9 奪われた意志
薄暗い部屋。
壁一面に刻まれた魔法陣が、低く唸るように光っている。
ここは、アルドラの実験室だった。
床の中央、複雑な術式の中に立たされているのはゼフ。
手足には見えない鎖のような魔力が絡みつき、少し動くだけで全身に痺れが走る。
「……これが、完成形だ」
アルドラは感情の読めない声で呟きながら、術式の反応を観察していた。
精霊を従わせるための魔術。その最終段階。
少し離れた場所に、シリウスが立っている。
腕を組んでいるが、視線はゼフから外さず、どこか苦しそうに眉を歪めていた。
「……やめるつもりは、ないんだな」
小さく漏れた声に、アルドラは振り返らない。
「計画に感情は不要だ。
彼は鍵だぞ、シリウス。世界を完成させるためのな」
再び術が起動する。
魔法陣が強く輝き、ゼフの体を黒い光の鎖が貫く。
「……っ!」
歯を食いしばるゼフ。
意識が削られていく感覚。
頭の奥に、何かが無理やり入り込んでくるみたいな——。
(……ステラ……)
最初に浮かんだのは、その名前だった。
髪を三つ編みにしていた、眠そうな朝の顔。
泣きそうで、それでも前を向こうとしてた目。
たまに見せる、小さな笑顔。
(……リオネル……ヴァルカ……フィリア……ルクス……)
仲間たちの声。
戦いの中で、何度も背中を預けた温度。
「……俺は……」
膝が震える。
でも、倒れない。
「……支配なんか……されない……」
アルドラが静かに手を上げる。
すると、新たな術式が重なり、さらに深い層の魔力がゼフの中へ流れ込んできた。
一つ、二つ、三つ……幾重にも重なる拘束。
思考が、少しずつ白く霞んでいく。
(やめろ……奪うな……俺の……意志を……)
シリウスは拳を強く握りしめる。
「……アルドラ、もう十分だ。これ以上は……」
「必要な過程だよ」
アルドラの声は冷たい。
「彼は抵抗が強い。
だからこそ、完全な支配が成立した時、最高の成果になる」
ゼフの視界が揺れる。
ステラの声が、遠くなる。
仲間たちの気配も、霧の向こうへ沈んでいく。
それでも——
(……ステラ……)
最後まで、心に残っていたのはその名前だった。
だが、黒い魔力の鎖が、ついに精霊の核にまで届く。
「……っ、ぁ……」
声にならない声。
意識は、完全には消えていない。
けれど——体が、動かない。
指1本動かすことも、瞬き1つすることも、思うようにできなくなる。
アルドラは満足そうに術式を見下ろした。
「成功だ。
意識は残したまま、肉体と魔力の制御権をこちらに移す。
……これが、精霊支配術の完成形」
ゼフは立ったまま、動かない。
心の奥では、叫び続けているのに。
体は、もう、自分のものじゃなかった。
遠くで、シリウスが目を伏せる。
「……ゼフィロス……」
その声は、彼にはもう届かなかった。




