9 揺らぐ封印
地下の結界中枢。
歪んだ魔力の流れが渦を巻く空間の中心に、黒い外套の男——アルドラが立っていた。
仲間たちはすでに転移させられ、そこに残っているのはステラとゼフだけ。
精霊を縛っていた鎖は砕け散り、解放された精霊はどこかへと姿を消している。
静寂の中で、ゼフの風だけがかすかに揺れていた。
「……やっぱり、あなたがいたんだ」
ステラは剣を構えたまま、しかし踏み込まずに言った。
アルドラは微笑とも嘲笑ともつかない表情で、ゆっくりと拍手する。
「見事だよ。結界の中枢に辿り着き、精霊を解放しようとするとは。だが——」
彼の視線が、ステラとゼフを射抜く。
「実験の邪魔だ」
「実験……?」
ステラは一歩前に出た。
攻撃のためではなく、問いかけるための一歩だった。
「どうして精霊を縛るの?
どうして、こんなことをするの……?」
アルドラは少し首を傾げる。
「世界には秩序が必要だ。人も、精霊も、例外ではない。
自由にありすぎる力は、いつか世界を壊す」
「……それが、お前たちの考えなのか?」
ゼフの声が低く響く。
風がざわりと空間を満たし、アルドラの外套を揺らした。
「お前たち、か」
アルドラはその言葉を面白がるように繰り返す。
「そうだな。王は秩序を望む。
そして私は、そのための可能性を調べているだけだ」
「王……?」
その言葉を聞いた瞬間、ステラの胸が強く締めつけられた。
頭の奥が、きしむように痛む。
知らないはずの光景が、頭の中に流れ込んでくる。
白い神殿。
巨大な魔法陣。
ゼフと向かい合い、手を取り合う自分。
——そして。
少し離れた場所に並んで立つ、二人の影。
一人は、冷たい金の瞳を持つ王。
もう一人は、今、目の前にいるこの男。
「……っ」
思わず、ステラは頭を押さえた。
「ステラ!」
ゼフが支えようとするが、その前にステラはゆっくり顔を上げ、アルドラを見つめる。
「……あなた、昔も……彼の隣に、立ってた……」
アルドラの表情が、ほんの一瞬だけ凍りついた。
それは、今まで一度も見せなかった“感情”の揺らぎだった。
「……なるほど」
低く、静かな声。
「記憶の封印が、もう揺らぎ始めているらしい」
「記憶……封印……?」
ゼフの風が荒れる。
アルドラは興味深そうに二人を見つめた。
「君たちは、本来であれば何も覚えていないはず。
だが、絆の共鳴が強すぎる」
そして、ステラをまっすぐに見据える。
「君とその精霊の契約は、世界の秩序にとって――危険すぎる」
「……私たちは、 精霊を支配するために契約してるんじゃない」
「知っているよ」
アルドラは、静かに笑った。
「だからこそ、厄介なんだ。
対等な契約。共鳴する魂。 世界を浄化すらできる力……」
その言葉に、ゼフの中で何かが強く脈打つ。
忘れていたはずの記憶の欠片が、嵐のように揺れ始める。
——鎖。
——封印。
——王の命令。
——そして、それに従った右腕。
アルドラは背を向け、結界の奥へと歩き出した。
「完全に思い出す前に、また会おう。
特別な契約を持つ二人」
振り返り、意味深な視線を残す。
「次に会う時は……
君たちが世界の敵になるか、
世界を救う存在になるか、はっきりするだろうからね」
闇が歪み、アルドラの姿が消える。
残されたのは、静まり返った地下空間と、胸の奥に焼きついた並んで立つ二人の影。
ステラは小さく呟いた。
「……ゼフ。
私たち、昔……あの人たちと、何をしたんだろう……」
ゼフは答えなかった。
ただ、風をそっとステラの周りにまとわせる。
——もうすぐ、思い出してしまう。
そのことを、誰よりもゼフ自身が感じ取っていた。




