王都から来た使者
王都から、使者が来た。
オーレンダール商会の脅し状が届いて、三日後のことだった。その日の昼、館の門前に黒漆塗りの馬車が停まった。四頭立ての立派なものだ。前後を揃いの制服の随員が固めている。田舎の男爵領には不釣り合いなほどの威容だった。
降りてきたのは仕立ての良い衣をまとった中年の男だった。
「オーレンダール商会で番頭を務めます、ロランと申します」
男は慇懃に頭を下げた。だがその目は、館の粗末な調度を値踏みするように舐めていた。剥げた壁、擦り切れた絨毯。二年の暴政と放蕩で、この館には見栄えのするものが何一つ残っていない。
「わざわざ王都から、ご苦労さまです」渋沢は鷹揚に迎えた。「して、ご用件は」
「単刀直入に申し上げましょう。ヴァルド様が近頃お始めになった藍の買取所、あれを、おやめいただきたい」
執務室に通されても、ロランは腰を落ち着けなかった。渋沢の向かいに立ったまま、言葉を継ぐ。
「悪いことは申しません。あれは、商いの理をご存じない方のままごとです」
「ままごと、ですか」
「この百年、藍の値も流れる量もすべて、商会が決めてまいりました。ヴァルド様お一人が値を吊り上げたところで、大河の流れは変わりません。川下で溺れる者が増えるだけです」
「川、ですか。良い喩えをなさる」渋沢は感心したように頷いた。「して、その大河はどこから水を引いておられるので」
「は……水、とは」
「いえ。続けてください」
「ええ。藍を高く買い、丁寧に加工なさる。結構なことです。ですがヴァルド様、その藍玉を、いったいどこでお売りになるおつもりで」
渋沢はわずかに眉を動かした。
「王都の、染物ギルドへ」
「ほう」ロランの笑みが深くなった。「では、お尋ねします。王都までの街道を通る許可は、どこがお持ちで」
「……街道の許可」
「はい。次に、王都の問屋。藍玉を買い付けるのは、どこと取引しております。そして最後に、染物ギルド。あそこへ藍玉を卸せるのは、いったいどこの商会でしょうな」
渋沢は、答えなかった。
いや、答える前に、その答えが腹の底に冷たく落ちていた。
「すべて、オーレンダール商会でございます」ロランが代わりに言った。「街道の関所も、王都の問屋も、染物ギルドとの取引も。この百年、藍の流れはそっくり商会が握っております。商会を通さぬ藍玉は、王都の門を、ひと粒たりともくぐれません」
しん、と部屋が静まった。
渋沢は茶を一口含んだ。味は、しなかった。
(……なるほど。そういうことでしたか)
買取所を作った。藍を公正な値で買い、領民を雇い、丁寧に加工した。藍玉は蔵いっぱいに積み上がっている。だが、その藍玉を売る「出口」を、渋沢は持っていなかった。
畑から加工まで、そこは押さえた。けれど加工から王都までの最後の一里。そこを商会がそっくり握っている。器を作り、中身を詰めた。なのに、蓋の向こうへ運ぶ道がない。
前世でも、こういう壁には幾度もぶつかった。両替商の株仲間、御用商人の座。既得権益はいつも示し合わせて新参を締め出す。百年かけて築かれた流通の網は、一夜では破れない。
「おわかりいただけましたかな」ロランが淡々と続けた。「藍玉は、蔵に積むだけでは、ただの青い塊です。売れて初めて金になる。そして売る道は、商会にしかない」
「それを教えに、わざわざ王都から」
「いいえ。ご提案に参りました」ロランは指を一本立てた。「買取所をおやめになり、藍は今まで通り、商会の行商人にお売りください。そうすれば街道も問屋も、これまで通りに開きます。なに、村がいくらか貧しくなるだけの話です」
渋沢はしばらく黙っていた。
窓の外では、買取所へ向かう荷車が藍を積んでのどかに行き来している。あの村人たちが、ようやく取り戻した暮らし。それが、この男の一言でまた元の飢えに戻る。
「一つ、聞かせてください」渋沢は静かに口を開いた。「あなたがたの総帥——ガルム殿は、どういう方です」
ロランの目が、わずかに光った。
「総帥は、平民の荷運びから一代で王都を握った方です。身分ではなく、金の力でのし上がられた。だからこそ、独占には人一倍執着なさる。一度握った流れは、決して手放さない。それが、商会の掟でございます」
「なるほど。叩き上げの、商人ですか」
渋沢は、その名を胸に刻んだ。ガルム。平民の荷運びから一代で王都を握り、独占に執着する男。
どういう男かは、わかった。だが、わかったところで、今の渋沢に打てる手があるわけではなかった。
「では、ご返答は」
「少し、考えさせてください」
「賢明なご判断を。期限は、ひと月。それまでに買取所を畳まねば、商会はこの領の藍を、一粒も王都に入れません」ロランは慇懃に一礼した。「よい藍玉が蔵で腐るのは、見るに忍びませんのでね」
*
馬車が去ると、ゼーバルトが青い顔で駆け寄ってきた。
「ヴァルド様。あ、あれはまことでございますか。藍玉が売れないなどと」
「まことでしょうな」渋沢は正直に答えた。「よく調べておくべきでした。私の、抜かりです」
その言葉に、ゼーバルトの顔がいっそう白くなった。この主人が「抜かり」と口にするのを、初めて聞いたのだ。
「では、蔵の金は。三千枚を藍玉に変えてしまいました。あれが売れねば……」
「戻りません。領は、文無しです」
執務室の隅で腕を組んで聞いていたボルツが、低く唸った。
「半年で見せると言ったな。だが、ひと月で藍玉が腐れば、半年を待つまでもない。兵の給金も、村の暮らしも、そこで終わる」
「ええ。その通りです」
「……策は、あるのか」
渋沢はすぐには答えなかった。
窓辺に立ち、蔵に積み上がっていく藍玉を見つめる。村じゅうの手が生んだ、青い宝の山。それが売る道を失い、ただの重荷に変わろうとしていた。買取所に列を作った村人の顔が、ひとつずつ浮かんでは消えていく。
(畑から加工まで、そこは押さえた。なのに、最後の一里で蓋をされた)
九十一年、商いをやってきた。壁にぶつかるのは初めてではない。だが今度の壁は、これまでのどれとも違って見えた。百年かけて張り巡らされた流通の網。押しても引いても、びくともしない。
「ボルツ隊長。正直に申し上げます」
渋沢は振り返った。いつもの飄々とした笑みは、もう浮かんでいなかった。
「今この場で差し出せる策は、ありません」
ゼーバルトが、息を呑んだ。抱えていた帳簿を、思わず胸に抱き直す。
「では、どうなさると」
「考えます。必ず、道を探し出す。——ですが今日は、まだ何も申せません」
重い沈黙が、執務室に降りた。
ボルツは腕を組んだまま、しばらく渋沢を見ていた。それから、口を開いた。
「隊長として、一つだけ言っておく」
「ええ」
「兵は、まだ動かせる。だが、藍玉が腐るのが先だ。関所で止められたまま、ひと月。売れなければ、蔵の三千枚は戻らん。村の手間賃も、そこで尽きる」
その声は、脅しではなかった。ただ、動かしようのない現実だった。
「半年の猶予をやったつもりだった。だが、この分では——ひと月で、何もかも終わるぞ」
「……承知しています」
ボルツは、それ以上は何も言わず、部屋を出ていった。
残された執務室で、渋沢はもう一度窓の外へ目をやった。
荷車がまた一台、藍を積んで買取所へ入っていく。村人たちは、まだ何も知らない。領主が藍を高く買ってくれる——その約束を信じて、今日も畑から藍を担いでくる。
その青い山が蔵で腐りかけていることを、彼らはまだ知らない。
(どうしたものか。本当に、どうしたものか)
九十一年ぶんの知恵を、渋沢は総ざらいした。だが、答えはすぐには出てこない。ただ、積み上がった藍玉の青が、暮れていく空の色にゆっくりと沈んでいくばかりだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
第3話は、渋沢が初めて「しくじる」回です。買取所という仕組みで領を潤したのはいいけれど、作った藍玉を「売る道」を、まるごと商会に握られていた。畑から加工までは押さえたのに、最後の一里が敵の手にある——これは、実際の商売でもよくある壁だろうと思います。
有能な主人公が、一度も躓かずに勝ち続けるのは、読んでいてどこか退屈です。だから今回は、あの飄々とした渋沢に、はっきりこう言わせました。「今この場で差し出せる策は、ありません」と。九十一年商いをやってきた男が、答えを持たないまま一日を終える。彼がいちばん人間に見える瞬間だと思います。
関所で止められた藍玉は、ひと月で腐る。売れなければ、蔵の三千枚は戻らない。村の暮らしも、そこで尽きる。しかも村人たちは、自分の運んだ藍が腐りかけていることを、まだ知りません。渋沢の背には、その重さがのしかかっています。
次話、いよいよ窮地の底です。渋沢は、この壁をどう越えるのか。——その答えの糸口は、思いがけないところに落ちています。
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