十八話 帝国の焦燥
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
十八話 帝国の焦燥
カレンとリ口は、差し出されたハンバーグを一口食べた瞬間、完全にフリーズした。
帝国の軍事用レーションや、毒見済みの冷え切った高級料理しか知らなかった彼女たちにとって、母さんが作る「愛情と魔力が詰まった家庭の味」は、もはや精神攻撃に近い破壊力を持っていた。
「……信じられない。肉汁の中に、魔力回路を安定させる滋養成分が完璧な比率で配合されているわ……」
カレンが震える手でフォークを置く。スパイとしての分析癖が、あまりの幸福感にバグを起こしている。
「ママ、これ、帝国のお城で食べたお肉より、ずっと……ずっとあったかいよ」
リ口はもう、スパイとしての仮面をどこかに置き忘れたような顔で、夢中で頬張っていた。
「あの、カレンさん。引っ越しの片付けも大変でしょうし、しばらくうちは『アイテムボックス』の中身が余ってるから、遠慮なく食べに来ていいですよ」
僕がさらりと言うと、カレンは「アイテムボックス」という単語にピクリと反応した。
「そ、それは……帝国でも伝説級の国宝とされる空間収納のことかしら? それが余っているなんて……」
「ああ、拓海が昨日そこらへんの端材で作っちゃったんだ。便利だよな、これ」
大樹兄さんが、アイテムボックスからキンキンに冷えたジュースを取り出して見せる。
カレンは確信した。この家族を力で制圧するなど、太陽を素手で掴もうとするほど無謀なことだと。
その夜、カレンは自宅(仮)に戻り、隠し持っていた超長距離通信機を起動させた。相手は帝国宰相、ヴァルガンだ。
『……状況はどうだ、カレン。「毒針」の貴様なら、すでに家族の急所を掴んでいる頃だろう』
ヴァルガンの冷徹な声が響く。カレンは一瞬の沈黙の後、震える声で報告した。
「……宰相閣下。報告します。敵は……敵は、想像を絶する『おもてなし』を展開しています。私の精神防壁は、すでに第一層から第三層まで、焼きたてのクッキーとハンバーグによって融解させられました」
『……何を言っている?』
「さらに、彼らの猫……神獣チャチャが、私の膝で寝息を立てた際、私の暗殺術の根源である魔力回路が、なぜか『癒やされて』しまいました。閣下……この任務、不可能です。彼らは倒すべき敵ではなく、私たちが……私たちが守られるべき存在なのです!」
『カレン、貴様……洗脳されたか!?』
「いいえ、胃袋を掴まれたのです!」
翌朝、僕が庭に出ると、そこには信じられない光景があった。
帝国最強の隠密官だったはずのカレンが、エプロン姿で我が家の庭の草むしりをしていたのだ。
「あ、拓海様! おはようございます。昨日の御礼に、お庭のメンテナンスをさせていただこうと思いまして。あ、この防衛センサーの魔力配線、少し露出していたので絶縁処理しておきましたわ」
「……カレンさん、手際が良すぎない?」
「一応、トラップ設置は専門でしたので!」
リ口も、真央姉さんと一緒にチャチャを追いかけて遊んでいる。
「チャチャ様、お待ちください! 空間凍結ごっこはやめてください、お洗濯物がパリパリになっちゃいます!」
「ニャー。捕まえて。ごらん」
どうやら帝国が送り込んできた「刺客」は、一夜にして我が家の「有能な庭師兼お手伝いさん」にクラスチェンジしてしまったらしい。
「まあ、賑やかでいいわね」
母さんが窓から顔を出して笑う。
僕は叡智のオーブを眺めながら、苦笑した。帝国は次なる一手を考えているだろうけど、この「胃袋の結界」を破るのは、どんな軍隊よりも難しいはずだ。
「さあ、カレンさん。リ口ちゃん。今日はお風呂の『ジャグジー機能』の拡張を手伝ってくれるかな?」
「「喜んで!!」」
僕たちの異世界生活は、敵対勢力すらも日常の中に溶かし込みながら、さらに予測不能な方向へと加速していく。
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