chapter 3
百瀬の住まいは学校から自転車で15分の所にある、住宅地の中の一軒家だった。彼はこの借家で、同居人と二人で暮らしている。
自転車で家の前まで来ると、無人のはずの窓に明かりが灯り、併設された車庫には黒のSUVが納まっていた。
「帰っていたのか……」
百瀬は驚きつつも自転車を下りて、車の横に停めた。
チャイムを鳴らすと思った通り、インターフォンから同居人の声がする。
「おかえり、モモ」
出てきたのは緑の眼に亜麻色の長髪を後ろでまとめた美しい男だった。歳のころは20代前半ほど。扉を開けた男は、屋内の照明を背景にしてきらきらと輝いて見える。
(いつ見てもなぜこんな田舎にいるのかわからないイケメンだな……)
百瀬は真顔でそんなことを考えながら、「ただいま、永辻」と返した。
「三日くらい帰らないんじゃなかったの?」
「それが思ったより早く解決してね。まあ、行った先の教会の屋根が一部吹っ飛んだんだけど」
「……」
「まあ、そんなことより早く風呂に入れよ。もう少しで夕飯ができるから」
「助かる」
キッチンの方から美味しそうな匂いがしている。実際、一日働いて家に帰れば夕食が用意されているのはありがたい。
百瀬は礼もそこそこに、洗面所へと向かった。
「へぇ、夜にひとりでに鳴り出すピアノねぇ」
永辻が呟いた。ハヤシライスをスプーンで一口。咀嚼しながら考えを巡らせている。
風呂から上がった百瀬は、テレビのニュース番組をBGMに永辻と夕食を囲んでいた。
メニューはハヤシライスとサラダ。ハヤシライスの牛肉はちょっと良いものをスーパーで買ったらしく、口の中でほろほろと解ける。何の記念日でもない平日の夜に食べるのには、もったいないくらいの美味しさだ。
それなのに百瀬は妙に口数が少ない。彼の様子に永辻は不審を抱き、強引に口を割らせた。その結果、例の音楽室のピアノの顛末を話すことになったわけである。
「ここ1ヶ月ほどで子供達の間に噂に上るようになったらしい。実際、俺も帰る前にそれらしき音を聴いた」
「それでびびり散らかしながら様子を見に行ったけど、既にピアノの音はなく、ピアノの周辺にもおかしなところはなかった、と」
永辻のからかうような物言いに、
「……ああ、そーだよ!!」
百瀬は水をがぶがぶ飲むと、グラスをどんっとテーブルに下ろした。
その様子に永辻はますます笑みを深くする。
「なるほど、話はわかった。しかし残念だな……モモの怯えて震える顔を見逃すとは!絶対に情けなくて、かわいくて、面白かっただろうに!」
「このサディスト!聖職者のくせに!」
百瀬がたまらずスプーンを突きつけて批難する。
永辻はけらけらと笑うばかり。
そう。この男、永辻の職業は神父である。普段は漆黒のカソックをまとい、教会で慈愛の笑みを浮かべて説教などしているのである。
今こそ家着のだらんとしたスウェットを着て、鬼畜なスマイルを浮かべているのだが。
もともと永辻は百瀬の大学時代の友人だった。当時、百瀬は東京の大学に通っていたのだが、地元にUターンして教職に就くことになった。その時に冗談半分で「お前も一緒に来る?」と聞いたら、「行く行く~」と言って本当に来ちゃったのである。
以来、百瀬にとっては生まれ故郷だが、永辻にとっては何の縁もゆかりもない寂れた地方都市で、二人暮らしをしている。
百瀬にとってはそれなりに居心地の良い生活だ。
しかしたまに誘われて参加した日曜のミサで、説教壇に立つ、明らかに異国の血が入った美形の姿を見ると、「何でこんな所に来たんだろうな、あいつ……」とつくづく疑問に思ってしまうのだ。
「で、モモはどう思っているんだ?」
百瀬の考え事を断ち切るように、永辻が差し向けたスプーンを揺らしながら尋ねてくる。
百瀬は努めて冷静な顔をして、
「音楽室を探しても誰もいなかった。録音のような何かしらの仕掛けもなく、どこか別の場所で鳴っているという様子はなかった。一番可能性が高いのは、俺の気のせいってところだな」
と答えた。
永辻が鼻で笑った。
「一番可能性が低い、の間違いだろ。モモが聞き間違いをするはずがない」
「……」
「わかっているだろう?これは俺の領分の話しである可能性が高い」
彼の領分――つまりエクソシストの領分ということだ。
エクソシスト……悪魔祓いを行う者。永辻は日本で数少ないエクソシストに任命された司祭なのだ。昨日から他県の教会に出掛けていたのも、そこの司祭に悪魔祓いを要請されてのことだった。腕は良いらしく、今回も見事に悪魔を祓って帰ってきた。尤も、悪魔を退けた余波として教会の屋根は犠牲になったようだが。
そんな彼が「エクソシストの領分」と言うことは。
「ピアノに、悪魔が取り憑いている……?」
百瀬は恐る恐る尋ねた。
「まだ何とも言えないな。実際に見てみないことには」
永辻は意外にも慎重な態度を見せた。
百瀬が目を丸くする。
「今すぐにでもピアノごと悪魔を潰しに行こうぜ、とか言うと思ってた」
「あのな。悪魔祓いっていうのは本来、令状を受けたり当事者にヒアリングしたり、いろいろと手順を踏んで初めてやれる儀式なの」
「え。でもお前、そんな丁寧な仕事するタイプだったっけ?大体いつも事前聴取とか無く、初手から暴力的な手段を取ってる印象しかないんだけど。俺に悪魔が取り憑いたときだって……」
「それは俺が特別エリートなエクソシストだから。あと緊急時だったから。一般エクソシストは間違ったり失敗したりする可能性があるけど、エリートな俺はそんな心配は無用なので別に良いんですー」
「本当か……?」
百瀬が眉をしかめる。正直、永辻がエリートなエクソシストであることより、この傲慢さで司祭をやっているという事実の方が信じがたい。




