第77話 最後の未練
夢のような現象から戻ってきたとき、唯一残っていた紋飾護印が砕け散った瞬間、白い花弁に変わり消えていく。
あのとき白の魔女が街全域を覆った白い花に似ていた。そして、別な場所でも見覚えがあるようでいて何故か寂しさを覚える。
◆◆◆
――その頃、同時刻。
天空都市エリュシオンに残されたグランツも支配から解放され、フロワと不思議な体験をしていた。
白く咲き乱れていた謎の花、〝天空花〟が一斉に空へ舞い上がり、散っていく。
幻想的でいて何処か寂しさを覚える光景に、どこかで隠れていた妖精族たちが顔を出して見上げていた。
「……最後まで謎の白い花だったな」
「グランツ様が解放されたということは……終わったのでしょうか」
エリュシオンが天空都市と呼ばれたのは街ごと空へ浮き上がったからだ。二人の横にあった魔女の刻印も灰のように消えていく。
そして、約五百年……。空を飛んでいた島が地鳴りを上げる。
◆◆◆
魔導隊から逃げるようにその場から離れたあと。崩れた家屋を避けて走るサフィールの横を飛んでいたネフリティスが急に動きを止める。
「ねぇ、なんか……凄い遠くなんだけど。空から何かがゆっくりと落ちてない?」
「え? 人間の俺に見えるはずないだろう……」
ネフリティスも人間の魂だが、何かを指さして訴えてきた。その方向は先ほどまでいたエリュシオンがある。
白の魔女が誕生したときに浮いた……などという話は歴史の中でも残っていた。
まさか白の魔女が消滅したことで、島にも影響を及ぼすなど考えているはずもないサフィールは隣を向く。
両手を組んで遠くを見つめるニルは満面の笑みを浮かべていた。
「うーん……落ちるねェ? そりゃあ、白の魔女が浮かせていた島だし」
「おい……知ってたのか」
「いやー、なんとなくだぜ? オレもさすがに遠すぎて視えないが……グランツを通して感じた」
グランツの未来が見えたらしい。楽天的なニルは「海へ落ちる前に魔法で飛べば大丈夫だろう」と笑う。
さすが元大罪人だけあって、他人に興味のない男は津波が起きて二次災害をまったく考えていない。
サフィールは自身の胸に手を当てて、魔力量を感じ取る。魔女との戦いで半分以下であり、さらにもう魔女の力はない。
「……頼れるのは己の魔力か。一か八かだ」
「――あまり、お勧めはしねぇけど」
笑みを消したニルの真剣な表情が物語っている。しかし、目先で救える命を見捨てられないサフィールは両手を前に突き出した。
「……だけど、オレもお人好しの馬鹿は嫌いじゃない」
微かに聞こえたニルの声。肩に添えられた手から魔力が流れてくる。魔力も無尽蔵ではない。それは、不老不死のニルも同じだった。
ネフリティスの目を頼りに、海へぶつかる直前で浮かせることを決める。
ゆっくりと落ちていっている島は、壁で囲まれていなかった部分を砕いて多少は小さくなったらしい。
穏やかに流れる時間の中で、強い声が響く。
「……いま‼」
「浮き上がれ! ――重力反転・空域支配」
目に見えない島を浮かび上がらせるイメージで全魔力を注ぎ込んだ。
インフィニートから遠く、失敗してもエリュシオンの被害は来ないだろう。額から汗が噴き出て、体の限界によって震え始めた。
そして、ネフリティスの称賛の声が聞こえた瞬間――プツンと意識が遠のいた……。
――どれだけの時間が流れたのか分からない中、自分を呼ぶ声で薄目を開ける。
「――サフィール!」
霊体だからと気にする様子のないネフリティスの泣き顔だけが視界を覆っていた。
何かを言おうと開いた口からは、ヒューという音が聞こえてくる。
しかし、ネフリティスと目が合ったことで距離感に気づいた途端、一瞬で姿を消した。
近くの物陰に隠れたネフリティスはなぜか騒いでいる。
「吐血して、意識もなくて……すごい心配したんだから!」
何度か怒られたことがあったサフィールは自分の状況を確認しようとして頭上から降ってくる別の声で目を見開いた。
「本当、本当ー。オレと違って、体は一つしかないんだぜ?」
「――ニル……」
感覚が戻ってきて、首から下の位置で膝枕されていることに気づく。
眉を寄せるサフィールの表情で気づいた男は喉を震わせて笑っていた。
「硬くて悪かったなァ? 仕方ないだろう。ネフリティスは霊体なんだからよ」
「そ、そうね……。地面で寝かせるよりマシかなって!」
地面についた両手を動かそうと試みるが、ビクともせず、諦めたように遠くを見つめる。
二人の様子から魔法が成功したことだけは分かった。
そして、それは同時にあることを意味している。
「ふぅ……わたしがいないと駄目なんだから。でも、終わったんだね……」
「……ああ。そうだな――ネフリティス……?」
青白い色をしていたネフリティスの体が唐突に淡い光に包まれた。
「えっ……何この光⁉ もしかして、わたしの未練……」
ネフリティスの願いは両親のためにも魔女のいなくなった世界で成仏することだった。
しかし、思っていたよりも突然のことで困惑する。
最後の力を振り絞るように力を込めて上半身だけ起き上がるサフィールは、苦しそうな呼吸で悪戯な笑みを浮かべた。
「――ネフリティス……お前の物語は此処が終着点か?」
ネフリティスの未練を絶ち、成仏させることもサフィールの目的の一つだった――それなのに。
いつの間にか彼女が隣にいることを当たり前と感じていたサフィールは、魔女のいなくなった世界で、もう少しだけ一緒に旅をしたいと思ってしまっていた。
その瞬間、突風が吹いて背後から体を支えられる。困惑した顔から真剣な表情をするネフリティスは大きな声で叫んだ。
「わたし……まだ、サフィールと一緒にいたい! 意思疎通していたけど、本当はニルとも話がしたかったし、グランツとフロワにも!」
呼び声へ応えるように淡い光が消えていき、薄くなっていた体は濃くなっていく。
くるくる回って確認する姿に思わず破顔するサフィールはニルの手を借りて起き上がった。
「あれ……? わたし、消えてない」
「新しい未練が出来ちゃったからじゃね?」
ニルの言葉で照れ笑いするネフリティスはあることに気づいた。今まで意思疎通していたせいでニル自身も気づいていない。
「えっ……なんか、目線が……合ってる?」
その一言でサフィールも変化に気付き、当人のニルは目を細めている。
そして、初めて目にするネフリティスを観察している様子で顎へ手を添えた。
「まぁ、そういう感じか」
「えっ? そういう感じって……どういう意味⁉」
意味深なことを言ってネフリティスの感情を弄ぶ男にサフィールはため息をつく。
思い返されるのは魔女の呪いを受けて一人でさまよいかけたことや、ネフリティスと出会い二人に変わって、ルベウスも増えて三人の旅が始まった少し前の出来事……。
あのときから、まだ数ヶ月しか経っていない現実は濃密で、かけがえのないものになっていた。
「ハァ……一気に疲れが出てきたな」
「えっ⁉ 大丈夫なの⁉」
相変わらず、純粋で真面目な年下の少女は眩しく輝いて見える。
心配してくれるネフリティスに優しく微笑むサフィールは、触れられないのを分かった上で片手を差し出した。
「……ああ、問題ない。せっかく見えるようになったんだ。ネフリティスの両親にも会いに行こう」
「……うん!」
照れた顔のネフリティスは満面の笑みを浮かべながら、軽く手を触れ合わせる。
青白く透き通った指先はサフィールの手と重なり合った。




