両替商の通り
王都の朝は、金属の音で始まった。
両替商の並ぶ通りだ。天秤の皿に銀貨が落ちる音。硬貨を指で弾いて質を確かめる、ちん、という高い音。それが軒を連ねる店先で、休みなく鳴っている。金を数える音だった。都じゅうが、朝から金を数えている。
渋沢はその一軒の前に立っていた。傍らに老執事のゼーバルトと私兵隊長のボルツを従えている。
用事は単純なはずだった。王都でひと月を暮らすには、王都で通る金が要る。辺境から担いできた革袋の銀貨を、この都で使える貨幣に換える。それだけのことだ。
「ブルーメンタール領の、シリング銀貨でございますな」
帳場の男が革袋から一枚をつまみ上げた。恰幅のいい、愛想のいい両替商だ。だが銀貨を見る目だけが、糸のように細かった。
「いかにも」ゼーバルトが恭しく応じた。「王都の貨幣に、両替を願いたい」
男は銀貨を天秤に載せ、それから灯にかざした。ふむ、と鼻を鳴らす。渋沢には、その鼻の鳴らし方が値を吊り下げる前置きに聞こえた。
「これはまた……辺境の鋳でございますね」男は困ったように眉を下げた。「地方の鋳は、どうにも銀の品が落ちます。同じ一シリングと申しましても、王都のものとは、目方も色も違う。そのままの値では、とても」
「いくらに」
渋沢が穏やかに尋ねた。
男が一瞬、言葉に詰まった。冷たく整った酷薄そうな美貌が、まっすぐこちらを向いている。それがただ静かに値を問うただけで、両替商の背がわずかに引けた。
「……七掛け、いえ、六掛けと五分でございます」男は愛想笑いを貼り直した。「それに、手間賃を一割ほど頂戴いたしまして」
ゼーバルトの喉が、ひゅっと鳴った。
(六割五分……そのうえ手間賃で一割……!)
老執事は胸の内で計算し、目の前が暗くなった。持ってきた銀貨の実に四割が、この帳場に置いていくだけで消える。館の蔵から数え、旅の埃をかぶって運んできた銀貨がだ。
ボルツの手が腰に伸びかけた。剣は宿に置いてきている。だから拳が固く握られただけだった。
「ふざけるな」武人の声が低く唸った。「同じ銀貨だろうが。辺境の金は、王都では紙より安いってのか」
「これは異なことを」男は少しも動じない。「王都には王都の相場がございます。嫌なら、換えずにお帰りいただいて結構。……ただ、その辺境の銀貨、この都の店では、一枚たりとも通りませんが」
ボルツが詰め寄ろうとするのを、渋沢は手で制した。
「換えていただきましょう」
「あんた……!」
「よいのです、ボルツ」
渋沢は革袋を帳場に置いた。両替商が、ほっと相好を崩す。削り取られた銀貨と引き換えに、王都の真新しい貨幣がじゃらりと渡された。ずいぶんと、目減りしていた。
*
通りを歩きながら、ボルツはまだ収まらなかった。
「あんな盗人まがいが、大手を振って店を構えてる。都のどこに法があるんだ」
「盗人ではありません」渋沢は言った。「あれで、まっとうな商いなのです。この都では」
「まっとう? 人の金を四割も剥いでか」
「ええ」
渋沢は歩みを止めなかった。両替商の通りは、まだまだ続いている。一軒、また一軒と店先で天秤が揺れ、銀貨が弾かれて鳴る。その一つひとつで、誰かの金が削られている。
立ち止まったのは、痩せた行商人が帳場に取りついている店の前だった。
「そこを、何とか」行商人は硬貨を握った手を震わせていた。「これを換えねば、宿代が払えんのです。隣の領から、三日歩いて参りました。どうか、もう少し色を」
「これも辺境の鋳ですなあ」帳場の男は、さっきの店とそっくり同じ台詞を言った。「六掛けと五分。手間賃、一割」
行商人の肩が落ちた。渋沢は、その背中を静かに見つめた。
(この男の三日が、六掛けと五分に両替されるのですね)
ゼーバルトが袖でそっと目頭を押さえていた。
「殿……あの者も、我らと同じ目に。……ううっ、他人事とは思えませぬ」
「泣くのはまだ早いですよ、執事」渋沢の口元が、かすかに緩んだ。「もっとよく、見ておきなさい。……面白いものが、見えてきました」
*
渋沢は都を歩いた。
両替商の通りだけではない。市場の裏路地も、荷揚げ場も、麦を売る店の帳場も。金が人の手から手へ渡るところを、片端から見て回った。ゼーバルトとボルツは主人が何を追っているのか掴めぬまま、ただ後をついて歩いた。
日が傾く頃、渋沢はようやく足を止めた。
「わかりました」
「何がです、殿」
「なぜ、この都の金が眠るのか。その、絡繰りです」
渋沢は、通りの両替商たちを振り返った。ちん、ちんと金を数える音がまだ鳴っている。
「この国には、一つの王がおられる。ですが、金は一つではないのです」渋沢は言った。「領ごとに鋳が違う。ブルーメンタールの銀貨、隣領の銀貨、そのまた隣の銀貨。同じ一シリングと呼びながら、目方も品も、みな少しずつ違う。だから領をひとつ越えるたび、金を換えねばならない」
ボルツが眉を寄せた。
「……それが、あの盗人どもの飯の種か」
「盗人ではありません。堰の番人です」
渋沢は、片手を川のように水平に構えた。
「金は、水と同じ。高いところから低いところへ、流れて回るのが本来です。ところがこの都では、その通り道がいくつもの堰で塞き止められている。領の境ごとに、堰がある。金はそこを越えるたび、堰の番人に通行料を落とす。六掛けと五分に、削られる」
水平の手を、渋沢はゆっくり下ろした。
「両替商が強欲なのではありません。……強欲を、責めても始まらない。堰があるかぎり、番人は必ず現れて通行料を取る。あの男が改心したところで、明日には別の番人が座るだけです」
ゼーバルトが、呆然と主人を見た。
「では……どうにも、ならぬのですか」
「いいえ」
渋沢の目が、あの光を宿した。商機を見つけた時の、少年のような光だ。悪人面の当主がそんな顔をすると、たいそう据わりが悪い。ゼーバルトは長年見慣れてもなお、少し身構えてしまう。
「堰があるから、番人が要る。ならば——堰を、取り払えばよいのです」
*
宿に戻ったのは、日が落ちてからだった。
渋沢は卓に向かい、懐から古びた算盤を取り出した。前の当主が賭博の借金を数えるのに使っていた、手に馴染む一挺だ。剣も魔法も持たぬ男の、ただ一つの武器。
珠を弾く。今日むしられた四割を、まず置く。それからこの都で毎日、いくつの堰を越え、いくらの金が番人に落ちているかを見当で置いた。
弾くほどに、数が膨れた。都じゅうの堰が集める通行料は、気の遠くなる額になった。
(これだけの金が、回りもせずに堰で目減りしている)
「殿」ゼーバルトが、おそるおそる声をかけた。「その……堰を取り払うと、仰いましたが。堰とは、領の境そのもの。まさか、国の形を変えるおつもりで」
「境は、そのままでよいのです」渋沢は珠から目を上げた。「変えるのは、金のほうです」
「金の……?」
「どの領の銀貨だろうと、この都では額面のまま通る。両替のいらない金を、こしらえればよい。そうすれば堰は残っても、番人は用なしになる」
ボルツが、腕を組んだまま唸った。
「両替のいらない金なんて、聞いたこともない」
「ええ。まだ、この世にありませんから」
渋沢は、ぱちりと珠を一つ、弾いた。
「金は天下の回り物。……なのに、この都では回るたびに目減りする。それでは、回すほど痩せていく。私は、それを止めに来たのです」
彼は算盤を置き、窓の外の両替商の通りを見た。灯の下で、まだ天秤が揺れているのだろう。ちんと遠く硬貨の鳴る音が、夜風に混じって届いた気がした。
「ゼーバルト。ボルツ」
渋沢は、静かに言った。
「この都の両替商を——無用にします」
二人が、息を呑んだ。この都の富を握る連合の、いちばん外側の壁。その壁を、責めるのでも壊すのでもなく、ただ用なしにすると主人は言った。
卓の上で古びた算盤が一つ、灯を鈍く弾いていた。六掛けと五分に削られてもなお、渋沢の手に馴染んで残った一挺だけが。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。第3章「王都・貨幣編」、いよいよ始まりです。
この章で渋沢が挑むのは、両替商連合という貨幣の本丸です。ですが第一話でいきなり盟主ザロモンと殴り合っても、読者の方は「なぜ両替商が悪なのか」が腑に落ちません。そこでこの話は、渋沢自身が両替でむしられるところから始めました。四割を剥がれて、初めて痛みが具体になります。
書いていて面白かったのが、渋沢が両替商を一度も「悪人」と呼ばないことでした。彼は強欲を責めません。責めても、堰があるかぎり別の番人が座るだけだからです。人ではなく仕組みを変える——これは第一章で買い叩きを買取所で無力化した時と、まったく同じ発想です。相手が村の行商人から、国の貨幣を握る連合に変わっただけ。手口は、いつも同じなのです。
「両替のいらない金」。渋沢が次に持ち込むのは、為替と手形、そして紙幣です。剣も魔法もない男が、算盤ひとつで貨幣の本丸に穴を開けていきます。第3章も、どうかお付き合いください。
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