表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/24

強敵、手を組む

 買取所の前に、荷車の列ができていた。


 朝の光を浴びて村の男たちが藍の束を運び込んでくる。荷を検める声、銀貨を数える音、釣り銭を受け取る老婆の礼。ひと月前まで、この広場は死んだように静かだった。


 渋沢は館の窓から、その賑わいを見下ろしていた。


(ようやく、音が戻ってきた)


 王都から馬車で三日。ガルムと手を握って十日が過ぎていた。


「殿」背後でゼーバルトの声がした。「王都から、二度目の便りが届きました」


「金は、動きましたか」


「はい。関所が開いたそうにございます」老執事の声が震えていた。「街道で三度も突き返された藍玉が、今度は何の咎めもなく王都へ。問屋がそのまま買い取りました。代金の手形が、たった今、蔵に届いております」


「いくら戻りました」


「銀貨に直して、四千枚。……蔵の金が、封鎖の前より増えております」


 渋沢は静かに頷いた。


「これで、当座は凌げますな」


「凌ぐ、どころでは」ゼーバルトが目元を拭った。「殿。手前は、長くこの家に仕えてまいりました。先代の頃は、蔵の金が増えても領はやせ細る一方で。……金が戻って、なお民が笑うのを見るのは初めてにございます」


 渋沢は答えず、また窓の外へ目をやった。


(金は、天下の回り物。……ようやく、回り始めた)


 と、門のほうが騒がしくなった。立派な馬車が一台、買取所の脇に停まっている。降りてきたのは、見覚えのある男だった。


「お久しゅうございます、男爵閣下」


 商会の番頭、ロランだった。ひと月前、この館で藍玉の販路を封じると告げた、あの男である。


 ボルツが素早く渋沢の前に立った。だがロランは両手を広げ、敵意のないことを示した。


「本日は、封じに来たのではございません」ロランは苦笑した。「その逆でして。総帥ガルムの名代として、通行の証文をお届けに上がりました。これよりブルーメンタールの藍は、どの関所も素通りにございます」


 差し出された証文に商会の重々しい印が押されていた。


「わざわざ、あなたが」


「はい。……手前がこの手で封じた道を、この手で開けて来いと。総帥の趣向にございます」ロランは肩をすくめた。「性根の悪いお方だ。ですが、」少し声を落とした。「閣下。手前は長く商会におりますが、総帥があれほど楽しげに商談を語るのを、久しく聞きませんでした。……あなたは、いったい何をなさったので」


「何も」渋沢は微笑んだ。「ただ『一緒に儲けましょう』と申し上げただけです」


 ロランはしばらく渋沢を見つめ、それから深々と頭を下げて去っていった。


     *


 昼過ぎ、ニケが館を訪ねてきた。


 近隣の村を束ねて回ったあの日から、彼女はすっかり村の顔役になっていた。今日は一人ではない。後ろに、見慣れぬ村人が数人、遠慮がちに立っている。


「近くの村の連中だ」ニケが顎で示した。「あんたに、礼を言いたいってさ。……あたしは、別に礼なんか言わないけどね」


「藍は、売れていますか」


「売れてるよ。売れすぎて、困ってる」


「困る」


「そうさ」ニケは腕を組んだ。「藍がこんなに売れるなら、もっと作りたい。畑を広げて、藍を寝かせる甕も増やしたい。……けど、甕ひとつ据えるにも金が要る。うちの村じゃ、とても足りない。どこも同じさ」


 ニケの後ろで、村人たちが力なく頷いた。


「なあ、領主さま」一人の老人が、おずおずと口を開いた。「お館の蔵から、金を貸してはもらえんかね。畑を広げた分は、藍で必ずお返しする。……虫のいい話だとは、承知の上だが」


 渋沢は少し考えた。


(貸してもいい。だが、貸せばそれきりだ)


「金なら、お貸しできます」渋沢は言った。「ですがその前に、面白い話を一つしましょう」


 彼は卓に小さな木の椀を伏せて並べた。束ねた村の数だけ、六つ。


「一つの村では、甕は買えない。ではもし、六つの村が銅貨を一枚ずつ、この椀に出し合ったとしたら」


 渋沢は椀を一つずつ真ん中へ寄せていった。六つが、一つの山になる。


「一村では買えぬ甕も、六村で持ち寄ればいくつも買える。加工場も建つ。……そうして稼いだ儲けを、出した銅貨の数だけ皆で分ける」


「……待ちな」ニケが眉を寄せた。「それじゃあ、金を出した奴らでひとつの畑を持つってことかい」


「そのとおりです」渋沢の声が、少し早くなった。「畑も、甕も、加工場も、皆のもの。一人の金持ちが抱え込むのではなく、皆が少しずつ持ち主になる。出した銅貨は、いわばその持ち分の証し——」


合本がっぽんだ)


 言いかけて渋沢は口をつぐんだ。村人たちがぽかんとしている。ニケだけがじっと椀の山を見ていた。


「……あんた」ニケが呆れたように言った。「また、変なこと考えてる顔してる」


「そうですか」


「そうさ。商機を見つけた時の、その顔。何度も見たよ」ニケはふっと笑った。「まあ、いいさ。あんたの変な思いつきは、いつも当たるからね。詳しく、聞かせてもらおうか」


 渋沢は微笑んだ。


(種は、蒔きました。あとは、芽が出るのを待つだけです)


     *


 その夜、渋沢は館の物見台に立っていた。


 空は深い藍色に暮れていた。眼下の広場では、まだ荷の積み下ろしが続いている。松明の灯りがいくつも揺れていた。


 足音がした。ボルツだった。街道の護衛から、たった今戻ったところらしい。埃にまみれ、腰の剣に手をかけている。


「街道は、どうでした」


「静かなものだ」ボルツは言った。「盗賊の一味が、藍の荷を狙って出たがな。俺たちが叩き伏せた。荷は、一束も欠けておらん」


「ご苦労さまでした」


 ボルツはしばらく黙って、広場の松明を見下ろしていた。


「……妙な気分だ」やがて、低く言った。「俺はこの剣で長いこと、奪うことばかりしてきた。先代の下では年貢を取り立て、逆らう者を斬った。それが、剣の使い道だと思っていた」


 彼は腰の剣にそっと手を置いた。


「今日、俺はこの剣で、村の藍を守った。……剣で人の暮らしを守れる日が来るとは、思わなんだ」


「剣は、道具です」渋沢は静かに言った。「奪うのにも使えるし、守るのにも使える。……どう使うかは、握る人が決めることです」


 ボルツは答えなかった。ただ、剣から手を離し、深く息を吐いた。その背から、長いあいだ張り詰めていた何かが、抜けていくように見えた。


「半年の猶予は、もう要らんと言ったな」ボルツが、ふと言った。「あれは、取り消す」


「取り消す」


「半年では、短すぎる」武骨な男が、初めて、笑うような声を出した。「あんたのやることを最後まで見届けるには、一生あっても足りん。……そう思い直した」


 渋沢は、深く頷いた。


 ボルツが去ったあと、渋沢は一人で藍色の空を見上げた。


(藍が、王都へ流れ始めた。強敵は、仲間になった。剣を持つ男は、守る側に回った)


(——だが、これはまだ始まりに過ぎません)


 昼間、卓に伏せた六つの椀。それを真ん中へ寄せた景色が、まだ目の裏に灼きついていた。


(皆で少しずつ、出し合う。一人では起こせぬ事を、皆で起こす。……この世界に、それが根づいたなら)


(奪い合うばかりの世が少しずつ、分け合う世に変わっていくかもしれません)


 広場の松明が、ひとつ、またひとつと消えていく。一日の商いが、終わろうとしていた。


 明日もまた、荷車の列ができるだろう。


 渋沢は深く息を吸った。藍の匂いが夜風に混じっていた。


(さあ——次は、いよいよ皆で稼ぐ番です)



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


第7話は、大きな山を越えたあとの「決着と和解」の回です。ガルムとの会見が終わり、封じられていた街道が開く。かつて封鎖を告げに来たロランが、今度は通行証を届けに来る——この立場の反転を、どうしても書きたいと思っていました。


今回いちばん仕込みたかったのは、椀を寄せるところです。渋沢栄一が生涯をかけて広めた「合本主義がっぽんしゅぎ」——今でいう株式会社の考え方です。一人では起こせない事業も、皆が少しずつ資本を持ち寄れば起こせる。彼の本当のチートは、剣でも魔法でもなく、この「みんなで出し合う」という仕組みそのものでした。あえて「合本」という言葉はニケたちに聞かせず、椀を寄せる手つきだけで見せています。芽が出るのは、次の話です。


ボルツが「剣で人の暮らしを守れる日が来るとは思わなんだ」と言う場面も、書いていて胸が熱くなりました。奪う道具だった剣が、守る道具に変わる。武力の世界で生きてきた男が、渋沢の背中を見て少しずつ変わっていく。彼の「一生あっても足りん」の一言は、キャラが勝手に言ってくれた台詞でした。


次話はいよいよ、第1章の締めくくり。怯えていた広場が、どんな景色に変わっているのか。そして蒔いた種が、どんな芽を出すのか。どうぞお楽しみに。


☆評価・ブックマーク・感想をいただけると、次話の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ