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あなたの「大丈夫」、買い取ります  作者: きびだんご


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第16話 戻せないほうの時間

 朔は、律へ送る謝罪文を六回書き直した。

 長く書くと、努力したことを説明してしまう。

 短くすると、何を悪かったと思っているのかが伝わらない気がする。

 最後には、また自分の気持ちだけがぎっしり詰まった文章になった。


『お前に楽しく描いてほしかった。俺も今度こそちゃんと』

 そこで手を止めた。

 律が今読みたいのは、自分の決意だろうか。


 店へ行くと、灯子は古い本の背を外していた。

 営業時間にはまだ少し早かったので、朔は外で待った。

 中から気づいた灯子が戸を開けた。

「相談なら、六時からです」

「待ちます」

 駅のベンチへ戻ろうとすると、灯子が雨の予報を教えてくれた。

 以前なら店に入れてもらえなかったことを、嫌われた証拠のように受け取ったかもしれない。

 今も少しそう思った。

 ただ、店主にはまだ別の仕事がある。


 六時に戻り、経緯を話した。

 灯子は謝罪文を見なかった。

「こちらで正解を作ることはできません」

「分かってます」

「怒っていますか」

 朔は顔を上げた。

 自分では、反省しかしていないつもりだった。


「……少し」

 言うまでに時間がかかった。

「何もかも俺が間違ったって言われてる気がして」

「律さんは、何もかもと言いましたか」

「言ってません」

 朔は鞄の持ち手を握った。

「俺だって、頑張ってたんです。でもそれ言ったら、言い訳になる」

「頑張ったことと、許可を待たなかったことは、両方あります」

 灯子は朔が作った札を指した。

「この仕事は、頼んだ範囲で終えていただきました。助かりました。それは今回のことで消えません」

 朔は目を伏せた。

 失敗すると、全部が駄目になる気がした。

 だから早く、次のいいことをして埋めたかった。


「律の本音を戻せたら、話しやすくなるんじゃないかって思います」

 言った瞬間、灯子の表情が変わった。

 怒りというより、はっきりとした警戒だった。

「それを、ご本人に伝えましたか」

「まだ」

「返却は、榎本さんとの関係を直すための手段ではありません」

「分かってるつもりです」

「今は、分けて考えたほうがよいと思います」

 いつもより強い言い方だった。

 朔は顔が熱くなった。

 自分の悪いところを見つけるたび、もっと深いものが出てくる。


「三年前の時間は、買い戻せません」

 灯子はゆっくり言った。

「本音が戻っても、その後に築いた暮らしも、今日の怒りも、なくなりません」

 朔は返事ができなかった。

 昔の律へ戻ってくれれば、自分の知っているやり方で付き合える。

 そんな願いが混じっていたことを、認めるほかなかった。


     *


 帰り道、朔は謝罪文を全部消した。

 最初から書き直すのではなく、今日は送らないことにした。

 律は制作を止めたいと言っていた。

 何も送らないことが見捨てることになるのでは、と怖かったが、相手の言葉には休止が含まれていた。


 ノートには、別に一つの文を書いた。

『俺も、自分の文章を人に見せたかった。』

 律を喜ばせたかったという説明の下に隠れていた、自分の希望だった。

 声に出してみると、思ったほど恥ずかしい言葉ではなかった。

 それを最初に言えば、律は断ったかもしれない。

 自分の文章だけで出してみたら、と言ったかもしれない。

 相談すればいくつかの道があったのに、朔は共同作品で出る一つの形しか見ていなかった。


 主催者への連絡を書くとき、その事情を長く説明したくなった。

 でも、相手に必要なのは自分たちの過去ではなく、出るのか出ないのか、他の人へ枠を渡せるのかということだった。

 朔は理由を一文に絞った。

 先に申し込んだ責任は、自分にある。

 律が難色を示したから、とは書かなかった。


 送信後、机の隅から最初の見開きを出した。

 自分の文章だけを読み直す。

 好きなところも、うまく書けていないところもある。

 律との関係が戻らなくても、この文章を書いた時間まで消えるわけではない。

 自分の希望を持つことと、それを誰かに実現してもらうことを、分けなければならなかった。


 いつか文章だけを別の場所へ出すこともできる。

 今は、何かへ応募して埋め合わせをする日ではない。

 朔は見開きを封筒へ戻した。

 消して罰することも、急いで人に見せて褒めてもらうことも、今日はしない。

 自分の作ったものを、自分の部屋に置いておくことから始めた。


 代わりに、申し込みの控えと取消しの連絡を一つのフォルダへ保存した。

 主催者へは礼と謝罪を返し、手数料を振り込んだ。

 律の絵は公開していない。告知の画像も作っていない。

 自分が勝手に広げた範囲を、実際に片づけた。

 反省していると伝えることより、先にできる仕事だった。


 週末、律から短い連絡が来た。

『来週、十五分だけ電話できる』

 朔は、指定された時間を確認して返した。

 謝る準備ではなく、話を聞く準備をしたかった。

 ノートには、言い訳にしそうなことを先に書いた。

 締め切りだった。

 費用は自分が出すつもりだった。

 喜ぶと思った。

 どれも、相手の同意の代わりにはならなかった。


 電話で、律はまず、制作を完全にやめるかは決めていないと言った。

「今すぐ結論を聞かないでほしい」

「分かった」

「それと、俺が怒ったのは、三年前のことの続きだけじゃない。今、決めたことを変えられたから」

「うん」

 朔はノートの端に、『今』と書いた。

 昔の傷のせいで相手が怒っているのだと思えば、今の自分の行動から少し逃げられる。その逃げ道を、律は閉じた。


「約束した部数と、公開しないって話を、俺が勝手に変えた。ごめん」

 朔はそれだけを言った。

 律はしばらく黙った。

「分かった」

 許した、とは言わなかった。


 十五分になる前に、律が尋ねた。

「お前、最近ちゃんと寝てる?」

「まあ」

「その返事、昔から変わらないな」

 笑いはなかった。

 朔は寝る時間を思い返した。

 会社の仕事、店のこと、冊子の原稿、律への文章。

 眠る前の三十分を、いつも何かで埋めていた。

「短い」

「そっか。俺はそこまで面倒見られないから、自分でも何とかして」

 突き放されたように感じた。

 しかし、言葉をそのまま聞くなら、律は自分にできる範囲を伝えているだけだった。


 電話を切ったあと、朔は部屋の明かりを一つ消した。

 今夜は、原稿を開かなかった。

 眠れば許してもらえるわけではない。

 それでも、自分の体を罰するように起き続けることは、謝罪ではなかった。

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