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あなたの「大丈夫」、買い取ります  作者: きびだんご


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20/24

第20話 返事はいりませんの、その先

 律から、会いたいと連絡が来た。

 場所は、最初に会った喫茶店だった。

 今度は一時間あるという。

 朔はその一時間に、何を期待してよいのか分からなかった。


 律は小さな紙の束を持ってきた。

 八ページの白い見本だった。表紙には鉛筆で『帰り道』とだけ書いてある。

「続けるなら、ここからにしたい」

 律は机へ置いた。

「十部。公開は確認してから。販売の予定は、今は入れない」

「うん」

「締め切りを決めるなら、二人で決める。できないと分かった時点で言う」

 朔は一つずつメモした。

「俺からも、いい?」

「どうぞ」

「返事を待てる期限があるときは、最初に書く。その時間まで返事がなければ、申し込まないとか、進めないとか、先に決めたい」

 律は考え、うなずいた。

「それなら分かる」

 前の自分なら、相手が返事をくれれば済むと思っただろう。

 待つ側にも、勝手に進めないための決め方があった。


 話が一区切りつくと、律は鞄から店の案内を出した。

 移転のお知らせだった。

「これ、お前が作った?」

「うん。仕事で」

「読みやすかった」

 朔は礼を言った。

 紙の端を見つめ、返却の話をこちらから出さないようにした。


「瓶は、戻さない」

 律のほうから言った。

 朔は顔を上げた。

「改めて考えた。でも、今は戻したくない」

「そっか」

 喉の奥が少し詰まった。

 その感覚を、頷いた顔で隠しきろうとはしなかった。

「少し、寂しい」

 律が黙った。

「でも、それを戻す理由にしてほしいって意味じゃない」

 朔はゆっくり言った。

「俺のほうの気持ちとして、そう思った」

 律はしばらくして、うなずいた。

「分かった」


 コーヒーが来た。

 律は今回は砂糖を一袋入れた。

 甘いものを完全にやめたのだと勝手に思っていた朔は、その動作を見て少し笑った。

「何?」

「いや。前、入れなかったから、もう飲まないんだと思ってた」

「今日は入れたい」

「そうだよな」

 たったそれだけのことでも、人を固定したまま見ている自分がいた。


「封筒の文、まだ持ってる?」

 律が聞いた。

「持ってる」

「返してほしいとかじゃない。あの、返事はいりませんってやつ」

 律はカップを回した。

「今は、返事を聞いてもいいと思ってる」

 朔は鞄から封筒を取り出した。

 何度も開いたので、端が柔らかくなっていた。


「何を聞きたい?」

「朔が、あのとき何を思ってたのか」

 朔は記憶を確かめた。

 自分をよく見せるために、忙しかった話だけで埋めたくなかった。

 でも、相手を傷つけた側だからといって、自分の当時の事情を全部消すのも違った。


「就職が決まらなくて、怖かった」

 朔は言った。

「何か一つ失敗したら、全部駄目になる気がしてた。律のことは、俺より先へ行ってると思ってた」

「絵が描けたから?」

「それも。困ってても、最後は自分で何とかする人だと思ってた」

「何とかしてるふりは、してた」

「俺も、そのふりを信じるほうが楽だった」

 朔は指を組んだ。

「来られるかって聞かれたとき、本当は少し、別の話かもしれないと思った。でも、聞いたら自分にできないことを頼まれるかもしれなくて、冊子の話にした」

 初めて、そこまで言えた。

 知らなかっただけではなかった。

 知るのが怖かった部分もあった。


 律はすぐには答えなかった。

 店の奥で、皿の触れ合う音がした。

 朔は沈黙を埋めずに待った。


「それは、今聞くと、腹立つな」

 律が言った。

「うん」

「でも、言ってくれてよかった」

 相反する二つの言葉を、朔はそのまま受け取った。

 律は怒っていて、同時に話せたことをよかったと思っている。

 どちらか一つに整理しなくてよかった。


「俺も、助けてくれるなら分かるはずだって、期待してた」

 律は続けた。

「言わなくても分かる相手だと思いたかった。でも、お前に全部分かってもらうことと、必要な手伝いを頼むことは、別だった」

 朔はうなずいた。

 どちらの責任が何割かという話にはならなかった。


     *


 朔は、自分も人に読んでもらいたかったのだと話した。

 イベントの申し込みをした本当の理由の、一部だった。

 律は少し驚いたようだった。

「それなら、先に言ってくれればよかった」

「うん。お前が喜ぶと思ったって言ったほうが、言いやすかった」

「俺のためみたいにされると、断りにくい」

「そうだよな」

 朔は頷いた。

 善意に見える説明は、相手の断る場所を狭くすることがある。

 自分の希望として言えば、自分で返事を受け取らなければならない。


「読んでもらうこと自体は、俺も嫌じゃない」

 律は見本をめくった。

「ただ、まだ見せる相手を選びたい。十部作って、載せた店とか、知ってる人に渡してみたい」

「それでいい」

「本当に?」

 朔は少し考えた。

 もっと広い場所へ出したい気持ちはある。

 それをなくしたことにするのも、また別の嘘だった。

「俺の希望はもう少し先まである。でも、この本は二人で作るから、今は十部でやりたい」

 律はうなずいた。

「それなら分かる」

 同じ気持ちになる必要はなかった。

 違ったまま、今回はどこまでやるかを決められた。


 会計の前に、律が封筒の手書きの文をもう一度見た。

「それ、作品には使わないでほしい」

 朔は顔を上げた。

「使うつもりはなかった。でも、確認してくれてありがとう」

「今の話も。どこかへ出すなら、先に聞いて」

「うん」

 自分に届いた手紙だからといって、そこに書かれた人の気持ちを、自由に使えるわけではない。

 朔は冊子の題材を、町の具体的な風景から選んだことを、今はよかったと思った。

 自分たちの関係を人に見せて、完成したものにする必要はなかった。


 帰り際、二人は冊子のためにすることを確認した。

 朔は文章の見直しと、店への掲載確認。

 律は絵とページの組み方。

 印刷の注文は、二人で最終データを見るまでしない。

 次の連絡は、一週間後。

 決まったことを、短い文にして互いの画面へ残した。


「昔みたいには、ならないかもしれない」

 店の外で、律が言った。

 朔はすぐに否定しなかった。

「うん」

「それでも、作ってみたい」

「俺も」

 信号が変わった。

 今度は二人とも同じ駅へ向かったが、ホームでは別の方向へ分かれた。


 朔は電車の中で、封筒の鉛筆の文字を見た。

 返事はいりません。

 消してはいけないと思った。

 あのときの律には、その一行が必要だった。

 だから、新しい紙を一枚入れた。

『返事を聞いてもいい。』

 その日の言葉を、日付と一緒に書いた。

 古い気持ちを塗りつぶさずに、新しいものを隣へ置いた。

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