強敵、手を組む
買取所の前に、荷車の列ができていた。
朝の光を浴びて村の男たちが藍の束を運び込んでくる。荷を検める声、銀貨を数える音、釣り銭を受け取る老婆の礼。ひと月前まで、この広場は死んだように静かだった。
渋沢は館の窓から、その賑わいを見下ろしていた。
(ようやく、音が戻ってきた)
王都から馬車で三日。ガルムと手を握って十日が過ぎていた。
「殿」背後でゼーバルトの声がした。「王都から、二度目の便りが届きました」
「金は、動きましたか」
「はい。関所が開いたそうにございます」老執事の声が震えていた。「街道で三度も突き返された藍玉が、今度は何の咎めもなく王都へ。問屋がそのまま買い取りました。代金の手形が、たった今、蔵に届いております」
「いくら戻りました」
「銀貨に直して、四千枚。……蔵の金が、封鎖の前より増えております」
渋沢は静かに頷いた。
「これで、当座は凌げますな」
「凌ぐ、どころでは」ゼーバルトが目元を拭った。「殿。手前は、長くこの家に仕えてまいりました。先代の頃は、蔵の金が増えても領はやせ細る一方で。……金が戻って、なお民が笑うのを見るのは初めてにございます」
渋沢は答えず、また窓の外へ目をやった。
(金は、天下の回り物。……ようやく、回り始めた)
と、門のほうが騒がしくなった。立派な馬車が一台、買取所の脇に停まっている。降りてきたのは、見覚えのある男だった。
「お久しゅうございます、男爵閣下」
商会の番頭、ロランだった。ひと月前、この館で藍玉の販路を封じると告げた、あの男である。
ボルツが素早く渋沢の前に立った。だがロランは両手を広げ、敵意のないことを示した。
「本日は、封じに来たのではございません」ロランは苦笑した。「その逆でして。総帥ガルムの名代として、通行の証文をお届けに上がりました。これよりブルーメンタールの藍は、どの関所も素通りにございます」
差し出された証文に商会の重々しい印が押されていた。
「わざわざ、あなたが」
「はい。……手前がこの手で封じた道を、この手で開けて来いと。総帥の趣向にございます」ロランは肩をすくめた。「性根の悪いお方だ。ですが、」少し声を落とした。「閣下。手前は長く商会におりますが、総帥があれほど楽しげに商談を語るのを、久しく聞きませんでした。……あなたは、いったい何をなさったので」
「何も」渋沢は微笑んだ。「ただ『一緒に儲けましょう』と申し上げただけです」
ロランはしばらく渋沢を見つめ、それから深々と頭を下げて去っていった。
*
昼過ぎ、ニケが館を訪ねてきた。
近隣の村を束ねて回ったあの日から、彼女はすっかり村の顔役になっていた。今日は一人ではない。後ろに、見慣れぬ村人が数人、遠慮がちに立っている。
「近くの村の連中だ」ニケが顎で示した。「あんたに、礼を言いたいってさ。……あたしは、別に礼なんか言わないけどね」
「藍は、売れていますか」
「売れてるよ。売れすぎて、困ってる」
「困る」
「そうさ」ニケは腕を組んだ。「藍がこんなに売れるなら、もっと作りたい。畑を広げて、藍を寝かせる甕も増やしたい。……けど、甕ひとつ据えるにも金が要る。うちの村じゃ、とても足りない。どこも同じさ」
ニケの後ろで、村人たちが力なく頷いた。
「なあ、領主さま」一人の老人が、おずおずと口を開いた。「お館の蔵から、金を貸してはもらえんかね。畑を広げた分は、藍で必ずお返しする。……虫のいい話だとは、承知の上だが」
渋沢は少し考えた。
(貸してもいい。だが、貸せばそれきりだ)
「金なら、お貸しできます」渋沢は言った。「ですがその前に、面白い話を一つしましょう」
彼は卓に小さな木の椀を伏せて並べた。束ねた村の数だけ、六つ。
「一つの村では、甕は買えない。ではもし、六つの村が銅貨を一枚ずつ、この椀に出し合ったとしたら」
渋沢は椀を一つずつ真ん中へ寄せていった。六つが、一つの山になる。
「一村では買えぬ甕も、六村で持ち寄ればいくつも買える。加工場も建つ。……そうして稼いだ儲けを、出した銅貨の数だけ皆で分ける」
「……待ちな」ニケが眉を寄せた。「それじゃあ、金を出した奴らでひとつの畑を持つってことかい」
「そのとおりです」渋沢の声が、少し早くなった。「畑も、甕も、加工場も、皆のもの。一人の金持ちが抱え込むのではなく、皆が少しずつ持ち主になる。出した銅貨は、いわばその持ち分の証し——」
(合本だ)
言いかけて渋沢は口をつぐんだ。村人たちがぽかんとしている。ニケだけがじっと椀の山を見ていた。
「……あんた」ニケが呆れたように言った。「また、変なこと考えてる顔してる」
「そうですか」
「そうさ。商機を見つけた時の、その顔。何度も見たよ」ニケはふっと笑った。「まあ、いいさ。あんたの変な思いつきは、いつも当たるからね。詳しく、聞かせてもらおうか」
渋沢は微笑んだ。
(種は、蒔きました。あとは、芽が出るのを待つだけです)
*
その夜、渋沢は館の物見台に立っていた。
空は深い藍色に暮れていた。眼下の広場では、まだ荷の積み下ろしが続いている。松明の灯りがいくつも揺れていた。
足音がした。ボルツだった。街道の護衛から、たった今戻ったところらしい。埃にまみれ、腰の剣に手をかけている。
「街道は、どうでした」
「静かなものだ」ボルツは言った。「盗賊の一味が、藍の荷を狙って出たがな。俺たちが叩き伏せた。荷は、一束も欠けておらん」
「ご苦労さまでした」
ボルツはしばらく黙って、広場の松明を見下ろしていた。
「……妙な気分だ」やがて、低く言った。「俺はこの剣で長いこと、奪うことばかりしてきた。先代の下では年貢を取り立て、逆らう者を斬った。それが、剣の使い道だと思っていた」
彼は腰の剣にそっと手を置いた。
「今日、俺はこの剣で、村の藍を守った。……剣で人の暮らしを守れる日が来るとは、思わなんだ」
「剣は、道具です」渋沢は静かに言った。「奪うのにも使えるし、守るのにも使える。……どう使うかは、握る人が決めることです」
ボルツは答えなかった。ただ、剣から手を離し、深く息を吐いた。その背から、長いあいだ張り詰めていた何かが、抜けていくように見えた。
「半年の猶予は、もう要らんと言ったな」ボルツが、ふと言った。「あれは、取り消す」
「取り消す」
「半年では、短すぎる」武骨な男が、初めて、笑うような声を出した。「あんたのやることを最後まで見届けるには、一生あっても足りん。……そう思い直した」
渋沢は、深く頷いた。
ボルツが去ったあと、渋沢は一人で藍色の空を見上げた。
(藍が、王都へ流れ始めた。強敵は、仲間になった。剣を持つ男は、守る側に回った)
(——だが、これはまだ始まりに過ぎません)
昼間、卓に伏せた六つの椀。それを真ん中へ寄せた景色が、まだ目の裏に灼きついていた。
(皆で少しずつ、出し合う。一人では起こせぬ事を、皆で起こす。……この世界に、それが根づいたなら)
(奪い合うばかりの世が少しずつ、分け合う世に変わっていくかもしれません)
広場の松明が、ひとつ、またひとつと消えていく。一日の商いが、終わろうとしていた。
明日もまた、荷車の列ができるだろう。
渋沢は深く息を吸った。藍の匂いが夜風に混じっていた。
(さあ——次は、いよいよ皆で稼ぐ番です)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
第7話は、大きな山を越えたあとの「決着と和解」の回です。ガルムとの会見が終わり、封じられていた街道が開く。かつて封鎖を告げに来たロランが、今度は通行証を届けに来る——この立場の反転を、どうしても書きたいと思っていました。
今回いちばん仕込みたかったのは、椀を寄せるところです。渋沢栄一が生涯をかけて広めた「合本主義」——今でいう株式会社の考え方です。一人では起こせない事業も、皆が少しずつ資本を持ち寄れば起こせる。彼の本当のチートは、剣でも魔法でもなく、この「みんなで出し合う」という仕組みそのものでした。あえて「合本」という言葉はニケたちに聞かせず、椀を寄せる手つきだけで見せています。芽が出るのは、次の話です。
ボルツが「剣で人の暮らしを守れる日が来るとは思わなんだ」と言う場面も、書いていて胸が熱くなりました。奪う道具だった剣が、守る道具に変わる。武力の世界で生きてきた男が、渋沢の背中を見て少しずつ変わっていく。彼の「一生あっても足りん」の一言は、キャラが勝手に言ってくれた台詞でした。
次話はいよいよ、第1章の締めくくり。怯えていた広場が、どんな景色に変わっているのか。そして蒔いた種が、どんな芽を出すのか。どうぞお楽しみに。
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