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風の契約と絆を紡ぐ物語  作者: 蒼燈
離れた心と変わらぬ絆
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7 帰る場所

風が、止まった。


正確には、止められた。


ゼフの体が、見えない糸で縫い止められたみたいに動かなくなる。

指先ひとつ、動かすことができない。


つい先ほどまで荒れ狂っていた風も、まるで時間そのものが止まったかのように、その場に凍りついていた。


アルドラの術が、内側から意識を縛り上げる。


黒い鎖のような術式が、ゼフの体を覆い、魔力の奥深くへと食い込んでいく。

逃れようとするたびに、鎖はさらに強く締まり、意識を押さえつけた。


同時に、胸の奥で、もう一つの力が激しくぶつかってきた。


——ステラとの、絆。


それは、アルドラの術とはまったく異なる力だった。


従わせるためでも、押さえつけるためでもない。

互いを信じ、互いの意思で手を伸ばし、積み重ねてきたもの。


二つの力が正面から衝突して、ゼフの中で嵐のように渦を巻く。


頭が割れそうに痛い。

体の感覚が遠のいたかと思えば、突然、痛みだけが鮮明に戻ってくる。


自分がどこにいるのかも、何をしているのかも、わからなくなりそうだった。


それでも、胸の奥にある何かだけは、決して消えなかった。


(……くそ……)


抗わなければ。


そう思うのに、何をどうすればいいのかさえ、わからない。


体は動かない。

声も出せない。

意識さえ、自由にはならない。


それでも。


(……こんなところで……終われるか……!)


その思いを最後の足場にして、ゼフは必死に踏みとどまった。


けれど、アルドラの術は容赦なく、ゼフの意識をさらに深い場所へと引きずり込んでいく。


内側へ。

内側へ。


まるで、自分自身から切り離されていくように。


やがて、視界が暗くなった。


そこは、闇のようで、でも完全な闇じゃない場所だった。


上下も、前後もわからない。

足元に地面があるのかさえ定かではない。


ただ、無数の鎖のような術式が、空間のあちこちに伸びていた。


それらはゼフの体に絡みつくだけでは飽き足らず、意識の奥深くにまで侵入している。


そして、どこからともなく声が響いた。


——お前は従え。


——お前は武器だ。


——お前の意思は不要だ。


同じ言葉が、何度も、何度も繰り返される。


耳を塞ぐこともできない。

目を逸らすこともできない。


まるで、それが初めから自分の意思だったかのように、命令が意識を塗りつぶしていく。


「……ふざけるな……」


声にならない声で、ゼフは呟いた。


こんなものが、自分の意思であるはずがない。


誰かに命じられたから風を操るのではない。

誰かに従わなければならないから、ここにいるのでもない。


風は、自分のものだ。


そして、自分が何を望むのかを決めるのも、自分自身のはずだった。


けれど、その考えすら、鎖に押し潰されそうになる。


——お前は武器だ。


——意思など必要ない。


「……っ!」


歯を食いしばろうとしても、体の感覚がない。


それでも、ゼフは抗おうとした。


その瞬間。


胸の奥が、ぼんやりと温かくなった。


ほんの小さな熱だった。


けれど、冷たい鎖に覆われた意識の中で、その温もりだけは、不思議なほどはっきりと感じられた。


それは、遠い記憶を呼び起こす。


旅での思い出が、ゼフの中にあふれた。


初めてステラと出会った時のこと。


記憶を失い、自分のことさえよくわかっていなかった彼女。

それなのに、魔法への興味だけは誰よりも強くて、危なっかしいほど真っ直ぐだった。


初めは、警戒していた。


何を考えているのかわからない。

どうしてそんなに無防備でいられるのかもわからない。


なのに、彼女は迷いなく手を伸ばしてきた。


「一緒に行こう」


そう言って笑いかけてくれた顔が、今も鮮明に浮かぶ。


あのとき、自分はどんな顔をしていたのだろう。


少なくとも、彼女のように素直に笑うことはできなかったはずだ。


それでも、気づけば隣を歩いていた。


戦いの中で、背中を預け合ったこと。


言葉を交わさなくても、互いの動きがわかる瞬間が増えていったこと。


眠れない夜に、焚き火のそばで並んで座ったこと。

くだらないことで笑って、時には喧嘩して、それでも最後には、何事もなかったように隣にいたこと。


ひとつひとつは、何気ない出来事だったのかもしれない。


けれど、今になって思う。


その何気ない時間こそが、どれほど大切だったのか。


(……俺は……)


何を守りたかったのか。


どうして、ここまで必死に抗っているのか。


答えは、初めから決まっていた。


鎖が、ぎり、と音を立てて締まる。


——忘れろ。


——絆など幻想だ。


——そんなものに、お前を縛る価値はない。


「忘れるわけ……ないだろ……」


今度は、はっきりと、心の中で叫んだ。


忘れられるはずがない。


ステラと過ごした時間も。

仲間たちと交わした言葉も。

一緒に見た景色も、くだらないやり取りも。


そのすべてが、今の自分を形作っている。


誰かに不要だと言われたからといって、なかったことになどできない。


——ならば、すべて断ち切れ。


鎖が一斉に引き絞られた。


胸の奥にあった温もりが、押し潰されそうになる。


それでも、ゼフは手放さなかった。


そのとき。


声が聞こえた。


『ゼフィロス!』


ステラの声だった。


泣きそうで、必死で、それでもまっすぐな声。


その声が響いた瞬間、ゼフの意識が大きく揺れた。


忘れるはずがない。


何度だって聞いてきた声だ。


戦いの最中に自分を呼ぶ声。

少し困ったように話しかけてくる声。

何かを伝えようと、一生懸命に言葉を探す声。


そして、今、自分を呼んでいる声。


『帰ってきて。私は、ちゃんとここにいるよ』


その言葉が、闇の中にまっすぐ差し込んだ。


帰ってきて。


その一言が、胸の奥を強く揺さぶる。


帰りたい。


そう思った。


ステラの隣に。

みんなのいる場所に。


当たり前のように一緒に歩いていた、あの旅の続きへ。


けれど、その思いに応えるように、別の声が重なった。


『お前がいないと、前に進めねぇんだよ』


リオネルの、ぶっきらぼうだけど真剣な声。


『勝手にいなくなるな。殴るって言っただろ』


ヴァルカの、強気で不器用な優しさ。


『あとで絶対文句言ってやるから。それを聞くためにも、ちゃんと戻ってきてよ』


ルクスの、少し震えた声。


『みんな、待ってるの。ステラも……私たちも』


フィリアの、あたたかく包むような声。


ひとつ、またひとつと、仲間たちの声が届く。


それは、鎖のようにゼフを縛るものではなかった。


帰ってこいと命じる声ではない。


ただ、ここにいてほしいと。

もう一度、一緒に歩きたいと。


そう願ってくれる声だった。


(……ああ……)


胸が、痛いほど熱くなる。


こんなにも、自分を待ってくれている人たちがいる。


こんなにも、自分の帰る場所を望んでくれている。


(俺は……独りじゃない)


その事実が、何よりも強く、ゼフの心を支えた。


鎖が、軋む。


一本、また一本と、黒い術式に細かなひびが走った。


——従え。


——意思は不要だ。


アルドラの支配の声が、なおも響く。


けれど、もう先ほどほどの力はなかった。


命令の言葉よりも。

支配の術よりも。


はるかに強く、心に響くものがあった。


帰る場所がある。


信じてくれる仲間がいる。


そして、何より……


(ステラが……呼んでる)


彼女は、今も自分を信じてくれている。


何度攻撃しても。

どれほど傷ついても。


自分が自分の意思を取り戻すことを、諦めずに待ってくれている。


ならば。


ここで諦めるわけにはいかなかった。


彼女の声に応えたい。


もう一度、隣に立ちたい。


そして、今度こそ、自分の意思で彼女を守りたい。


(……待っていてくれ、ステラ)


(今度は、俺が……)


言葉にならなかった思いが、強い意志となって胸の奥に灯る。


光が、内側からあふれ出した。


その光に呼応するように、凍りついていた風が、わずかに揺れる。


止まっていた空気が動き始める。


風が、再び動き出す。


ゼフの意識は、闇を押し返しながら、必死に前へ進んだ。


一歩。


また一歩。


どれほど進んでも、鎖は完全には消えない。

意識を引き戻そうとする力も、まだ残っている。


それでも、もう立ち止まらなかった。


鎖は、まだ完全には壊れていない。


けれど、確かに緩んでいる。


支配の術に押し潰されかけていた心が、少しずつ、本来の場所を取り戻していく。


そして、ゼフは、かすかに唇を動かした。


「……今……行く……」


それは、誰かに命じられた言葉ではなかった。


自分自身が望み、自分自身で選んだ言葉だった。


その言葉とともに、ステラとの絆が、正面からアルドラの術にぶつかっていった。


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