにふさわしい相手を用意した」
ドンの呼び方に、ラナはカチンときました。ひと通り、団長室で簡単な自己紹介はしたはずなのですが、いくらえらい人だろうと、人を名前で呼ばないのは失礼なものです。しかも、チビ呼ばわりだなんて。
そんなラナの気持ちをまた見透かしたのか、アノニマスがそっと耳打ちします。
『ごめんね。あの人ってば、自分が認めた相手じゃないと名前で呼ばないタイプなの。私のは名前じゃないから、ノーカウント』
そうフォローを入れられても、ラナのふきげんは直りませんでした。だって、そんな他人の事情、知ったことじゃないですから。ひどい態度なのは、変わりませんからね。
そこへ今度は、ミリアムがぽんぽんと肩をたたいてきます。
「まあまあ。だったらさ、この訓練とやらであのじいさんに目にモノ見せて、名前で呼ばせてやろうじゃない」
さすがは師匠。ラナへのハッパのかけかたを、よくこころえています。
そして狙いどおり、ラナの胸に、メラメラとやる気の炎がもえあがりました。
それを見て、ドンもどこか満足げに、ニッと口のはしをつりあげます。
「来い、お前ら!」
ドンの野太い声が、闘技場に響きわたりました。そして、ミリアムとラナの訓練の相手が呼び出されます……
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