十七話 スパイの誤算
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
十七話 スパイの誤算
翌朝、我が家の向かいにある空き家に、一台の馬車が止まった。
降りてきたのは、清楚な喪服風のドレスを纏った美しい女性と、真央姉さんと同じくらいの年齢に見える、少し内気そうな少女だ。
「あら、素敵な方たちね。拓海、チャチャ、ご挨拶に行くわよ」
母さんは、焼きたてのクッキー(僕の特製「魔力感応ハーブ」入り)をバスケットに詰め、玄関を開けた。
「初めまして。お隣に越してきたカレンと申します。主を亡くし、娘のリ口と静かに暮らそうと思いまして……」
カレンと名乗った女性は、完璧な淑女の微笑みを浮かべた。だが、僕の『叡智のオーブ』は容赦なく彼女のステータスを暴き出す。
個体名 カレン(偽名)
正体 帝国第零特殊任務班「静かなる毒針」司令官
魔力量 Aランク(隠蔽中)
所持品 暗殺用隠し針、広域盗聴魔導具、毒物各種
「まあ、大変でしたわね。私はママよ。こっちは息子の拓海と、神獣……じゃなくて、猫のチャチャ」
「よろしく。おねがい。します……」
リ口と呼ばれた少女が頭を下げる。彼女の瞳は鋭く僕の手元を観察していたが、次の瞬間、彼女の表情が固まった。
「……あ、あの。その猫、さん……」
チャチャが、ゆっくりとリ口の足元に歩み寄った。
帝国最強の隠密部隊である彼女たちは、気配を完全に消しているつもりだろう。けれど、チャチャにとって、彼女たちが放つ「殺意混じりの緊張感」は、真夏の焚き火のように眩しく、そして——
「クンクン。……鉄の。匂い。火薬の。匂い。お姉ちゃん。怖いもの。いっぱい。持ってる」
チャチャの念話が、僕だけでなくカレンたちの脳内にも直接響いた。
「なっ……!?」
カレンの顔から血の気が引く。念話は高位の魔法使いにしか聞こえないはずだが、チャチャの力は彼女たちの防御障壁を紙細工のように貫通していた。
「チャチャ、初対面で失礼だよ」
僕は苦笑いしながら、カレンにクッキーを差し出した。
「どうぞ、これ。母さんの自信作です。リラックス効果が凄く高いので、『隠し事』で疲れた心に効きますよ」
結局、彼女たちは僕たちのペースに引き込まれ、我が家のリビングでお茶を飲むことになった。
「素敵なお家ね……。この壁の素材、見たことがないわ」
カレンが動揺を隠しながら、流体魔鋼の壁を指先でなぞる。その瞬間、壁がピカッと光り、彼女の指先に微弱な電流を流した。
『未登録の魔力を検知。解析を開始します——』
オーブの合成音声が部屋に響く。
「あ、すみません。うちの防犯システム、不審な魔力に敏感なんです」
僕が平然と答えると、カレンは引き攣った笑顔を浮かべ、差し出されたクッキーを一口食べた。
「……っ!?」
その瞬間、彼女の瞳からポロポロと涙が溢れ出した。
「ママ。これ。美味しい。懐かしい。帝国に。いた頃より。ずっと……」
「リ口!? 何を言っているの!」
母さんの特製クッキーに含まれた「郷愁を誘う魔導ハーブ」の効果だ。殺伐としたスパイ生活を送ってきた彼女たちの精神的防壁が、家庭の味によってメルトダウンを起こしている。
「カレンさん、無理しなくていいんですよ」
父さんが仕事から帰宅し、重厚な威圧感(本人は無自覚)を漂わせながらソファに座った。
「隣人として、助け合いましょう。帝国の事情も、話したくなったらで構いませんから」
「……」
カレンは完全に戦意を喪失していた。最強の兵器を作れる少年、隠している実力が計り知れない両親、そして自分の思考を覗き込んでくる猫。
この家を内側から暴くどころか、自分たちがこの家の「温かさ」という名の結界に取り込まれようとしている。
「タクミ。この人たち。悪い人。じゃない。ただ。お腹。空いてるだけ」
チャチャがカレンの膝に飛び乗り、丸くなった。
「今夜は。ハンバーグ。二人分。増やして。あげる?」
帝国が放った最精鋭のスパイコンビは、こうして我が家の「胃袋と居心地」によって、初日で事実上の無力化を遂げたのだった。
「さて、それじゃあ今夜は歓迎会だね、母さん!」
「ええ、腕を振るうわよ!」
僕たちの異世界生活に、なんだか賑やかな(そして少し物騒な)居候予備軍が加わった夜だった。
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