↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの「大丈夫」、買い取ります  作者: きびだんご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/24

第15話 八ページの約束

 冊子は八ページにすることになった。

 銭湯のタイルと、閉店後のパン屋の窓。

 絵を二点、文章を二本。

 表紙と奥付を加えても、白い余白を残せる長さだった。


 朔と律は、駅前の貸し会議室を一時間だけ借りた。

 喫茶店で紙を広げるのは気が引けるし、どちらかの家だと終わりが曖昧になる。

 部屋には長机が二つと、少し乾いたホワイトボードがあった。

 朔は持参した紙を並べた。

「部数は二十でどう?」

「まず十でもいい」

「そうか」

 朔はメモの二十を消し、十と書いた。


 律は予算の上限を決めたいと言った。

 印刷と紙代を合わせ、二人で出せる金額を確認する。製本所の機械は勝手に使えないので、少部数を受ける店へ頼む。

 売るかどうかも、まだ決めない。

 銭湯の夫婦とパン屋には、載せる内容と絵を事前に見せる。

 同意を得られないものは使わない。

 確認することは多かった。

 昔なら面倒だと飛ばしていた話が、今は冊子の輪郭を作っていた。


「タイトル、帰り道でいい?」

 朔が聞くと、律は少し考えた。

「同じでもいいけど、前の続きみたいにするのは嫌だ」

「じゃあ、一号とかつけないでおく」

「うん」

 表紙に小さく『帰り道』と書いた。

 その下には二人の名前ではなく、まず絵の位置を四角で示した。

 名前はあとで決めればよかった。


 会議室を出ると、律は仕事へ向かった。

 朔はその場でメモを清書した。

 決まったことが少ないのに、妙に嬉しかった。

 昔の二十四ページの計画より、八ページのほうが、今の二人に似合っていた。


     *


 問題は、その二日後に来た。

 千帆が見つけてくれた商店街の即売会で、キャンセルが一枠出たという。

 前に律が設営を手伝っていた、小さなイベントだった。

 出展料は安く、長机の半分を借りられる。

 申し込みの締め切りは、その日の夜だった。


 告知には、昨年の会場の写真が載っていた。

 机の上に並ぶ小さな本と、それを手に取る人たち。

 朔は画像を拡大した。

 知らない誰かが、自分たちの本を読んでいるところを想像した。

 その人がページを戻し、もう一度絵を見る。

 いいですね、と言う。

 律が横で笑う。

 そこまで、都合よく思い浮かんだ。


 仕事では、人の名前で出る紙を毎日作っている。

 担当として役に立っても、自分が何を好きで作ったかは、外へ出ない。

 今回は、自分の名前が入る。

 そのことを嬉しく思ってはいけない気がして、朔はずっと、律と関係を直すために作るのだと説明していた。

 本当は、読んでもらいたかった。

 自分の文章を、知り合い以外にも手に取ってほしかった。

 悪い願いではないはずだった。

 けれど、その願いを律へ言うのは、まだ怖かった。


 売れなければどうするのか。

 面白くないと言われたら。

 そもそも律は、人へ見せることを今したいのか。

 そこを話す前に、会場の枠だけを取れば、現実のほうが先に動いてくれる。

 そう思ったことを、朔はそのときは認めなかった。

 締め切りという外側の理由があれば、自分の望みを説明しなくても済む。

 急ぐ必要があるのだから仕方ない。

 そう考えると、迷いは手続きの問題に変わった。


 申し込み画面には、活動歴を書く欄があった。

 朔は『初めての冊子です』と入れた。

 たったそれだけで、何かが始まった気がした。

 律へ相談する前に、その気持ちを味わってしまったことが、後から最も言いにくい部分になった。


 朔は告知を律へ転送した。

『これ、出てみない?』

 既読はつかなかった。

 律は勤務中だろうと思った。

 主催者に問い合わせると、枠が少ないので確約はできないが、今なら申し込めるという返事が来た。

 朔は予定表を開いた。

 六週間後の日曜日。自分は休みだった。


 先に場所だけ確保しておけばいい。

 律が来られなくても、自分が店番をすればよい。

 出展料も自分が払えば、相手に損はない。

 そう考えると、申し込みは親切な段取りに見えた。


 出展名の欄に『帰り道』と入れた。

 内容は、町の風景を描いた小冊子。

 部数は、十では少なすぎる気がして三十と書いた。

 すぐに作る必要はない。申し込みの目安だ。

 送信したあと、胸が弾んだ。

 この機会を逃さなければ、二人で何かを完成させられる。


 夜、律から返信が来た。

『その日は父親の面会。出展はまだ早いと思う』

 朔は、申し込み済みであることを伝えた。

『場所だけ取った。店番は俺でいいし、費用も出すから』

 しばらくして、律から電話がかかってきた。


「何で先に申し込んだ?」

「締め切りだったから」

「返事、待てなかった?」

「埋まったらもったいないと思って」

 言いながら、朔は自分の声が言い訳になっていくのを感じた。

「でも、お前に無理して来てくれって話じゃなくて」

「俺の絵を売るかどうかも、決まってない」

「売らなくても、置くだけなら」

「そういう話じゃない」

 律の声は低かった。

 電話越しでも、怒っていると分かった。


 朔は台所の椅子に座った。

「三十部も勝手に?」

「申し込み欄の数字で、絶対じゃない」

「十部からって話したよな」

「分かってる。変更できる」

「じゃあ、何で変えたんだよ」

 朔には、うまく答えられなかった。

 少ないより多いほうが喜ばれる。

 決めないより決めたほうが前に進む。

 そういう考えを、自分はまだ手放していなかった。


「俺、今の生活の中でできる範囲を決めたかった」

 律が言った。

「また、期待に合わせて増やすのは嫌なんだ」

「分かった。取り消す」

「まず、相手に確認して。できるかどうかも分からないのに、すぐ約束しないで」

 朔は目を閉じた。

 謝るために、新しい約束をまた無造作に置いていた。


 電話が切れたあと、朔は主催者へ連絡した。

 共同制作者の確認前に申し込んだこと、作品の使用許可が未確定なことを説明し、辞退を申し出た。

 返事は翌朝だった。

 枠は次の希望者へ回す。事務手数料だけ差し引く。

 主催者の文章は丁寧だったが、確認後に申し込むよう一文が添えられていた。

 朔はそれを消さず、律へ共有した。


『取消しできた。先に決めてごめん。差額は俺が払う』

 送信すると、短く返ってきた。

『確認した。制作はいったん止めたい』

 朔はスマートフォンを持ったまま、動けなくなった。


 せっかく、と思ってしまった。

 せっかくまた話せるようになったのに。

 せっかく作ろうと言ってもらえたのに。

 その言葉の主語が、自分ばかりであることも分かっていた。


 机の上に、八ページの見本があった。

 部数十、と書いた自分の文字。

 あの日は本当に、その数字を大切にするつもりだった。

 間違いに気づいたあとも、次の場面で同じ間違いをする。

 自分がそんなに簡単には変わらないことが、朔は初めて怖くなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。