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国一番の悪徳領主に転生したが、中身が渋沢栄一なので、搾り取った税を全部返したら領民にガチで怯えられた件  作者: 藍田 算


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その戦は、いくらで売れますか

 王都の宿は、御前会議の間ほど天井が高くなかった。それだけで、息が少し楽になる。


 卓の上に、あの薄い帳面が開かれている。渋沢は蝋燭を引き寄せ、痩せた歳入の行をもう一度たどった。昼に一度読んだはずの底が、夜になってなお深く見えてくる。


 空なのではない。そう気づいたのは夜半だった。国庫はただ空なのではなく、借りが借りを養っている。


「フリッツ」渋沢は写しの綴りを指した。「この戦費の借りに、去年の利が乗っていますね」


「乗っております」フリッツが帳面をめくった。指はもう震えない。「利の行だけで、今年の地税をあらかた食います。返すためにまた借りる。その繰り返しで、ここまで膨れました」


「戦で国庫を満たすと、ファルケンハイン卿は仰いました。……ですが、この借りの大半は過ぎた戦の払いです」


 渋沢は帳面を閉じた。奪って満たすはずの戦が、満たすどころか、何十年も前から国庫を食い続けている。勝てば、その先に守る費えが残る。負ければ、借りだけが残る。どちらに転んでも、戦は消えていく金だった。


(消えていく金を、これ以上どうして増やす。……この借りを、高い利の相手からでなく、皆から少しずつ借りられたら)


 胸の底で、種がひとつ寝返りを打った。皆の小さな金を集め、戦費でなく道と運河に流す。奪わずに、富を生む物を建てる——。


 昨夜より輪郭の濃くなったその考えを、渋沢は思わず口の端に乗せた。


「……国が、民から少しずつ借りるのです。高い利の金貸しに頼らず」


 卓の向かいで、ゼーバルトが茶を注ぐ手を止めた。


「殿。手前には、どうも呑み込めませぬ」老執事が首をかしげた。「国が、民草から金を借りる……とは。国とは、税を取り立てる側でございましょう」


「取り立てるばかりでは、民は痩せます」渋沢は言った。「借りて、利をつけて返す。そうすれば貸した民にも、利が残ります」


「利を、民に」ゼーバルトの手が止まった。「では、陛下がそのあたりの八百屋に頭をお下げになって、借用の証文を……」


 老執事が王の姿を思い描いたらしく、みるみる青くなった。


「玉座からお降りになって、菜屋の親父に『貸してくれ』と。……いえ、それはいけませぬ。武神アレスの罰が当たりまする」


「陛下が一軒ずつ回るのではありません」渋沢は苦笑した。「証文を配り、金のある者が出せる分だけ買うのです」


「はあ」フリッツまでが首をひねった。「その証文は、お守りとは違うので」


「違います」


「よかった」フリッツが胸を撫でた。「以前、旦那様の証文を魚屋が屑紙と間違えたことがありましたので」


 渋沢は小さく笑った。笑いは、みぞおちの重さをいくらか軽くする。


(この珍妙な顔が、いつか自慢げに証文をかざす顔に変わればいい)


    *


 翌日、宿を訪ねてきた男がいた。


 でっぷりと肥えた偉躯が、狭い戸口をふさいでいる。ガルムだった。指の金の指輪が、朝の光を鈍く弾く。


「国庫を任されたそうだな、男爵」ガルムは腹を揺すった。「王都一の貧乏くじを引いたものだ。祝ってやるべきか、悔やんでやるべきか、迷うところでな」


「総帥のお顔を見ると、少し気が晴れます」渋沢は椅子を勧めた。


 ガルムは腰を下ろすなり、帳面をちらと見て鼻を鳴らした。


「戦の噂で、都の商人は色めき立っている。分かるか、男爵。戦は、儲かる者にとって何より旨い」


「武具、傭兵、糧秣」渋沢は指を折った。「戦の前に、まず売れる」


「そういうことだ。剣は折れ、鎧は凹み、兵は腹を空かせる。戦が長いほど注文は絶えん」ガルムは声を落とした。「その旨みに、一等ぶら下がっている男がいる。シュランゲという」


「シュランゲ」


「知らんならそれでいい。……いや、国庫を握るなら知っておいたほうがいいか」ガルムの目が細くなった。「あの男は剣を売る。ヴェルダンに売り、同じ剣を国境の向こうのマルデンにも売る。どちらが勝とうが、あの男だけは負けん商いだ」


 渋沢は指を止めた。


「両方に、売るのですか」


「両方にだ」ガルムは吐き捨てた。「素性の知れん異国渡りでな。剣を一度も握ったことのない柔い手で、剣を売って財を成した」


 ガルムは分厚い手を卓に置いた。荷を担いで生きてきた者の手だった。


「それだけならまだいい。あの手の商人は、ただ売るのではない。戦がなければ剣は売れんからな。だから戦を売るために、まず火種を売る。国境で小競り合いがあったと噂を撒き、戦を説く武人の膝元に贈り物を積む。……ファルケンハインとかいう御仁の屋敷にも、とうに出入りしていると聞く」


「火種を、売る」渋沢は繰り返した。


「国境がこの数十年きな臭いのは、半分はあの手の商人が緊張を売り物にしてきたからだ」ガルムは太い息を吐いた。「私も商人だ、男爵。握った流れは手放さん。だが、人が死ぬのを勘定して笑う商いだけはしたことがない。あれと同じ商人と呼ばれるのは、業腹でな」


「……総帥」渋沢は頭を下げた。「よいことを、教えていただきました」


 戦は、二つの手で焚かれている。ひとつは、国を思う武人の誇り。もうひとつは、人の死を勘定する商人の算盤。前者は、話せばいつか届くかもしれない。だが後者は——。


(儲けのために戦を望む者には、何を語れば届くのか)


    *


 その男が宿に現れたのは、ガルムが去った半刻ののちだった。


 異国の生地を寄せ集めた派手な商人服。撫でつけた黒髪の分け目が、整いすぎるほど整っている。指という指に、印の刻まれた指輪が嵌まっていた。男は戸口で、糸のように目を細めて笑った。


「これはこれは、ブルーメンタール男爵。お噂はかねがね」男は恭しく腰を折った。「わたし、シュランゲと申します。しがない武具の商いをしておりましてね」


 渋沢の背を、冷たいものが薄く撫でた。名を、たった今聞いたばかりだった。


「ご用件を、伺いましょう」


「いやあ、単刀直入に申しましてね」シュランゲは招かれもせず椅子に腰を下ろした。「戦が、近い。あなた方には難儀でしょうが、わたしどもには何よりの吉報でしてね」


 男は嬉しそうだった。悪びれる色は、糸ほどもない。


「国庫を預かられたと聞きましてね。剣と鎧、それに手練れの傭兵。まとめてお安くしておきますよ。戦は長引くほどよく売れる。ありがたい話でしてね」


「人が、死にます」渋沢は言った。


「ええ、死にます」シュランゲは軽く頷いた。「千も死ねば、遺された方々がまた買いに来られる。喪の分だけ剣が要る。よい循環じゃありませんか」


 循環、という言葉が、これほど濁って聞こえたことはなかった。渋沢は膝の上で、静かに手を握った。


「あなたは、戦がお好きのようだ」


「好き、というより」シュランゲは楽しげに指輪を撫でた。「平和は、在庫の敵でしてね。剣が蔵で埃をかぶるほど、悲しいことはありません。あなた方が抜いてくださらないと、こちらは商売あがったりですよ」


 男の指輪のひとつに、見慣れぬ紋があった。この国の意匠ではない。ガルムの声が、耳の底で重なった。同じ剣を、国境の向こうにも売る——。


 渋沢はその紋から目を上げた。問いただす証は、まだ何もない。ただ、腹の底が冷えていた。


「シュランゲ殿」渋沢は丁寧に言った。「ひとつ、覚えておいていただけますか。……戦は、いちばん高くつく買い物です。買った金は消えて、後には何も残りません」


「ほう」


「道や運河は、残ります。奪った土地はいつか奪い返される。ですが、皆で築いた道は誰にも奪えない」


 シュランゲは、糸のような目でしばらく渋沢を眺めた。それから、はは、と軽く笑った。


「面白いことを仰る。ですが男爵、道でお腹は膨れませんよ」男は立ち上がった。「戦は必ず起きます。人というのは、そういうものでしてね。……そのときは、どうぞご贔屓に」


 派手な背が、戸口の向こうへ消えていく。愛想のよい足取りだった。にこやかなまま、この男は何百人ぶんの死を勘定して帰っていく。


 渋沢は、しばらく戸口を見つめていた。


 壁際からボルツが言った。腕を組んだままだ。


「あんた、ああいう手合いは苦手だろう」


「苦手です」渋沢は正直に答えた。「剣を振るう卿のほうが、まだ話が通じます」


「褒められてる気がせんな」ボルツが鼻を鳴らした。


 卓には、まだシュランゲの残していった甘い香油の匂いがまとわりついていた。糸のような目と、幾つも嵌めた指輪の紋が、瞼の裏で笑っている。にこやかなまま、何百人ぶんの死を待つ笑みだった。


 渋沢は帳面の上で指を組んだ。誇りと、儲け。片やファルケンハインの信念、片やシュランゲの算盤。向きは正反対でも、二つの手はどちらも戦を招き寄せている。


(ならば私は、戦わずに富む道を、この二つの手より先に、目に見える形にするしかありません)


 種は、もう胸の底で芽を探し始めていた。戦費は、消える。道は、残る。あとはそれを、国の御前で示せる数字に組むだけだった。


 その夜、宿の窓を叩く者があった。埃にまみれた早馬の使いが、肩で息をしながら転がり込んでくる。フライハーフェンからの報せだった。国境で、マルデンの兵がまた動いた。今度は、退かなかったという。


 使いの荒い息が、狭い部屋にしばらく残った。その息の向こうで、渋沢の耳の奥に甘い声がよみがえる。——戦は、必ず起きます。人というのは、そういうものでしてね。


 にこやかに死を待つ男の予言が、一歩ずつ現になろうとしていた。渋沢は指を組んだまま、卓に広げた薄い帳面から目を離さなかった。数字に組むための夜が、まだ明けきらずに残っていた。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


シュランゲ、初登場です。この物語で「気持ち悪い悪役」を書くのは、実は毎回いちばん神経を使います。深刻な悪人は書きやすいのですが、それだと「怖い」で終わってしまう。私が狙ったのは、怖いより一段いやな「明るい残酷」でした。人が千人死ぬのを、眉ひとつ動かさず「よい循環じゃありませんか」と笑顔で言える男。深刻ぶらせず、あくまで陽気に軽く喋らせることで、読んでいて背中がざわつく感じを出したかったのです。うまく気持ち悪がっていただけたら、成功です。


もう一つ、こだわったのは「渋沢に最初から見抜かせない」こと。シュランゲが両国に売る二枚舌だと、渋沢はまだ確信していません。ガルムの言葉と、指輪の見慣れぬ紋。手がかりはあるのに、証はない。この「冷えた予感」だけを残して次章へ持ち越します。渋沢がすべてを先回りで見通してしまうと、発見の楽しみが死んでしまうので。


そして今回、渋沢の胸には「戦費は消える、道は残る」という代案の種が落ちました。まだ芽も出ていません。宮廷で口に出せば、次はどうなるか——それは次話で。


戦の足音が、いよいよ街道の際まで来ました。どうぞお付き合いください。


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