銀、夢、始まりの雄叫び。小さな歓喜。
季節は夏。読者の方々は「いっつも夏じゃねえか」と思うかもしれない。それもそのはず、この世界に時間の概念は存在しない。あるのはただ、キラキラキュピーンな女子高生と、ボケとツッコミだけなのである。
「今日も真綾ちゃんのツッコミは最高だね」
「何も言ってねえよ」
新学期初日、私と真綾ちゃんは登校中であった。私は歩くのが遅いから、先を行く真綾ちゃんと7キロメートルほど離れているが、それでも二人の絆が切れることはない。
ふと私が空を見上げると、広がる青空の中に、キラリと光る何かを見つけた。
「真綾ちゃん!UFOだよ!」
その輝く物体は、凄まじいスピードで私の足元に落ちてきた。そしてそれは轟音と共に、アスファルトを削った。その惨状に気がついたのか、真綾ちゃんが駆け足で私に近付く。
「なんか今、すごい音したけど大丈夫?」
「UFOが降ってきたんだよ!これは世紀の大発見!」
しかし、妙だ。これだけ奇妙な経験をしているにも関わらず、落下した物体は、私がよく知る形をしていた。
「……これ、UFOじゃない」
「まあそうだろうな」
「校長先生の銀歯だ」
「なんで分かるんだよ。ってか校長先生は大丈夫じゃないな」
これはきっと、仏陀が私に徳を積む機会をお与えくださったに違いなかった。私はその銀歯を丁寧にティッシュでくるみ、学校へ持っていくこととした。
***
新学期が始まったというのに、教員らはさも当然のごとく、始業式を執り行わんと宣っている。はたして校長先生の時間泥棒スピーチに、一体何の意味があるというのか。文字数の分だけ募金すれば、アフリカの子供たちが救われるってか?他所でやってくれ。私は私で募金する。
体育館に整列して呆けていると、早速校長先生が姿を現した。
『えー、早速ですが、今朝ですね、私の右奥の銀歯が、家出をしてしまいまして』
その言葉に、私は心当たりがあった。そして、それは真綾ちゃんも同じだった。
「これ、今朝のアレじゃね?」
「……教室に忘れてきちゃった」
「何やってんだよ!鞄の中か?」
「真綾ちゃんの机の中」
「陰湿ないじめかよ」
あまりにも大声で会話してしまったせいで、周囲の注目を浴びてしまった。更にあろうことか、校長先生が与太話を垂れ流しているというのに、他の生徒達は私達の漫才を欲し始めたのだ。
「どうしよう真綾ちゃん!街中でジャ○ーズが歩いてるときみたいな反応されてる!」
「騒いだせいだよ」
「これはM1グランプリ優勝候補の実力を見せつけるしかないよね!」
「エントリーすらしてないが?」
私は悲しみに暮れた。幼い頃、二人で誓ったM1優勝の夢。それを目の前の淫乱陽キャ女は、いとも簡単に捨ててしまったのだ。あんなに巨人阪神師匠をお慕いしていたというのに。
しかし、おかしい。真綾ちゃんは漫才の頂点を諦めたはず。それなのに目は死んでいない。それどころか、以前にも増して強く輝いている。
「そっか……真綾ちゃんは今でも日本一を目指してるんだね……」
「いや特には」
「でもきっと真綾ちゃんならインターハイでも優勝できるよ!私は信じてるから!」
「期待しないけど、一応どんな種目か訊いておく」
「きなこ丸呑み選手権・3キロ級」
「人間の所業じゃないな」
きなこ丸呑み選手権は、その名の通りきなこを丸呑みする選手権だ。用意された大量のきなこを、どれだけファビュラスかつまろやかに吸い上げられるかを競う、ギニアビサウで人気のスポーツである。
真綾ちゃんの将来に胸を膨らませていると、もともと大きな私のバストが更に大きくなってしまった。
「うーん、Fカップくらいになっちゃったな」
「どうみてもAAだけど」
前言撤回だ。真綾ちゃんは日本一のきなこ吸いストになれない。これは私のたわわなおっぱいを貶されたことによる怒りではない。真綾ちゃんの視力の問題である。
アスリートにとって視力低下は致命的だ。しかも眼前に広がる爆乳が一つも目に入っていないとなると、単なる視力の低下ではなく、何かしらの病気であると考えたほうが辻褄が合う。つまり真綾ちゃんは……
「白内障に、なっちゃったんだね……」
「愛理が魚眼レンズなだけだよ」
彼女の希望を尊重して心配してやったのにも関わらず、彼女は私を魚顔などと罵りやがった。許せん。私は真綾ちゃんの内くるぶしに虫刺されを作ることを決意した。
私が怒りで歯ぎしりをしていると、校長先生が大きく咳払いをした。流石に喋りすぎたかと、額に脂汗がにじむ。すると校長先生はゆっくりと口を開いた。
『魚は魚でも、武者小路さんはセルフィッシュですね!ははははは!』
「שתוק.」
校長先生の激寒ギャグに、私は鋭く美しいツッコミを入れる。その所作はどこか日本刀の凍てつくような刃に似ていて、人々の心を魅了した。或る者は喜び、沸き、或る者は嘆き、打ち拉がれる。なんの変哲もない体育館が、一瞬にしてフジロックの熱狂に包まれた。
「見える?これが電気グルーヴの力だよ、真綾ちゃん」
「始業式だけど大丈夫か?」
「みんなが思い思いに感情を吐き出してる。まるで全校生徒がピエールみたい!」
「それはアウト寄りのアウト」
真綾ちゃんが出したアウトサインを見て、私と校長先生は同時に頷いた。そう、攻守交代である。校長先生の話は「話が長い」「つまらない」とツーアウトだったが、私のカウンターピエールによって、ついにスリーアウトである。校長先生は悔しながら降壇し、私は意を決してステージへと向かう。
私がマイクの前に立つと、先ほど守備に回った校長先生が、ステージ裏の放送室へと駆け込むのが見えた。すると数秒ほど経ってから、聴き馴染みのある音楽が流れてくる。
「あれ、なんか聴いたことあるけど、この曲なんだっけ?」
首を傾げる真綾ちゃんは、きっと前クールのアニメを見ていないのだろう。今かかっているのは、インターネットの掲示板でも話題になった、前クール覇権アニメの主題歌である。美少女アニメをしゃぶり尽くすように観る真綾ちゃんにしては珍しいことである。
普通であればそんな彼女を見てほくそ笑むところであるが、私は宇宙の拡大速度を追い抜くスピードで寛大になれるから、彼女にそっと手を差し伸べた。
「これはベートーベンの交響曲4番だよ」
「へー、そうなんだ」
「ご○うさのオープニングだったのに」
「嘘でしかないじゃん」
ご覧いただけただろうか。これが醜き人間の思考である。人の温情を無碍にし、あまつさえ嘘つきだと罵る彼女の意地汚さには反吐が出る。私は報復として、真綾ちゃんを表参道のマネキンとすり替えることとした。2秒ほど前に始めた「マネキン=マーヤ作戦」のインターネット署名は、既に7億人を超えている。あとはこれを、徒歩2年かけて表参道のオシャンなブティックに渡すだけである。私は絶望する彼女の顔を思い浮かべて、悦に入った。
「大衆に晒される真綾ちゃん、カワイソ~!ぷぷぷ!」
「現在進行形で愛理が晒されてるけど」
何か負け惜しみを口走ったように見えたが、私には届かない。なぜなら私は、壇上で始業式を締めくくる準備を始めているからである。
そんな私の意図を察したかのように、最前列の生徒がコサックダンスを踊り始める。ベートーベンの次にかかったドビュッシーのダンスナンバーに合わせ、次第に全校生徒がコサックダンスの波に飲まれていく。その荘厳な様を目に焼き付け、私は壇上に正座した。
「真綾ちゃん、始めるよ」
「この状況で何をするんだよ」
「生け花」
「もう帰りたい……」
花の一本一本が持つ瑞々しさや力強さを、私は心血注いで表現する。鳴り響くピアノの音と、蠢くコサックの群れは、花々を引き立たせるにはこれ以上ない光景であった。あまりのダイナミックさに圧倒され、真綾ちゃんは最早言葉を発することすらできなくなっていた。
「……なにかが足りない」
出来上がった作品を見て、私はポツリと呟いた。しかし、そこに焦りはない。たった今手元にあるのは、真綾ちゃんからくすねたとっておきのカイエンペッパー。これさえあれば、この作品を更に力強く、そして艶かしく仕上げることができると確信していた。
私は震える手付きで、花びらの上にそれを置く。すると花びらは柔らかく沈み、危うくすべてが崩れそうになったが、なんとか持ち直す。生命力を感じずにはいられなかった。
「……手術成功です」
私がそう言って一息つくと、生徒達は声を合わせて歌い始める。そのけたたましい歌声に、私は思わず涙を流した。
「真綾ちゃん、聴こえる?祝福の歌だよ」
「だ○ご三兄弟にしか聴こえないが?」
私は溢れ出る涙を止めることができず、慌ててポケットからハンカチを取り出した。
すると、ハンカチに引っかかったなにかの塊が、小さな音を立てて床に落ちた。ステージに上って歓喜の田植えを行っていた校長先生がそれに気付き、慌てて近寄る。その塊をそっとつまみ上げた校長先生は、あっと驚いた顔でマイクの前に向かった。
奇っ怪な校長先生の行動に、困惑する生徒達。静寂とも言えぬざわめきがこの空間を取り巻く中、校長先生は泣きそうな顔で告げた。
『銀歯が……っ!見つかりました……っ!』
ほんの僅かな、無音。
そして、再び鳴り響く、歓声。
これほど歓喜が渦を巻く始業式を、私は体験したことがない。
つまり、もう夏なんですね。




