第62話 ハピネスワークスのヒミツ
「ベルダンディーさん!」
エミルたちは弱った体にムチ打って、倒れたベルダンディーのもとまで駆け寄りました。
広い訓練場の床には、焼けこげたイバラの切れはしが、あちこちにちらばっていましたが、それらもやがて、光の粒子となって消えていきました。
そして【ソルフェニックス】のレッディを呼んで、彼女を回復させようとするのですが……
「ご心配には……およびませんわ。これでもメイド長に次ぐ実力を自負する者。ヤワな鍛え方はしておりません。すべては決闘の結果ですもの、謝罪の必要もございません」
ベルダンディーは、ゆっくりと起きあがると、ハンカチで顔についたすすをふき取りました。ふわりとしたベージュの髪も、すっかりすすけています。おそろしいことに、そのタフさはトランスだけによるものではなく、彼女自身のものだったようです。
なんにしても、エミルも、シロンも、シュガーも、ほっとひと安心です。
「おみごとでございました、エミル様。さすがは"雨あがりの聖女"、ウィザード同士の戦闘もお得意とは……真にすぐれたる方は、天より二物も三物も与えられるものなのですね……」
ベルダンディーが、うっとりとほほを染めてエミルを絶賛すると、観戦していたメイドと執事たちの拍手も、いっそう大きくなりました。
「あ、ありがとうございます……」
エミルも、ぽっと顔を赤らめました。同時に、見る者の目をうばう銀髪がまぶしい、シルヴィアのことを思い出してしまいます。彼女も、毎日のようにエミルをほめたたえてくれますから。
『でも、どうしてさいごのこうげき、よけなかったの?』
シロンは、また思ったままのことを言いました。
エミルとシュガーは舞いあがって忘れかけていましたが、たしかにそのとおりです。最後の《ファイアボール》に対し、ベルダンディーはまったく抵抗しなかったのですから。まるで、わざとよけなかったように、こちらに花を持たせたように。シロンは、それが気に入らないのでしょう。
ベルダンディーは、包みこむような、母性を感じさせるほほえみを浮かべました。
「わざと負けたわけではございません。私と【バララウネ】のチカラの源は、相手をいたぶる心と、栄養を吸いとる快感……それが満たされ、《ノーブルローズ・サイクロン》で発散された時点で、私の戦意は失われていたのです」
『???』
純粋なシュガーとシロンには、ちんぷんかんぷんでした。エミルだけは意味がわかってしまい、苦笑いです。
「とくに、妖精さまの魔法は効きました。あの脳内を満たす甘い快感が、私の満足を早める結果となってしまったのでしょう……」
シュガーはきょとんとしたままですが、つまり、逆効果だと思われた《シュガーミスト》にはいちおう、ちゃんと意味があったということです。
そして満足が早まったぶん、エミルたちが必殺の魔法に耐えぬくだけの余力を残してしまい、負けを認めた……ということのようでした。
『ん~、よくわかんないけど、シロンたちのかんぜんしょうりってことでいいの?』
「ええ。もちろん、かまいませんよ」
『ふーん、よくわかんないけど、やったー!』
シロンとシュガーは、ぴょんと飛びあがってよろこびました。
ひとまずこれで、決闘はエミルたちの勝利ということになったようです。つまり……
「……約束です。ベルダンディーさん。あなたの知るかぎりの、クリスティーヌさんのことを教えてください」
エミルは、まっすぐな瞳で言いました。
その熱いまなざしを受けて、ベルダンディーは胸をきゅんとさせます。
ですが、その想いをしまいこむように、豊かな胸元をおさえこみながら……
「……ええ。おおせのままに。こちらへどうぞ」
エミルたちを訓練場の奥の扉へと案内しました。
☆ ☆ ☆
訓練場を出たエミルたちは、長い廊下を歩きました。
ベルダンディーは、その途中にあるドアの前で立ち止まります。
エミルも足を止めて、ドアに備えつけられた小窓をのぞいてみると……
「これって……」
そこは、まるで学校の教室のような部屋で、中には、メイド服を着た10名前後の少女たちが、裁縫の訓練をしていました。エミルと変わらない歳の子もいれば、それより下の子たちもいます。
ハピネスワークスは、使用人を派遣するギルド……ここで、未来のメイドや執事たちを育てているということなのでしょう。
「私もむかし、ここで教育を受けました。そして、クリスティーヌも」
ベルダンディーは、なつかしむように目を細めてつぶやきました。
「このギルドの前身は、解放奴隷たちの訓練所だったのです」
奴隷……ほかの人間の所有物としてこき使われる人間のことです。このアストライト王国では、いまは廃止されていると、エミルも村の学校の授業で習っていました。彼らは、まともな教育を受けられなかったと聞きます。だから解放されても、ろくな仕事にもつけなかったとも。
つまりハピネスワークスは、そうした人たちに教育と教養をあたえるために作られたギルドなのでしょう。
「そういった背景を持つため、私たちはこのギルドに所属したいという者をこばみません」
『どういうこと?』
「その者の過去の経歴を、いっさい問わないということです」
「……!」
エミルは、ハッとしました。そして……おそるおそる、言葉をつむぎます。
「それは……クリスティーヌさんが、過去になにか罪を犯した……ということですか?」
教室をながめていたベルダンディーは、くるりとエミルに向き直りました。
「そこまではわかりません。ですが、彼女をあずかり、教育をほどこしている際、ただ者ではないということはたびたび感じられました」
『ただ者じゃない、っていうのは?』
シュガーは、ごくりと息をのみました。
「すでになんらかの特殊な訓練を受けていたということです。護身術、隠密行動、洞察力……そういったものがずば抜けておりましたので……そう、たとえば……暗殺者、とか」
エミルたちは、ぞくっとしました。
暗殺……ダルベールの殺害と結びつく、いちばん聞きたくなかった言葉かもしれません。
ベルダンディーは、教室の中の少女たちを見つめたまま、静かにつづけました。
「クリスティーヌがこのギルドに来たのは、6歳のころでした」
6歳……その歳で暗殺の訓練を受けていたなんて、とても信じられないことです。確定したわけでは、ありませんけれど。
「いまでこそ、彼女は愛嬌のある子に育ちましたが……最初は、感情というものを持っていないようでした」
エミルたちは、またも信じられないという思いです。自分たちの知るクリスティーヌは、よく食べ、よく笑い、よくおどろく、元気いっぱいのメイドさんという雰囲気なのですから。
「クリスティーヌさんが、どういう経緯でこのギルドに来たかは?」
「あの子には、6歳上のお姉さんがいるのです。忘れもしません、10年前、そのお姉さんは6歳のクリスティーヌを連れて、"この子をあずかってほしい"とただひとことだけ言って、どこかへ行ってしまいました。その後、どこでなにをしているかは存じません」
「……」
エミルは考えこみました。
どうやらクリスティーヌの真実には、さらにその前の過去が関わっているようです。そして、その扉のカギをにぎっているのは、お姉さんにちがいありません。……元悪の組織の一員で、いまも裏の世界に通じているという、彼女の姉が。
そして同時に、ベルダンディーがとぼけていることもわかりました。クリスティーヌの姉が現在指名手配犯だという事実を、ベルダンディーほどの人が知らないわけがありません。なにしろ、クリスティーヌがこのギルドにあずけられた際に、実際に会っているというのですから。
経歴を問わない――言葉どおり、仕事さえできればスネのキズは見て見ぬふりをする方針ということなのでしょう。"存じません"というのは、正確には"知ったことじゃない"……そう言っているように聞こえたのです。
……それならエミルも、あえてなにも言わないことにしました。
「……私が知るクリスティーヌのお話は、これがすべてです。貴女のためになったでしょうか?」
ベルダンディーは、小首をかしげてたずねました。
エミルはやわらかくほほえみを返します。
「……ありがとうございました。とても、ためになったと思います」
「それは、よかったです」
ベルダンディーも、満面の笑みを浮かべました。
決闘でメイクが落ちて、すっぴんになってしまいましたが、赤い口紅のとれたくちびるもしっとりと色っぽく、そんなものは必要ないほどきれいだと、エミルはドキッとしました。
☆ ☆ ☆
その後、ベルダンディーからさらにいくつかの話を聞いて……ハピネスワークスでの調査を終えたエミルたちは、ロビーに戻ってきました。
あいかわらず、ずらっと並んだメイドと執事たちに見送られて。
「エミル様。今後ご興味があれば、ぜひ私を貴女さまのおそばに置いてくださいませ。すばらしき主人におつかえすることが、われらメイドの天上のよろこびでございますから」
ベルダンディーは、深々と頭を下げました。
「え、ええ、またいつか、機会があれば……」
エミルは引きつった笑顔で、あたりさわりのない答えを返しました。
その手には、ベルダンディーから渡された彼女自身の連絡先と、プロフィール帳がにぎられています。
そしてエミルたちは、ギルドの拠点をあとにしました。
『……それで、つぎはどうするの?』
『やっぱり……クリスティーヌさんのお姉さんを探すんですよね?』
両肩のパートナーたちが、つぎつぎたずねました。
「うん。クリスティーヌさん本人に連絡してもらうのは、いまは避けたいから……別のルートで会う方法を考えてるよ」
エミルはにっと笑うと、ベルダンディーから渡されたもう一枚のメモをふたりに見せます。
そこには、"アザレア"という名前のメイドの情報が書かれていました……
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