第66話 ドン登場
「おつかれ、シル」
ひざをついたまま、きょとんとしているシルヴィアに、エイルはねぎらいの言葉とともに小さなビンを手渡しました。
中には、青くきらめくきれいな液体が入っています。
『これは……回復薬、ですか?』
シルヴィアは目を丸くしました。
回復薬とは、読んで字のごとく、ワンダーの傷を治すお薬です。ウィザードの必需品のひとつで、姉妹が冒険に出るときは、いつもエミルが持ち歩く係でした。エイルが持っているところなんて見たことがないので、シルヴィアはびっくりしているのです。
ちなみに、決闘中の回復薬の使用は、暗黙のルールで禁止されています。そんなことをされたら、勝負の場がしらけることうけあいでしょう。
「出発前に、エミルからいくつかあずかってたんだよ。"ムチャしないって言ってるけど、シルヴィアはぜったいムチャするから"、ってさ」
『っ……』
シルヴィアは、声をつまらせました。
エミルが自分を思って回復薬をエイルに持たせていたうれしさと、情けないところをさらすことまで見透かされていたふがいなさが、胸の中で複雑にうずまいているのです。
「いいから、飲む飲む。せっかくのきれいな髪とか顔とかが、だいなしだぞ」
『んむっ……』
エイルは、シルヴィアのやわらかなくちびるに、ムリヤリ小ビンの口を押し当てます。
こくっ、こくっと青い液体がのどを通ると、回復の力がものすごい速さで体じゅうをかけめぐっていきました。なつかしい感覚です。エミルとはじめて出会ったときも、やりかたはちがいますが、こうして回復薬を飲ませてもらったのでした。
すると、ボロボロだったシルヴィアの体と服が、あっというまにもとどおり。焦げていた銀髪はつやつやのさらさらに、すすけた肌はなめらかさをとりもどし、すらりとした長身に抜群のスタイルが、まぶしいほどによみがえります。
それにしても、人の見た目にはあまり関心がなさそうなエイルが、シルヴィアをきれいだとほめるなんて、ちょっぴり意外です。
「よし、治ったね。よかった、よかった。さ、立って」
うれしそうなエイルの手をつかんで、シルヴィアはゆっくりと立ちあがりました。
『お義姉さま……もうしわけありません。私、なにもお役に立てず……』
シルヴィアは豊かな胸に手を当てて、悲しげな表情と声で言いました。
全力をつくしても、エミルへの愛を燃やしても、カリンガには通用しなかったことを、くやんでいるのです。
「勝ったんだから、いいじゃん」
エイルは、まったく気にするそぶりもなく言い切ります。この様子だと、シルヴィアに「もう助けない」と言ったことなんて、すっかり忘れているようです。
『ですが……』
「でも、いい修行になったでしょ?」
言葉をさえぎられて、シルヴィアは『え?』と目をぱちぱちさせました。
「前に、だれだったかが言ってた気がするんだよね。人生これ修行、とかどうとか。生きてさえいれば、負けたってそれはぜんぶ、自分の力になるんだって。そういえば、エミルも似たようなことよく言ってたね」
『あ……』
シルヴィアは思い出しました。エミルは絶体絶命のとき、口にも心にも出して、いつも叫んでいるのです。生きているかぎり、チャンスは無限にあるのだと。
ですが……シルヴィアは、じっと自分の右手を見つめました。はたして今回の敗北が、ほんとうに自分の身になっているのか。いまひとつ自信がなくて、実感がわかないのです。
そのとき。
「誰だったかって? そりゃ、俺が言ったんだろうが!」
コロシアムじゅうに、きびしいおじいさんのようなどなり声が響きわたりました。
空気がビリビリとふるえ、観客席の団員たちは、いっせいにびくっと縮みあがります。
エイルとシルヴィアは、声のしたほう……闘技場の入場口を見ました。
そこから、二人の人物が、威風堂々とした足どりでこちらに歩いてきます。
一人は、頭のてっぺんがさびしい白髪の老人。がっしりとした体格で、シャツの上からでもわかる鍛えぬかれた筋肉と、年を感じさせないするどい眼光が、なんともいえない威圧感を放っています。
もう一人は、淡いピンクの長い髪の女性。すらりとした立ち姿ですが、出るところはしっかり出た、ふくよかな体つきで、胸もとの開いた白いチューブトップの上に草色のベストを重ね、同じ草色のショートパンツをはいています。顔立ちはたいへん美しく、おだやかな水色の瞳は、少女のような愛らしさをたたえていました。耳はシルヴィアと同じく長くとがり、すべすべの白い肌と絵に描いたような整った姿が、彼女がエルフであることをものがたっています。
シルヴィアは、二人を見ると、目を見開いたままかたまってしまいました。老人からは圧倒的な威圧感を、エルフの女性からは神々しさを、それぞれ感じとったのです。
……が。
「あ、じいちゃん。ひさしぶりー」
エイルだけは、まったく気にすることなく、親戚に会ったような気やすさであいさつするのでした。
「じいちゃんじゃねえ! ドンと呼べと言ってるだろうが!」
かっとなった老人のカミナリが、ピシャッと落ちます。その声の大きさと怒気に、観客席の団員たちまで、ひゅっとすくみあがりました。
「あ、あの人が……」
ラナも、ミリアムにしがみつきながら、おそるおそる老人を見下ろしています。
「ええ……この"戦士の殿堂"のギルドマスターにして、元序列一位。歴代最強のマスターウィザードとの呼び声も高い、ドワイト・ダンバートン……通称"ドン"、その人よ」
ミリアムも、冷や汗をたらしながら解説しました。
「となりのエルフの女性は、どなたなのでしょうか?」
クリスティーヌも、緊張した面持ちで疑問を口にします。
「ああ、彼女は……」
ミリアムが続けて解説しようとしたとき、ドンとエルフが、エイルたちのそばまで歩み寄ってきました。
「ったく、どのツラ下げて戻って来やがったと思ったら、勝手に決闘はじめるわ、ウチのモンをのしちまうわ、相っ変わらずムチャクチャしやがるな、お前は!」
「いやあ、それほどでも」
「ほめてねえよ!」
ドンはまたしてもカミナリを落としますが、自由奔放なエイルにとっては、どこ吹く風です。
『ごめんなさいね、彼、こんなで。びっくりさせちゃって』
エルフの女性は、ぽかんとしている同族のシルヴィアに向かって、にこやかにほほえみました。
シルヴィアは、ドキッとして、思わず彼女に見とれてしまいます。
森の中で箱入り娘として育ったシルヴィアにとって、外の世界の、それも白い肌のエルフは、はじめて会う相手でした。
客観的に見ても、ふだん鏡に映っている自分に引けをとらない……かわいらしさのある美女です。同じ抜群のスタイルでも、しなやかに引きしまった自分とはちがって、ふんわりとやわらかそうで、それでいて、ほれぼれするほど整っていて……シルヴィアは、息をのむばかりでした。
エイルと会話中(?)のドンは、はあっと深いため息をつきます。
「……まあ、ウチに道場破りに来た件は、ひとまず置いておくとして……」
べつにそういう用事で来たわけじゃないんだけどなあ、とエイルが口を開くより早く、ドンは背中に負った身の丈ほどの大剣を、ゆっくりと引き抜きました。カリンガのものより長さは劣りますが、横幅が広く、ずっしりとした重みを感じさせます。
「一度逃げ出したことの落とし前は、つけてやらねえとなあ!」
そして、エイルに向かって、豪快に振り下ろしてきたのです!
ドガッキイィーーーーーン!!!
『きゃあああーーーっ!!!』
かつてないほどの衝撃が鳴り響き、その波にあおられて、シルヴィアは大きくふっとばされてしまいました。気絶しているカリンガも、地面をゴロゴロと転がっていきます。
『……まったく!』
見かねたエルフの女性は、平然としたままあきれたように言い捨てると、軽やかに地を蹴って、ひらりと大きくとびあがりました。そして、飛ばされたシルヴィアを、やさしく抱きとめたのです。
『あ、ありがとうございます……』
お姫さま抱っこの形で助けられたシルヴィアは、すぐ目の前のエルフの美貌に、ぽっと頬を染めました。
『気にしないで、かわいいお嬢さん』
エルフはぱちんとウインクなんてしてみせ、シルヴィアの胸は、またもやズキュンと撃ち抜かれてしまうのでした。
観客席でも、団員たちが衝撃に身をすくめています。まるで、ほんとうに落雷でも起きたかのような反応でした。
「ったく、なんて威力よ! あれでホントにマスターウィザード引退してるっての!?」
ミリアムもラナをかばいながら、おどろきを口にしました。
「エイル様は……ご無事なのでしょうか!?」
クリスティーヌも身を守りつつ、主人の身を案じています。
やがて、風が止み、土けむりが晴れて……二人の姿があらわになりました。
そこには、大剣を振り下ろしたドンと、それを二本の剣を交差させて受け止めているエイルが、ならんで立っていたのです。
ドンは、大剣をゆっくりと引いて言いました。
「……フン。ちったあ腕を上げたみてえだな」
エイルも、かまえをといて答えます。
「そっちこそ、変わってないね」
「フフフ……ハアーッハッハッハ!」
すると、ドンはこれまでとはうって変わって、豪快に笑いはじめました。
観客席の団員たちも、エルフに抱かれたままのシルヴィアも、そろってぽかんとしています。
「これで、落とし前はつけた! 歓迎するぜ、ナマイキ娘!」
状況はのみこめませんが、どうやら丸くおさまったようです。エイル以外の全員は、ほっと胸をなでおろしたのでした。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回から平日は7時、12時、20時の三話更新、土日祝は7時、12時、17時、21時の四話更新とさせていただきます。
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