25話 あの時のバグ
――森へ向かう二日間
王都の冒険者ギルド。
朝の受付前は、今日も多くの冒険者たちで賑わっていた。
「……今回の依頼は、調査だな」
レオンが依頼書を広げる。
その横から、夜叉が覗き込んだ。
「どんな依頼?」
「王都から南へ二日ほど。街道の先にある森林地帯で、野生動物の数が急激に減っているらしい」
「野生動物?」
カイルが腕を組む。
「鹿とか?」
「鹿、狐、鳥。それから小型の魔物もだそうだ」
リゼットが依頼書を受け取り、目を通す。
「一週間ほど前から、急に?」
「ああ」
「死骸は?」
「それが、ほとんど見つかっていない」
四人の間に、僅かな沈黙が落ちた。
「……それは妙だな」
カイルが呟く。
「狩りなら痕跡が残る。大型の魔物が食べたとしても、骨や血くらいはあるはずだ」
「だから調査なんだろうな」
レオンが頷く。
「依頼主は森周辺の住民。原因不明で危険がある可能性を考えて、俺たちが選ばれたらしい」
夜叉は依頼書を見ながら、少し考える。
「……森の動物が、いなくなる」
「うん」
「なんだか嫌な感じだねぇ」
その言葉に。
誰も冗談を返さなかった。
四人には、思い出していたからだ。
以前。
森の中で出会った、あの存在を。
逃げていた魔物。
それを追っていた、人の姿をした何か。
そして――
初めて遭遇した。
レベル5のバグ。
「……まあ、まだ決まったわけじゃない」
レオンが言う。
「現地を見てみないと分からない」
「そうだね」
夜叉も頷いた。
「じゃあ、準備しようかぁ」
こうして。
四人は依頼を受けた。
───
昼前。
南門の外には、一台の馬車が用意されていた。
「馬車かぁ」
夜叉が嬉しそうに尻尾を揺らす。
「二日間ずっと歩かなくていいんだねぇ」
「そこを喜ぶのかよ」
カイルが笑う。
「だって楽じゃない?」
「まあ……そうだけど」
「私は好きだよぉ。馬車の旅」
夜叉は荷物を積みながら、楽しそうにしている。
食料。
水。
野営道具。
薬。
予備の矢。
魔法道具。
必要なものを確認して、四人は馬車へ乗り込んだ。
「じゃあ、行くぞ」
御者が手綱を引く。
馬車が動き出した。
王都の門が、少しずつ遠ざかっていく。
やがて石畳が途切れ、街道へ。
草原を抜け。
丘を越え。
遠くの山々を眺めながら進んでいく。
「……平和だなぁ」
夜叉が窓から外を眺める。
「依頼先が森じゃなかったら、普通の旅行みたいなんだけどね」
リゼットが笑う。
「帰りに美味しいものでも買って帰ろうか」
「賛成」
カイルが即答した。
「夜叉は?」
「もちろん賛成〜」
そんな他愛もない話をしながら。
一行は南へ進んでいった。
───
一日目の夕方。
四人は街道沿いの小さな町へ立ち寄った。
大きな町ではない。
宿屋が数軒。
商店が少し。
冒険者向けの簡素な酒場。
そして、周囲には広い農地が広がっている。
馬車を止め、宿を取る。
食事を済ませたところで、レオンが宿の主人へ尋ねた。
「この辺りの森林について聞きたいんですが」
「森?」
主人の表情が僅かに曇った。
「……ああ」
「最近、動物が減っているという話を聞いています」
「そうだな」
主人は椅子に腰掛けた。
「ここ最近、森の様子がおかしい」
「何か見たんですか?」
「俺じゃない。猟師たちだ」
主人は声を落とした。
「森へ入った連中が、妙なことを言ってる」
「妙なこと?」
「……笑い声だ」
カイルが眉を上げる。
「笑い声?」
「ああ」
主人は頷く。
「森の奥から、男の笑い声を聞いたって奴がいる」
「人間?」
「分からん」
「姿を見た人は?」
「それが、誰も見ていない」
リゼットが尋ねる。
「他には?」
主人はしばらく黙った。
「動物の声が、突然消えるらしい」
「……突然?」
「さっきまで鳥が鳴いていたのに、ある場所を越えた途端、何も聞こえなくなる」
夜叉の耳が僅かに動いた。
「……それは怖いねぇ」
主人は苦笑する。
「まあ、だから最近は猟師も森に入らなくなった」
「ありがとうございます」
四人は礼を言った。
宿の部屋へ戻る。
夜。
窓の外は真っ暗だった。
「……笑い声、か」
カイルがベッドに腰掛ける。
「どう思う?」
「分からない」
リゼットが答える。
レオンも黙っていた。
夜叉は窓の外を眺めている。
「……あいつかなぁ」
誰も名前を言わなかった。
だが。
四人の頭には、同じ姿が浮かんでいた。
あの青年。
狂ったように笑い。
魔物を追い。
そして。
四人には、ほとんど興味を示さなかった存在。
「……明日、気をつけよう」
レオンが言った。
「うん」
夜叉は静かに頷いた。
───
二日目。
朝。
町を出発する。
街道は次第に細くなっていった。
周囲の木々も増えていく。
昼を過ぎた頃。
森が見えた。
「……あそこか」
レオンが馬車を降りる。
四人も続いた。
森の入口。
静かだった。
静かすぎる。
「鳥がいない」
リゼットが呟く。
「……本当だ」
カイルも周囲を見る。
風はある。
木々は揺れている。
なのに。
生き物の気配がない。
夜叉がしゃがみ込んだ。
「……これ」
地面に残された跡。
深い爪痕。
木の幹に刻まれた傷。
何かを引きずった跡。
そして。
黒い液体。
夜叉が指先で触れる。
匂いを確かめた。
その顔から、笑みが消えた。
「……あの時の血に似てる」
レオンが剣へ手を伸ばす。
「……バグか」
「まだ分からないよぉ」
夜叉は立ち上がった。
森の奥を見る。
「でも……」
少しだけ耳を伏せる。
「嫌な感じがする」
四人は武器を構えた。
そして。
森へ入った。
───
深く。
深く。
森の中へ進む。
やはり何もいない。
鳥も。
鹿も。
小さな魔物も。
何も。
しばらく進んだ時だった。
「……はは」
どこからか。
笑い声。
夜叉が止まった。
耳が立つ。
カイルが短剣を抜いた。
「聞こえたか?」
「……うん」
リゼットが周囲を警戒する。
「近い」
もう一度。
「……はは」
そして。
木々の向こうから。
一人の青年が歩いてきた。
「……」
四人は。
その姿を知っていた。
青年も。
四人を見た。
「あぁぁあ?」
そして。
笑った。
「久しぶりぃ」
カイルが低く言う。
「……やっぱり、お前か」
「ああ」
青年は嬉しそうだった。
「まだ生きてたんだなぁ」
レオンが剣を構える。
「どうして俺たちに話しかける?」
青年は少し考えた。
「……小さい子から聞いたからなぁ」
「小さい子?」
夜叉の瞳が揺れる。
「黒い服を着ててよぉ」
「……リリィ」
青年は頷いた。
「そうそうそう」
「リリィが、俺たちのことを?」
「ああ」
青年は楽しそうに笑った。
「お前たちの話をしてたぜぇ」
「何を話してたの?」
夜叉が尋ねる。
「いっぱい」
青年は首を傾げた。
「だからぁ…気になってよぉ」
そして。
自分の腕を掻き始めた。
爪が皮膚へ食い込む。
肉が少し落ちる。
「……あは」
笑う。
「あははははは!」
さらに掻く。
「おもしれぇなぁ」
突然。
笑顔が消えた。
「……痛い」
そしてまた笑う。
「でも、おもしれぇ」
四人の警戒が一段上がった。
「食べたらもっと分かんのかなぁ?」
「来るぞ!」
レオンが叫んだ。
青年の腕が変形する。
刃へ。
その瞬間。
空気が変わった。
狂気的な笑顔が消える。
瞳から感情が消えた。
「盾役」
レオンを見る。
「近接」
カイル。
「魔法」
リゼット。
「遠距離」
夜叉。
冷静に。
正確に。
完全に戦闘へ切り替わっていた。
「……まず魔法」
青年が動いた。
「リゼット!」
レオンが飛び込む。
刃を盾で受ける。
「ぐっ……!」
カイルが横から斬る。
夜叉が矢を放つ。
リゼットが魔法を叩き込む。
四人の連携が青年を削る。
以前とは違う。
あの時より。
四人は強くなっていた。
攻撃。
防御。
援護。
位置取り。
全てが噛み合っている。
「……なるほど」
青年が呟く。
「前より強い」
それでも。
青年は冷静だった。
夜叉の矢を避ける。
レオンの盾を回り込む。
カイルの攻撃を誘って反撃する。
リゼットの詠唱を妨害する。
四人の動きを。
一つずつ読んでいく。
時間が経つ。
四人の身体には傷が増えていった。
「はぁ……!」
レオンの息が荒い。
カイルの腕から血が流れる。
リゼットも肩を押さえている。
夜叉の頬にも傷が走った。
だが。
青年にも傷が増えていた。
「……あれ」
青年が自分の胸を見る。
深い傷。
いつもなら塞がるはずの傷が。
塞がらない。
「……魔力」
青年が呟く。
「もう、ない」
リゼットが息を呑む。
「再生できなくなってる……!」
「そういうことか」
レオンが剣を握り直す。
「今なら――」
青年が笑った。
少し疲れたような笑顔。
「……逃げる」
「何?」
「もう戦えねぇからなぁ」
あまりにも素直だった。
青年は一歩下がる。
「じゃぁなぁ」
身体を翻す。
「待て!」
レオンが追おうとする。
だが。
青年は森の奥へ消えていった。
カイルが膝に手をつく。
「……追う?」
「無理」
リゼットが答えた。
「私たちも限界」
夜叉も弓を下ろした。
「でも……」
青年が消えた方向を見る。
「ちゃんと、追い詰められたねぇ」
レオンが頷く。
「ああ」
勝ったわけではない。
それでも。
あの時とは違う。
四人は。
あの怪物を。
撤退させた。
森の異常原因も確認した。
依頼は。
達成された。
───
――その頃。
森のさらに奥。
青年は走っていた。
「……はぁ」
身体が重い。
「魔力、ねぇなぁ……」
傷は治らない。
いつものように身体を自由に変えることも難しい。
「何か……食べねぇと」
そう呟いた時。
青年の前に。
一人の男が立っていた。
黒い服。
白い手袋。
整えられた身なり。
年老いた男。
まるで。
どこかの屋敷から、そのまま森へ散歩に来たような姿だった。
「……」
青年が止まる。
顔から笑みが消えた。
「……嫌だ」
後ろへ下がる。
「……来るな」
男は穏やかに微笑んだ。
「おや」
静かな声。
「どうかなさいましたか?」
「……来るなぁあ」
青年の腕が刃になる。
振り下ろす。
――白い手袋が、その刃を掴んだ。
「……っ」
青年が力を込める。
動かない。
腕を変形させる。
身体をねじる。
逃げようとする。
だが。
男の手は。
微動だにしなかった。
青年の顔に。
初めて。
はっきりとした恐怖が浮かんだ。
「……お前」
男は首を傾げる。
「はい?」
「俺に……興味ないだろぉ!」
少しの沈黙。
「ええ」
男はあっさり答えた。
「特には」
「……じゃあ、なんで」
「少々」
男は青年を見た。
「気になることがございまして」
青年は警戒する。
「……何」
「あなたのような魔人が」
男は微笑む。
「どのようなお味なのか」
「……」
「少し気になりまして」
青年の瞳が揺れる。
「……食うのか」
「はい」
あまりにも自然な返事だった。
「せっかくですので」
「嫌だ」
「そうですか」
「嫌だ……!」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァ!!」
青年が逃げようとする。
だが。
男の手が静かに伸びる。
次の瞬間。
青年の姿が。
男の前から消えた。
音もない。
抵抗もない。
ただ。
そこにいたはずの存在が。
いなくなった。
男はしばらく立っていた。
そして。
白い手袋を整える。
「……なるほど」
小さく呟いた。
「こういうお味なのですね」
それだけだった。
青年がどれほど強かったのか。
どれほど恐ろしい存在だったのか。
男にとっては。
さほど重要ではなかった。
興味があったのは。
ただ一つ。
――Lv5のバグの魔人は、どんな味なのか。
それを確かめただけ。
男は何事もなかったかのように。
森の奥へ歩いていった。
その姿は。
木々の向こうへ消えていく。
やがて。
森は再び静かになった。
まるで。
最初から。
何も起きていなかったかのように。




