2 再び動きだす者
ファラサの街は、あの日の混乱が嘘だったように、穏やかな光に包まれていた。
潮の匂いを含んだ風が通りを抜け、白い石畳の上を人々が行き交う。
露店の呼び声、子どもたちの笑い声、精霊たちの淡い光。
……なのに、ステラの胸の奥だけが、静かに重たかった。
「無理して笑わなくていいんだぞ」
隣を歩くリオネルが、少しだけ声を落として言う。
フィリアは優しく微笑んで、ステラの肩にそっと手を置いた。
「大丈夫よ。みんな、ステラの気持ちを分かっているから」
ヴァルカとルクスは相変わらず小さな言い合いをしていたけれど、わざと騒がしくして、場を明るくしようとしているのが分かった。
ゼフはステラの少し後ろを歩き、彼女の気配が沈みすぎないよう、さりげなく風の流れを整えている。
——その時だった。
人通りの少ない、細くて薄暗い路地の奥。
黒い外套の影が、一瞬だけ横切った。
(……今の……)
胸の奥が、ひくりと痛む。
忘れようとしても忘れられない、冷たい魔力の気配。
「……アルドラ」
思わず、その名がこぼれた。
「ステラ?」
ゼフが振り返るより早く、ステラは足を踏み出していた。
「待って!」
影を追って、細い路地へ駆け込む。
石壁に反響する足音。仲間の呼ぶ声が遠ざかる。
路地の奥に立っていたのは、やはりアルドラだった。
いつもと同じように笑みを浮かべて、どこか人を見下ろすような瞳で、こちらを一瞬だけ見つめる。
「……また、何かするつもり?」
問いかけに、アルドラは答えない。
ただ、意味深に口元を歪めて——
次の瞬間、霧のように、その姿が掻き消えた。
「……っ」
残された空間から、どろりとした黒い魔力が溢れ出す。
冷たく、重く、精霊の波長を歪める不快な気配。
黒い霧の中心で、光が歪んだ。
現れたのは、今までよりもずっと強い魔力を帯びた精霊。
鎖のような闇が身体に絡みつき、苦しげに叫びながら、周囲の壁を吹き飛ばす。
「来る……!」
追いついたゼフと仲間たちが戦闘態勢に入る。
暴走した精霊の一撃は重く、鋭く、街を守る結界さえ揺らすほどだった。
けれど——ステラは剣を構えながらも、真っ直ぐにその精霊を見つめる。
「怖かったんだよね。苦しかったんだよね」
戦いの中で、彼女は攻撃よりも近づくことを選んだ。
ステラが苦しんでいる精霊に歩み寄り、 手をかざす。
しかし、ステラだけの力では足りず、完全に浄化することはできない。
風、炎、雷、氷、そして癒やしの光。
仲間たちの力が一つになり、黒い鎖を少しずつ削っていく。
最後は、ステラの浄化の魔法だった。
光が闇を包み、鎖が砕け散る。
解放された精霊は、地面に崩れ落ち、かすかな光を瞬かせながら、弱々しく呼吸するように揺れていた。
「……大丈夫。もう、終わったよ」
ステラがそっと声をかけると、精霊は涙のような光を零した。
その瞬間——
空気が変わる。
風が一斉に城の方角へと流れ、ゼフが顔を上げた。
「……呼ばれてる。王城からだ」
その瞬間。
背後に王国の騎士が現れ、シリウスからの呼び出しを告げた。
まるで、すべてを見ていたかのようなタイミング。
——ネレイス王国国王、シリウスからの召喚。
ステラは無意識に、胸元を押さえた。
さっきまでの平和な街の光が、少しだけ遠く感じられる。
(……偶然、じゃない)
アルドラの出現。
暴走した精霊。
そして、この呼び出し。
静かだった運命が、また大きく動き出そうとしている——
そんな予感だけが、胸の奥で、はっきりと鳴っていた。




