第4話 来てほしい日の数え方
八代澄江が売りたいのは、日曜日だった。
正確には、日曜日の夕方になると、玄関の音に耳を澄ませてしまう気持ちだと、本人は言った。
次の土曜日、朔が説明札の確認に店へ行くと、澄江はカウンターで手袋を脱いでいた。
「この子がいても構わないわ。若い人の意見も、聞いてみたいし」
灯子は朔にも確認した。朔は仕事を中断して、椅子を一脚離して座った。
「息子が、たまには顔を出すって言うの」
澄江は鞄から、四つ折りのカレンダーを出した。
「たまにって、何週間なのかしらね」
日曜日に小さな丸がついていた。来た日には丸の横に線があり、来なかった日には何もなかった。
「毎週来てほしいんですか」
朔が聞くと、澄江は顔をしかめた。
「仕事も家庭もあるのよ。そんなこと言えないわ」
「でも、本当は」
続きを言う前に、灯子が水のコップを置いた。
「八代さん、ご自分では、どう思われますか」
澄江は長く黙った。
朔は、もう答えは分かっている気がしていた。
寂しいのなら、息子に寂しいと伝えればいい。自分のように、売ってから困る前に。
それを言いたくて、膝の上で指を組んだ。
「毎週じゃなくてもいいの」
やがて澄江が言った。
「来ないなら、来ないと知りたいのよ」
朔は顔を上げた。
「日曜に出かけたら、留守にしてる間に来るかもしれないでしょう。だから家にいる。でも六時を過ぎると、買っておいた魚を一人で食べることになる」
「日時を決めることは?」
灯子が尋ねた。
「忙しいのに、決めさせたら悪いじゃない」
朔には、その言い方が分かった。
自分の予定を空けておくほうが、相手に何か頼むより簡単だった。
何時間待っても、自分が勝手に待っただけなら、誰にも迷惑をかけていないと思える。
灯子は白い紙を差し出した。
「今日、売りたい言葉を書いてみますか。書くだけで帰られても構いません」
澄江はしばらくペンを持ち、やがて置いた。
『来る日を、前もって教えてほしい。』
朔が予想していた文とは違った。
澄江も、紙を不思議そうに眺めていた。
「これくらいなら、言えるかしら」
「送る文を考えますか」
朔が言うと、澄江は首を振った。
「私の言い方でやってみる。変な文章だったら、そのとき見て」
朔はうなずいた。役に立てなかったようで、少し寂しかった。
店の窓の外を、買い物帰りの親子が通った。
小さい子が袋を持ちたがり、親が軽いほうを渡していた。
澄江はその様子を見て、ふっと笑った。
「昔、息子がパンを買って帰ってきたことがあったの。私が寝込んでた日」
誰に向けるでもなく言った。
「財布からお金を持っていって、好きな甘いパンを五つ。食事になるのかしらと思ったけど、嬉しかった」
澄江は膝の上で手袋を伸ばした。
「今も、来ると何か持ってきてくれるのよ。でも話す前に、冷蔵庫の中を見て、足りないものを買いに行ってしまう」
朔は聞いていた。
息子は母を放っているのではなかった。
自分に分かる形で気遣い、それが十分かどうかを確かめる時間がない。
「買い物は、自分で行けるんですか」
朔が聞いた。
「行けるわ。重い物は配達してもらってる。歩くのも好き」
澄江は少し胸を張った。
年を取った女性が寂しいと言っただけで、朔は生活全体を助けてもらう必要がある人のように想像していた。
彼女には映画へ行く友達も、使い慣れた店もある。
日曜日の約束が、一つうまく決まっていないだけだった。
「来たら、買い物より先にお茶を飲んでほしいって、付け足そうかしら」
澄江は白い紙の端へ、小さく書いた。
灯子は、その文を増やすことも減らすこともしなかった。
朔は新しい表示の見本を膝へ戻し、彼女が自分の文章を作るのを待った。
澄江はスマートフォンを取り出した。
文字を打つのに時間がかかった。変換を何度も戻し、日付をカレンダーで確認する。
灯子は待った。朔も、途中で手を出すのをやめた。
送信音は小さかった。
すぐには返事が来なかった。
「じゃあ、今日はこれを持って帰るわ」
澄江は白い紙を折り、財布にしまった。
小瓶は、棚から出されないままだった。
*
「伝えれば済むことだったんですね」
客が帰ったあと、朔が言うと、灯子はテーブルを拭く手を止めた。
「今日は、そうすることを選ばれました」
「売らなくてよかったです」
「それは、まだ分かりません」
朔は意外に思った。
「返事が来ないこともあります。言ったことで傷つく場合も。伝えるほうが必ずよいとは、私には言えません」
「じゃあ、何も言わないほうが」
「どちらかを選んで差し上げる仕事ではないんです」
灯子は、使わなかったペンを戻した。
「さっき、八代さんの言葉が出る前に、榎本さんの答えが出そうでした」
朔は視線を落とした。
相手の話を聞いたつもりで、自分が納得できる終わりを先に置いていた。
作業に戻ると、朔は説明札の見出しを一つ直した。
『売る前にすること』を、『売る前に確かめたいこと』へ。
順番を守れば正しい結果になるように、読めないほうがよかった。
灯子は修正を見て、うなずいた。
翌週、澄江はみかんを四つ持ってきた。
「第一日曜の三時。来られないときは金曜までに連絡。それでどうかって」
嬉しそうだったが、少し拍子抜けした顔でもあった。
「そんな約束でよかったのね」
息子は、母が日曜日を全部空けていたとは知らなかったという。
澄江のほうも、息子が突然寄れば喜ぶと思っていたとは知らなかった。
「次の日曜は、友達と映画に行くの」
朔がよかったですねと言うと、澄江はみかんを一つ押してよこした。
「まだちょっと寂しいわよ。月に一度か、とは思うもの」
その言い方が正直で、朔は笑った。
解決したから寂しくなくなるわけではなかった。
澄江が帰ったあと、朔は千帆との画面を開いた。
『この前、引っ越しのあと、何か一緒にするつもりだった?』
送るまでに、二分かかった。
千帆からは、少し遅れて返事が来た。
『ごはん作って食べようと思ってた。言えばよかったね』
朔は謝りかけ、それより先に日付を出した。
『来週の日曜なら行ける。昼か夜、どっちがいい?』
夕方、という返事だった。
約束は、それだけで決まった。
カウンターに戻ると、灯子が古い台帳を閉じるところだった。
「榎本さん。次回、身分証を持ってきていただけますか」
「給料の手続きですか」
「それもありますが」
灯子は一度言葉を切った。
「お名前を確認して、お渡しできるものがあるかもしれません」
朔は自分の瓶を思い浮かべた。
灯子は、そちらの引き出しを見ていなかった。




