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Ⅵ.最後に

Ⅵ.最後に



「新しい倫理観」というからには、その中には整合性がなくてはならない。そのことを説明するための実例を一つ示そう。ある大人が、日本の若者が戦争の記録フィルムを見て笑っているのを見て大変憤慨(ふんがい)したそうである。筆者はこれについて弁解すべきことは何もない。なぜなら事の真相はその大人の見た通りであるからだ。問題としたいのは憤慨した大人の価値観である。おそらくその大人は、「若者たちは戦争という愚劣な行為を嘲笑(ちょうしょう)したのだ」とでもいえば納得するのだろうが、もちろん当の若者がそんなことを考えているわけもない。彼らは映画を見ているだけなのである。同時的な共有体験を映したものでないという点でそれはハリウッドの戦争映画と違いはなく、またその中でまぬけな行動をしていたり風俗が古かったりすればそれは当然笑いの対象となる。しかし現実の戦争は我々も嫌である。なぜか。我々にとっては「戦争」などという抽象的なものは存在せず、それは単に殺人だからである。一部の例外を除いて殺人に積極的に参加する人間などいない。だから戦争を()とする政党には投票しない。しかしもし国家が戦争を始めて徴兵(ちょうへい)されれば、国民の義務として兵役には()く。もちろん徴兵忌避(きひ)などという無駄なことはしない。これが間違った価値観だろうか。これに対して鬼畜米英(きちくべいえい)世代はどのような価値観をもっているというのだろうか。


 それからもうひとつ。筆者が次回から連載する予定の小説「必殺学生人」について触れておきたい。この小説における文体は筆者が自分なりに「現代語」というものを考えた結果である(そこでの文章技術的な間違いは、この寄稿文での主張によって正当化される、と)。現在の日本文学は文章技術は高度であるが、読者との共感は失われてしまっている。かつての重鎮(じゅうちん)にしても若手の感覚派にしても、ひとことで言えば「こんなやつはいねえよ」というものばかりである。それについては次回にまわすとして、この小説では高校生を主人公としているが、生々しいリアリティを出すには高校生の文章力・知能レベル・同時代的ノリで書かねばならないと筆者は考えている。70年代パンクスがテクニックレスにこだわったのはリアリティのためである。そこには、となりにいた奴がいきなり心情を吐露しだしたようなショッキングさがあるのである。「生々しさを出すには小細工をしない方がいい」と言ったのは、近年映画監督の才能を認められた北野武である。

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