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ガール・ミーツ・ギャル  作者: 燕曽野 狩輝
2/6

手料理、友情、小さな約束。

 さっぱり分からない。私にはさっぱりだ。


「解けない、解けないよ……」


 私はノートのページを思い切り破り捨てた。ムシャクシャしてやった。紙があれば何でもよかった。今は反省している。


「どうして……たかが二次関数の問題なのに」


 妬ましさを含んだ私の呟きが虚空に消えて、それからほんの一瞬、背筋が凍った。恐る恐る隣を見てみると、真綾ちゃんが仲間にしてほしそうにこちらを見ている。しかも、ものすごい形相で。私は咄嗟に死を覚悟した。

 私が恐怖に打ち震えていると、壮年の男性教師が私を指名した。


「よし、じゃあこの文章を読め。武者小路」

「אני חתול.」


 教室内がざわついた。ヘブライ語なのになぜか通じている。案外喋ってみるもんだ。


「えっと、じゃあ武者小路はいい。じゃあ日向、読んでくれ」


 なんということであろうか。ここまでザッツライトな音読を披露させておきながら、コメントの一つも残さず真綾ちゃんにパスをするとは。当然、私は酷く憤慨した。しかし真綾ちゃんは私の怒りを嘲笑うかのように立ち上がり、教科書を読み始める。


「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると――」


 この時私は、とんでもないミスをしていることに気がついた。それを恥じるあまり頬が紅潮してしまい、周囲に夥しい量の熱を放出していた。しかし季節は夏。お天道様も嫌がらせのように人肌を照りつける時期に人間暖房とは、些か常人の考えとは思えない。私は咄嗟に鞄から富士の天然水を湛えた水筒を取り出し、勢いに任せ頭から中身をかぶった。その姿、まさに修験者の如し。しかし大胆かつ繊細な禊によって此の世に生を受けたのは天照大神などではなく、清らかな水をその身に受けて縒れてしまった、英単語練習ノートだけだった。


 四限目終了の鐘が鳴った。いつもであれば私は真綾ちゃんと弁当箱を携えて屋上へ行くが、今日はそちらへ向かわない。なぜなら同じクラスの小鞠川君が先日の放課後、屋上でバンジージャンプを決行しようとしているところが校長先生に見つかり、屋上は無期限封鎖となってしまったからである。私達の青春が早くも閉幕の危機だ。

 仕方なく私と真綾ちゃんはお互いの机をくっつけ、その上に弁当箱を置いた。


「今日の授業は恥ずかしかったなー」

「愛理、もうちょっと授業中は静かにしろ」

「えへへ、ごめんごめん」


 一体どの口が言っている。

そういえば何故この人は、私が国語の授業中に英語ノートを開き、数学の問題を解こうとしていたことに疑念を抱かないのだろうか。しかしそれは気にすることではない。弁当箱に鎮座するみじん切りのタコさんウィンナーがそう言っているのだ。


「それにしても、『高瀬舟』の音読で『吾輩は猫である』の冒頭を読んじゃうとは」

「内容以前に扱う言語を取り違えてたじゃねえか。てかヘブライ語じゃどっちにしろ分かんねえよ」

「だってあの先生、苗字で指名したんだもん」


 私が口を尖らせて弁当の中のなめ茸を口に運ぶと、真綾ちゃんはパックの野菜ジュースを鞄から引っ張り出し、それを一気に飲み干して教室の隅にあるゴミ箱に投げ捨てた。その遠投によって放物線を描くそれは、まるで隣国の弾道ミサイルのようにゴミ箱へと吸い込まれる。


「しかも咄嗟に喋ったヘブライ語がクラスに通じるとか、びっくりしちゃった」

「通じてねえし。普通に何語か分かんなくてざわついてただけだ。つーか咄嗟に喋るとか突然のバイリンガルキャラかよ」

「もう、真綾ちゃんは分かってないな」

「何が?」

「徹底的なキャラ付けは可愛らしさを追求する女の子の必修科目だよ」

「流暢なヘブライ語を操る女子高生に可愛げはねえから!」


 やはり彼女は可愛さの概念を履き違えている。きっとツインテールにおめかしして「きらきらきゅぴ~ん♡」などとボヤけば許されるとでも思っているのだろう。

 だが今はそれどころではない。友人の死が刻一刻と近付いてきているのだ。


「真綾ちゃん、またお昼ごはん食べないの?」

「面倒だし野菜ジュース飲んでるし、大丈夫でしょ」

「ばか!あの有名なカゴ○さんだって『一日の野菜不足を補うものです』って言ってるんだよ!不足を補うってことは、ある程度の摂取を自身で行わなければならないってこと!」

「お、おう、そうだな」

「それなのに野菜ジュースに身を委ねるって、もしそれで真綾ちゃんが体調を崩したらどうするの!『自分の体を健康にしてくれなかったカ○メさんのせいだ』とでも言うつもりなの?全く、責任転嫁もいいとこだよ!」

「わかったから。っていうかなんでウチが怒られてんの……」


 こういう輩には充分に注意を促してやらねばならない。所謂“筋トレしなくてもプロテイン飲んでりゃムキムキになると勘違いしている勢”の方々だ。彼女らの意見を尊重しつつ、より健康的な生活を送れるよう、エスコートする使命が私にはあるのだ。


「そんな真綾ちゃんに、今話題のとうもろこしご飯を作ってきたよ」

「へ?ああ、ありがとう」


 実は昨晩、家の炊飯器をジャックしてとうもろこしご飯を作っていたのだ。バターの塩味が丁度良く、とうもろこしの甘みも相まって非常に美味しい。勿論、本来の目的は真綾ちゃんの食生活改善にあるのだが、完成したご飯を見ていたら私も食べたくなってしまい、今日の朝に食べてきた。美味しかった。


「それで、学校に持って来られたのは一人前の量なんだけどね」


 私はそう言いながら、小さめの弁当箱を二つ取り出し、真綾ちゃんが使う割り箸をその上に添えた。


「待て、一人前なのになんで弁当箱は二つあるんだ。愛理は何を食うつもり?」


 愚問である。とうもろこしご飯の話をしているのに、何を食べるか分からないとは。彼女にはほとほと愛想が尽きたが、せめてもの温情として、私は自分が食べる分の弁当箱を手に取り、蓋を開けて中身を見せた。当然だが、中にとうもろこしご飯が詰められている。それを見た真綾ちゃんは再び首を傾げたが、私は彼女に呆れているから少しも気にならない。一体何を訝しんでいるのか。それは永遠の謎なのである。

 私は箸でご飯を掬い、口に運んだ。たまらなく美味。アダムの楽園追放で食したものが林檎ではなくとうもろこしご飯という噂は、あながち間違いではないようだ。


「あれ、どうしたの?真綾ちゃんもこれ食べて」

「嫌な予感しかしねえんだよな……」


 私がもう一方の弁当箱を差し出すと、彼女は顰め面でそれを受け取った。しかしいつまで経ってもその蓋を開けて食べようとしないから、私は自分のアイマスクを鞄から取り出す。


「しょうがないなー。じゃあ真綾ちゃんは目隠しして」

「出たよ、愛理の韓国のり風アイマスク。趣味悪いな」


 真綾ちゃんが嫌そうな表情を浮かべる。それが見ていられなくなり、私は力ずくで彼女にアイマスクを掛けた。それから真綾ちゃん用の弁当箱を開け、箸でそっと持ち上げて彼女の口元へと運ぶ。


「はい、真綾ちゃん。あーん」


 彼女は恥じらいながらも口を開けてくれた。そこにそっとご飯を置いたのだが、ここで私は自分が破廉恥であることに気付く。なんと真綾ちゃんに食べさせてあげた際に使用していた箸は、直前まで私が使っていたものだ。つまりこれは、自称黒髪カワイイ系女子と金髪ギャル系美少女の間接キスである。世が世ならば流刑だったが、なんとこの現代日本では合法。狂っているとしか思えない。ありがとうございます。

 さて、一口ほど食べてもらったからには、感想を聞かねば。


「どう、美味しい?」

「んー、とうもろこしの味と食感がしない」

「ほうほう、それで?」

「米は入ってる。あととうもろこしではない柔らかい何か」

「なるほど、それからそれから?」

「ほんのりカレー風味。米じゃなくて柔らかい何かに味付けされている」

「ふむふむ、つまりこれは?」

「……カレー風味ポップコーン混ぜご飯」

「ピンポンピンポン、だいせいかーい!」


 ――それから数分後、私は何故か正座で説教を受けていた。


「あんたはウチの食生活を気遣った」

「ええ」

「だから家でとうもろこしご飯を作り、学校へ持ってきた」

「はい」

「しかし朝に食べすぎたから一人前しか持って来られなかった」

「そうです」

「そしてあろうことか、その一人前を自分で食べて、肝心のウチに渡すご飯は思いつきと直感で朝に作った」

「左様でございます」

「つまり、これから数学の宿題を写す必要はない、と」

「すみませんそれだけは」

「あ゛?」

「いえ、仰る通りです……」


 昼休憩も間もなく終わる。それを知らせる予鈴が教室に響き渡った。


「はあ、もういいよ。許してやるから」


 真綾ちゃんの予想外の言葉に、私は目を丸くした。やはり持つべきものは友であると確信した瞬間であった。


「ごめんなさい」

「その代わり」


 私が小じんまりと謝ると、真綾ちゃんはにやりと口角を上げ、私を見た。


「明日は土曜日だから、いつものカフェがレディースデーで半額だ。意地でも連れて行くからな」

「……うん!」


 やはり持つべきものは友である。しかし恐らく、明日は私の奢りだ。

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