駄目だよ最後まで聞け(笑)
いわずもがなだけどさ、これって今じゃ通用しない理屈だよな。それでもあえてこの時代遅れの論文を載せたのは、これが当時の俺の「信仰」だったからだよ。自分で書いたこれを本気で信じて「退部届」みたいな小説書いて、アル中達をボコして、村上春樹みたいな美しい文章を心の底から憎み続けて、憎しみにあふれた小説書いて、そんな作風じゃダメってアドバイスも一切聞かずに似たような小説書いて、新人賞に応募して、1次選考で落ちて、また同じ路線の書いて、落ちて、書いて、落ちて、2次選考までは行くようになって落ちて、でも小説一本に人生賭けるほど度胸ないから普通に就職して、この頃になると意地になって作風変えなくて、でも夢想してた。もし俺がデビューしたら文壇で喧々諤々の論争が巻き起こって「こんなのは小説じゃない」とか「読むに堪えない酷い文章」とか批判されて、俺はそれ言った評論家をテレビとか出てさんざんこき下ろして挑発して、そこから興味もった若い奴が俺の作品読んで「こんなのなら俺でも書けるわ」みたいに思って実際に書いた奴の何人かはデビューして、それがだんだん大きなムーブメントになってって。で、俺は1冊か2冊ぐらい小説書いて売りまくったらスッパリ引退すんの。新人賞の2次選考に自分のペンネーム見つけた時は小躍りするぐらい喜ぶくせによ、そんなことばっか考えてたんだよ。……なんか一部耳をふさぎたくなってる奴がいるな。駄目だよ最後まで聞け(笑) 20代の最後ごろに文芸誌の最終選考まで残ったことあるよ。あれ残ったら、受賞者が決まる前に候補者全員がゲラ刷りを作ってもらえるんだよ。それを赤ペンで校正しながらもう半分プロになった気になってたな。もちろん結局落ちたよ。選評で選考委員のババアに「こんな作品が受賞候補に残ったのは何かの風の吹き回しにすぎない」とか書かれて「殺してやる」とか思ったな。その後は1回も最終選考に残ったことはないから、ババアが言ってたこともあながち間違ってなかったわ。でも書くのやめなかったし、作風も変えなかった。当時はネット応募なんかないから、毎年毎年自分の作品を印刷して紙の隅に穴開けて紐通して縛って、大判封筒に分厚い束入れて郵便局に持ち込むんだよ。宛先に「○○出版社新人賞」とか書いてあるんだぜ? 地元の郵便局とかにはもう顔バレしてて軽く死ねたわ。30になる手前で結婚したけど、もちろん書き続けたよ。嫁に隠れながらな。途中でバレたけど。ガキも生まれて大きくなって、自分も中途半端に出世して、でも家族に馬鹿にされながら新人賞に応募し続けて。落ちて。まあ仕事にも家族にも恵まれて面白おかしく生きてこれたよ、小説家になれなかったこと以外はな。
そんで今から5年ぐらい前だったかなー、舞城王太郎の「阿修羅ガール」って小説を本屋で見つけた時には心底驚いた。だって、自分のやりたかったことが自分より遙かに高いクオリティで書かれてたから。そん時わかった。こんな作品を待ってたんだ。別に自分で書いた作品じゃなくてもよかった。こんな作品があればよかったんだって。でもこんな作品書こうとしてるのは自分しかいないって思い込んでて、あまりにも固執しすぎて、他人の小説にあんま目を通してこなかったから気付けなかった。糞間抜けな話だよ。それを期にやっと小説書くのをやめれたわ。自分に才能がないことがわかったからじゃないよ? そんなのは最初っからわかってた。才能なくても書く場所よこせよってのが論文に書いたことだし。問題は、その時点で「阿修羅ガール」が出版されてからすでに10年以上経ってたってことだ。遡って調べてみたら佐藤友哉の「フリッカー式」とかも同じ時期に出てた。いわゆるファウスト系の作家グループってやつだな。始祖の清涼院流水が最初叩かれたし、後にグループから西尾維新や奈須きのこが出て多少ブームにはなったけど、それは俺がずっと夢想してたのとは全然違う。内容も規模も。とにかく他のはどうでもよくて、俺にとっては舞城の「阿修羅ガール」だったの。本気で、本当にこんな作品を待ってた。でも、待っていたのは俺だけだった。
で、つい最近のことだけどさ、仕事でネットの素人投稿小説サイトからヒット作が出ている理由を調べなきゃいけない事情があってさ、でも、ヒットした作品を読んでみてもよくわからなかったんだよ。だからまあ、昔書いた作品とかを自分でも投稿してみたわけ。調査の一環として。そしたらわかったよ。いや、ヒットした理由は今もよくわからん。でも、こういうサイトに投稿したくなる気持ちはわかった。やっぱ人に読んでもらったら嬉しいわ。特に俺はアル中とかに「お前の作品なんか誰も読まない」って言われ続けてきたからな。水原さん、俺の作品読んでもらえましたよ。読者?この小説読んでくれてる人達ですよ。




