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白織夜叉の冒険譚  作者: 蹴 鞠
第2章
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29話 楽しい一日。


王都は、いつもより騒がしかった。


通りには色とりどりの旗が飾られ、普段よりも多くの出店が並んでいる。


焼き菓子。


焼いた肉。


果物。


飲み物。


装飾品。


玩具。


広場では音楽まで流れていた。


「今日は何のお祭りなの?」


夜叉が首を傾げる。


白い耳も、周囲の音につられるようにぴくりと動いた。


「街の祝祭日みたいね」


隣を歩くリゼットが答える。


「毎年この時期にやってるらしいわ」


「へぇ〜」


夜叉は辺りを見回した。


楽しそうな笑い声。


美味しそうな匂い。


色鮮やかな飾り。


「楽しそうだねぇ」


そのとき。


「わぁ!」


リリィが声を上げた。


「いっぱいある!」


「ほんとだぁ」


「ねぇ、あっち行こう!」


「ちょっと待ってぇ〜」


リリィが夜叉の手を引っ張る。


その後ろを、リリアがゆっくり歩いていた。


「ふふ……」


「お姉ちゃん!」


「はいはい」


「早く!」


「そんなに急がなくても、逃げないよ」


「でも早く見たい!」


リリアは妹を見て、微笑んだ。


その様子は。


どこにでもいる姉妹のようだった。


リゼットも思わず小さく笑う。


「……本当に楽しそうね」


「うん〜」


夜叉も笑った。


「こういうの、私も好きだよぉ」


───


最初に立ち寄ったのは、焼き菓子の出店だった。


甘い香りが漂っている。


「これ!」


リリィが指を差す。


「食べたい!」


「じゃあ買おうかぁ」


夜叉が店主にお金を渡す。


「はい」


「ありがとう!」


リリィは嬉しそうに受け取った。


ぱくっ。


もぐもぐ。


「どう?」


夜叉が尋ねる。


「おいしい!」


「よかったぁ」


リリアも一口食べる。


「……美味しいですね」


「でしょぉ?」


夜叉が嬉しそうに笑う。


「こういう日に食べると、いつもより美味しく感じるんだよ」


「そうなんですね」


リリアは周囲を見た。


笑い声。


音楽。


人々の笑顔。


その景色を、静かに眺める。


「……楽しい」


「うん」


夜叉が頷く。


「こういう日、私も好きだよぉ」


リリアは小さく笑った。


───


その後も。


四人は街を歩いた。


玩具。


装飾品。


小さな魔道具。


輪投げ。


的当て。


リリィは何にでも興味を示した。


「これ何?」


「それはねぇ――」


「じゃあこれは?」


「それは――」


「夜叉!」


「はいはい〜」


呼ばれるたびに、夜叉が振り返る。


リリィは楽しそうだった。


リリアも、その隣で穏やかに笑っている。


そんな時間が続いていた。


けれど。


ふと。


夜叉が尋ねた。


「そういえば」


リリィを見る。


「この前の森で会った男の人」


「……」


リリィの足が止まった。


リリアも。


ほんの少しだけ表情を変えた。


「……あの人?」


「うん」


夜叉は頷く。


「名前って、あるの?」


リゼットも静かに耳を傾けた。


「私たちは知らなかったから」


リリィが首を傾げる。


「ヴォルグ?」


「……」


夜叉とリゼットの足が止まった。


「……ヴォルグ?」


夜叉が繰り返す。


「うん!」


リリィは何でもないことのように頷いた。


「ヴォルグっていうの」


リリアが妹を見る。


「……そうね」


「知ってたんだねぇ」


「うん」


リリィは笑う。


「お兄ちゃん、自分で言ってたから」


「……お兄ちゃん?」


「うん!」


夜叉は少し困ったように笑った。


「そう呼んでたんだねぇ」


「うん!」


リリィは嬉しそうに答える。


「ヴォルグ、面白かったよ」


「……」


「いっぱい遊んでくれた」


夜叉は少し黙った。


あの青年。


戦っているときの異常な冷静さ。


狂ったような笑い方。


そして。


最後に森へ逃げていった姿。


「……あの後」


夜叉が尋ねる。


「ヴォルグはどうしたの?」


リリィは。


「あー……」


と声を漏らした。


リリアが妹を見る。


少しだけ。


困ったような顔。


「……もう、いないよ」


「いない?」


「うん」


リリィが答える。


「食べられちゃった」


夜叉の表情が止まる。


「……食べられた?」


「うん」


あまりにも普通の返事だった。


リゼットの目が細くなる。


「誰に?」


リリィは答えようとして。


少し考える。


「おじさま」


「……おじさま?」


夜叉が聞き返す。


リリアが静かに妹を見る。


「リリィ」


「なぁに?」


「それ以上は……」


「うん」


リリィは素直に口を閉じた。


夜叉は二人を見つめる。


「……その人は?」


リリアは少し考えて。


「黒い服を着た、おじさま」


「それだけ?」


「はい」


「……」


「私たちも、あまり知らない人です」


リリアは嘘をついていない。


本当に。


あの男について、自分たちも詳しくは知らない。


ただ。


ヴォルグが。


食べられた。


それだけ。


「……そう」


夜叉は、それ以上聞かなかった。


リゼットも。


何かを考えているようだったが、口を閉じた。


ただ。


一つだけ分かった。


あの青年型の魔人は。


もう。


あの森にはいない。


───


しばらくすると。


リリィが突然、夜叉の袖を引っ張った。


「ねぇ!」


「ん?」


「あっち!」


広場の中央。


大きな肉の塊が焼かれていた。


じゅうじゅうと音を立て、香ばしい匂いが漂っている。


「お肉!」


「……」


夜叉が笑う。


「食べたいの?」


「うん!」


「じゃあ行こうかぁ」


リリィの顔が明るくなる。


「やったぁ!」


四人は出店へ向かった。


───


昼を過ぎても。


祭りは終わらない。


むしろ、さらに人が増えていた。


音楽。


笑い声。


踊り。


子供たち。


色鮮やかな飾り。


リリィは何度も笑った。


「楽しい!」


「うん」


リリアも微笑む。


「楽しいですね」


夜叉も笑っていた。


「こういう日が続けばいいのにねぇ」


その言葉に。


リリアは少しだけ夜叉を見る。


「……そうですね」


けれど。


出店の料理を食べても。


どれだけ食べても。


胸の奥は満たされない。


味は分かる。


美味しいとも思う。


でも。


それだけ。


生きるために必要なものではない。


リリィも。


焼いた肉を食べながら首を傾げていた。


「……おいしい」


「うん」


「でも」


胸元を押さえる。


「なんか足りない」


夜叉が首を傾げる。


「まだ食べたい?」


「ううん」


リリィは少し考える。


「食べたいっていうのとも違う」


リリアは静かに妹を見る。


「……そうね」


「お姉ちゃんも?」


「うん」


リゼットが尋ねる。


「何が足りないの?」


リリアは答えなかった。


少しだけ考えて。


「……私たちが必要とするものは」


穏やかに言う。


「人間の食事とは違うんです」


「何を食べるの?」


夜叉が尋ねる。


リリアは黙った。


リリィが代わりに答える。


「怖いの」


「……」


夜叉の表情が止まる。


「怖い?」


「うん」


リリィは無邪気に頷く。


「怖がってるときのやつ」


リゼットの顔から笑みが消える。


リリアは静かに妹を見る。


「……リリィ」


「なぁに?」


「それは、人間には少し難しい話だから」


「そうなの?」


「うん」


「そっかぁ」


リリィは、それ以上気にしなかった。


また祭りを見る。


また笑う。


それだけだった。


───


夕方。


空が赤く染まり始めた。


祭りも終わりに近づいている。


「今日は楽しかった!」


リリィが笑う。


「うん」


夜叉も笑った。


「私も楽しかったよぉ」


「また来ようね!」


「そうだねぇ」


リリアも二人を見ながら微笑む。


「今日はありがとうございました」


「ううん」


夜叉が首を振る。


「こっちこそ」


リリィが手を振る。


「じゃあね、夜叉!」


「またねぇ」


「リゼットも!」


「ええ」


二人は人混みの中へ歩いていく。


リリィは何度も振り返る。


そのたびに手を振る。


リリアも最後まで笑っていた。


そして。


二人の姿が見えなくなる。


夜叉はしばらく、その方向を見つめていた。


「……ねぇ、リゼット」


「なに?」


「ヴォルグって」


「……うん」


「やっぱり、あの人の名前だったんだねぇ」


「そうみたいね」


「食べられたって……」


夜叉は言葉を止める。


リゼットも答えない。


ただ。


二人とも、何となく嫌な予感だけを覚えていた。


───


街を離れた二人。


リリィが姉の手を握る。


「今日は楽しかったね!」


「うん」


「夜叉、優しかった」


「そうね」


「また遊びたい!」


「……うん」


リリアは微笑む。


今日一日は。


本当に楽しかった。


人間と笑った。


食べ物を食べた。


店を見た。


妹が楽しそうにしていた。


それだけで。


十分だった。


けれど。


リリアは知っている。


どれだけ話しても。


どれだけ一緒に笑っても。


根本的なところは。


きっと交わらない。


人間にとって食事が必要なように。


自分たちには。


恐怖が必要なのだから。


それは善悪ではない。


リリィが悪いわけでもない。


自分たちが望んでそうなったわけでもない。


ただ。


生きるために必要なのだ。


だから。


いつか。


人間と自分たちは。


敵になる。


それが分かっていても。


今日だけは。


楽しかった。


「お姉ちゃん」


「なぁに?」


「また会いに行こうね」


リリアは少しだけ黙って。


妹の手を握り返した。


「……そうだね」


二人は夕暮れの中を歩いていく。


王都の祭りは。


まだ遠くで続いていた。

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