上段の構え
「だからって、なんで俺がひとりで徹夜しなきゃいけないんだ」
「あの、私が徹夜で描きます。──だから千夜、紫苑さんはいちどおうちに帰らせてあげよう。無理を言って手伝ってもらってるのは、私たちの方なんだから」
「えー……」
じっ、と千夜の目が紫苑を見つめる。
本当に、かよわい真名ひとりに徹夜させて帰ってしまう気なのか、と問い詰められているようで、紫苑はとちゅうで観念した。
「だー、もう、わかったよ。風呂入って、着替えて、一時間で戻る。らくがきして息抜きするのとおなじくらいの時間だ。それなら、べつにいいだろ?」
とたん、にゃはは、と千夜が笑顔をみせる。
「だから好きだよ、しーちゃん!」
あらためてぎゅむ、と腕を抱きしめられるが、残念なほどに胸の当たる感触がない。
「紫苑くんは、従妹に甘いなー。ふたりの子ども時代が目に浮かぶようだわー」
「こんなやさしい従兄がいるなんて、千夜がうらやましいよね」
杏はあきれ半分の口調だったが、真名は紫苑にほほえみを向けてくる。
紫苑は心から、俺だって真名のような従妹が欲しかった、とおもった。
「ところで、チー」
「なあに?」
真名が持ったままのイラストに向かって、紫苑はあごをしゃくる。
かっこいい、と真名が褒めたとおり、堂々としたキャラクター画にデッサンの狂いは見られない。
中段に構えた木刀の先との遠近法もなかなかみごとだ。
が……
「その絵、木刀のにぎりが逆だ」
「え、そーだっけ?」
「なんで、ちょっと資料を見ればすむだけの手間を省くんだ」
「だぁって、面倒なんだもん。いいじゃん、ノリで描いた、ただのらくがきなんだから」
「そーいう絵を見て、また間違うやつがでるんだろ」
「じゃあ、パソコンに取り込んで、左右反転させたらどう?」
「あほ。そしたら、着物の袷が逆になるだろ。しかも、なんで上段の構えじゃないんだ」
「へ、冗談?」
紫苑は、テーブルの上に置いてある三十センチ定規を手に取った。
「それは中段の構え。で、上段はこう。木戸こと桂小五郎といえば、長身に上段の構えで向かうところ敵無しだったんだろ、たしか」
紫苑が身振りを交えて説明すると、へえ、と感心したような声が返る。
「よく知ってんね、紫苑くん」
杏がローテーブルに両腕を置いて身を乗りだすと、ゆさ、と胸が揺れたのが遠目にも見てとれた。
「練兵館の塾頭だったー、とかは有名なはなしだけど。実は、歴史おたく?」
「ちがうよー、しーちゃんはね──」
千夜が言いかけたとき、どこかでジュワ、となにかが吹き出すような音がした。
「きゃあ! いけないっ、お鍋、火にかけたままだった!」
真名があわててキッチンに駆けていく。
「紫苑さん、夕飯ここで食べますよね? 作って待ってますから、戻ってきてくださいね」
そう言われては、ちゃんと今夜のうちに戻ってこないわけにはいかない。
紫苑は、後ろ髪を掻き回しながら、ハイ、とすなおに返事せざるを得なかった。




