1 ひとときの安らぎ
ファラサの朝は、信じられないほど穏やかだった。
あの日、魔物が暴走して街が混乱に包まれていたのが嘘のよう。
潮風はやさしく、白い石畳は陽にきらめいて、港には人々の笑い声が戻っている。
宿の窓辺で、ステラはぼんやりと海を見ていた。
でも、その瞳は景色を映していない。
城の地下で見た光景。
アルドラの言葉。
そして、夢の中で聞いた、途切れ途切れの昔の声。
胸の奥に、小さな棘が刺さったまま抜けない。
「……元気ないな、ステラ」
後ろから、ゼフの声。
そよ風みたいにさりげないけど、ちゃんと心配していることが分かる声。
振り向くと、ルクスが腕を組んで壁にもたれ、ヴァルカは椅子に逆向きに座ってあくびをかみ殺している。
フィリアは静かにステラの表情を見つめている。
リオネルは窓の外を指さして、にっと笑った。
「なあ、せっかく平和なんだ。
城の中で悩んでるより、外出ようぜ!」
「港町だぞ? うまい飯も、面白いもんも、絶対あるって!」
ヴァルカが豪快にうなずく。
「そうだぞ。考え込むより、身体動かした方がいい」
ルクスは少し照れくさそうにそっぽを向きながら、
「……気分転換、必要そうだし」
フィリアはやさしく微笑んで、
「無理に元気を出さなくていいけど……一人で抱え込むのは、もっとよくないわ」
ステラは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせて、それから、ほんの小さく笑った。
「……みんな、ありがとう」
その笑顔はまだ少し影を落としていたけど、確かに、前を向こうとしている笑顔だった。
ゼフはその様子を見て、ほっとしたように息をつく。
「じゃあ決まりだな。
今日はファラサを歩く日だ」
こうして、静かであたたかい一日が始まった。
潮の匂いがする大通りに出ると、港町らしい活気が一気に押し寄せてきた。
魚を売る商人の威勢のいい声、パンの焼ける香り、子どもたちの笑い声。
「おお、見ろよあれ!」
リオネルが屋台を指さして目を輝かせる。
「串焼きだって! でか……!」
ヴァルカも身を乗り出して、
「肉の匂いがするな。悪くない」
ルクスは少し呆れたようにしつつも、
「……本当に食べ物に反応早いよね、きみたち」
フィリアはくすっと笑って、
「でも、こういう賑やかな場所も嫌いじゃないでしょう?」
ゼフは人混みを避けるように、そっとステラの隣を歩いていた。
ステラは周囲を見回しながら、静かに歩いている。
表情はいつもと大きく変わらないけれど、どこか心ここにあらず、という感じ。
そんなステラの前に、突然、白い羽のついた小さな風の精霊がふわっと現れた。
「わあ……」
思わず、ステラの声が少しだけ弾む。
風の精霊はくるくると彼女の周りを回って、髪を揺らしてから、
まるで遊びに誘うみたいに、ぴゅっと前へ飛んでいく。
「……気に入られたみたいだな」
ゼフが微笑む。
リオネルが後ろから元気よく言う。
「ほら、精霊もステラと遊びたいってさ! 暗い顔してる場合じゃないぞ!」
フィリアは優しい声で続ける。
「ステラは、いつも精霊たちに好かれるもの。
それだけで、あなたがどんな人か分かるわ」
ルクスは少し照れたように視線を逸らしながら、
「……その、無理に忘れろとは言わないけどさ。
考えすぎて潰れちゃったら意味ないし」
ヴァルカは腕を組んで、真っ直ぐに言った。
「苦しい時は、頼れ。仲間だろ」
その言葉に、ステラは一瞬だけ足を止める。
みんなの背中。
歩く速さを、さりげなく自分に合わせてくれていること。
騒がしいのに、ちゃんと自分の様子を見てくれていること。
「……うん」
小さく、でもはっきりとうなずいて、ステラは前を向いた。
「ありがとう。少しだけ……気持ち、軽くなった」
ゼフはその横顔を見て、胸の奥でそっと思う。
——まだ完全に思い出したわけじゃない。
でも、彼女は一人じゃない。
あの時よりも、仲間は増えている。
潮風の中、仲間たちは笑い合いながら歩いていく。
表向きはただの、賑やかな港町の散策。
けれどその裏では、それぞれがステラを守ろうと、静かに心を寄せていた。




