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白織夜叉の冒険譚  作者: 蹴 鞠
第2章
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23話 災害の魔物 前編


その日の森は、妙に静かだった。


白猫の足跡は、王都から少し離れた森の中を歩いていた。


受けていた依頼は、いつも通りのものだった。


ゴブリンと狼型魔物の討伐。


特別難しい依頼ではない。


Aランクの彼らにとっては、むしろ少し物足りないくらいだった。


「……これで最後かなぁ」


夜叉が弓を下ろす。


少し離れた場所では、レオンが剣についた血を払っていた。


「たぶんな」


カイルが周囲を見回す。


「数も報告通りだ。もういないと思うぞ」


「なら帰ろうか」


リゼットが杖をしまう。


森の中に、ようやく穏やかな空気が戻ってきた。


依頼は終わった。


あとは王都へ帰るだけ。


――そのときだった。


カイルが足を止めた。


「……ん?」


「どうしたの?」


リゼットが振り返る。


「いや……」


カイルが地面を見る。


そこに。


一枚の黒い羽が落ちていた。


「鳥の羽?」


レオンが近づく。


拾い上げようとする。


「待って」


夜叉が言った。


レオンの手が止まる。


「……何かあるのか?」


「ううん」


夜叉は羽を見つめた。


「ただ……大きいなぁって」


確かに。


普通の鳥の羽ではない。


手のひらよりも遥かに大きい。


黒く、硬い。


羽軸も太い。


まるで。


小さな剣が何本も束ねられているようだった。


「こんなの、この辺にいる鳥から抜けるか?」


カイルが首を傾げる。


「大型の魔物……かな?」


リゼットが魔力を探る。


しかし。


「魔力の残滓は……ほとんどない」


「じゃあ、ただの羽か?」


「分からない」


夜叉はしゃがみ込み、羽の周囲を見る。


草が少しだけ押し潰されていた。


何か大きなものが、ここを通ったような跡。


けれど。


足跡はない。


「……変だねぇ」


夜叉が小さく呟く。


「何が?」


レオンが尋ねる。


「大きなものが通ったなら、普通は足跡があるでしょぉ?」


「確かにな」


カイルも周囲を見る。


だが。


それ以上の痕跡は見つからない。


夜叉は黒い羽をもう一度見る。


なぜか。


胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。


理由は分からない。


ただ。


この羽を見ていると――


何か遠いところから、風が吹いてくるような気がした。


「……まあ、いいか」


夜叉は立ち上がった。


「依頼も終わったし、帰ろう」


「そうだな」


レオンが頷く。


誰も、その羽を拾わなかった。


誰も、それ以上気にしなかった。


――このときは。


───


王都へ戻った翌日。


朝。


冒険者ギルドは、いつもより少し騒がしかった。


「北西街道で?」


「ああ。今朝早くに商人が見つけたらしい」


「被害は?」


「まだ調査中だ」


受付周辺で、冒険者たちが話している。


夜叉たちも、朝食を終えてギルドへ来ていた。


「何かあったのかなぁ」


夜叉が首を傾げる。


「聞いてみるか?」


カイルが言った、そのとき。


――ドンッ!


ギルドの扉が勢いよく開いた。


「緊急報告!」


一人の騎士が駆け込んできた。


室内の空気が変わる。


「北西街道にて、超大型魔物を確認!」


「超大型?」


「規模は!?」


「翼を広げた状態で――」


騎士が息を整える。


「推定五十メートル以上!」


「……」


ギルドが静まり返った。


「五十……?」


「翼を広げて?」


「そんな魔物が、この辺りにいたのか?」


ざわめきが広がる。


騎士が続ける。


「飛行する大型魔物です。現在、北西方向へ移動中」


「被害は?」


「街道の一部が損壊。森林では大量の倒木。近隣農村にも建物への被害が出ています」


「死傷者は?」


「現時点では確認中です」


受付嬢が急いで依頼掲示板を確認する。


「……こんな魔物、登録されてない」


「未確認種か?」


「分かりません」


そのとき。


「空を飛んでるんだよね?」


夜叉が尋ねた。


騎士が頷く。


「はい」


「だったら……」


夜叉は少し考える。


「追いかけるより、先に被害が出そうな場所を避難させたほうがいいかもぉ」


「……」


受付嬢が目を見開く。


その判断は正しかった。


巨大な飛行魔物は、こちらを狙っているわけではない。


ただ――


飛んでいる。


それだけだった。


巨大な翼が空気を叩けば、地上には暴風が起きる。


低空を飛べば、木々がなぎ倒される。


着地すれば、地面が揺れる。


その進行方向に村があれば。


そこに人がいれば。


それだけで被害が発生する。


だからこそ。


これは通常の魔物討伐とは違った。


――災害対策だった。


───


昼。


王都騎士団本部。


緊急会議が開かれていた。


大きな地図が机いっぱいに広げられている。


フィルティーナ。


副団長。


騎士団幹部。


ギルド職員。


そして各部隊の代表。


「現在までに確認された被害を報告します」


副団長が地図を指す。


「北西街道、一部損壊」


「森林地帯、広範囲にわたる倒木」


「農村二か所で建物損壊」


「農地の一部にも被害」


「負傷者、現時点で二十三名」


室内が静まる。


「幸い死者は出ていません」


副団長は続けた。


「しかし、対象の移動速度を考えると、次にどこへ向かうかは予測できません」


フィルティーナが地図を見る。


「対象は人間を狙っているのでしょうか?」


「現在のところ、その兆候はありません」


「襲っているわけではない?」


「はい」


副団長が頷く。


「確認された行動は、飛行と着地。そして餌と思われる大型魔物への捕食のみです」


「……つまり」


フィルティーナが言う。


「自分の行動によって周囲を破壊しているだけ」


「その可能性が高いです」


副団長が黒い印を地図に置く。


「ですから我々は、対象を『敵対的魔物』というより――」


一拍。


「移動する自然災害として扱うべきだと考えています」


誰も反論しなかった。


フィルティーナが静かに頷く。


「ならば、こちらから被害を抑えながら討伐します」


「はい」


「騎士団だけでは?」


「不可能です」


副団長が即答した。


「この規模の魔物を相手にするなら、冒険者ギルドの協力が必要です」


「Aランクも?」


「当然です」


フィルティーナは立ち上がった。


「なら、集めましょう」


───


その日の午後。


冒険者ギルドに一枚の大きな紙が貼り出された。


――緊急合同討伐依頼。


対象。


超大型飛行魔物。


危険度。


測定不能。


報酬。


通常の討伐依頼とは比較にならない額。


参加条件。


実力に応じた班編成。


そして、その下に大きく書かれていた。


――単独討伐禁止。


掲示板の前に冒険者たちが集まる。


「五十メートルって本当か?」


「知らねぇよ」


「騎士団も出るらしいぞ」


「Aランクが何組来るんだ?」


「白猫の足跡は?」


「参加するって話だ」


「マジかよ……」


その中には、ベテランもいた。


新人もいた。


普段は別々の依頼を受けている冒険者たち。


だが。


今回ばかりは同じ場所へ向かう。


───


討伐当日。


北西平原。


そこには、数百人の冒険者と騎士が集まっていた。


盾を持った冒険者。


弓を持った冒険者。


魔術師。


槍使い。


剣士。


治癒術師。


そして騎士団。


あまりにも多い。


夜叉が周囲を見回す。


「すごい人数だねぇ」


「五百人くらいいるんじゃないか?」


カイルが言う。


「もっといるかも」


リゼットが答える。


そのとき。


「おい」


後ろから声がした。


「白猫の足跡だろ?」


振り返る。


そこに四人の冒険者がいた。


大柄な男。


赤茶色の髪をした弓使いの女性。


黒髪の魔術師。


そして大きな盾を背負った小柄な女性。


大柄な男が笑う。


「俺たちは『蒼穹の牙』だ」


レオンが反応した。


「蒼穹の牙……」


王都では知られたAランクパーティー。


大型魔物討伐。


飛行魔物討伐。


高所での戦闘。


そうした依頼を専門的にこなしてきた実力派だ。


「リーダーのガレス」


大柄な男。


「弓のミレア」


赤茶色の髪の女性。


「魔術師のノア」


黒髪の青年。


「盾のセラ」


小柄な女性。


「よろしく」


夜叉が笑う。


「こちらこそ〜」


グレンが空を見る。


「今回ばかりは、Aランクがどうこうって話じゃないな」


「うん」


夜叉も空を見る。


「みんなでやらないとねぇ」


───


やがて。


空の向こうから――


轟音が聞こえた。


ゴォォォォォォォォォ――――。


「……来た」


誰かが呟く。


雲の向こう。


黒い影。


それが少しずつ大きくなる。


太陽が隠れた。


「……」


誰も喋らない。


巨大だった。


あまりにも巨大だった。


黒い羽毛。


鋭い鉤爪。


巨大な嘴。


翼を広げれば、五十メートルを超える。


その姿は鳥だった。


だが。


それは鳥というには大きすぎた。


――自然そのものが翼を持って飛んでいる。


「黒い……」


ミレアが呟く。


誰も名前を知らない。


記録にもない。


ただ。


巨大な鳥。


それだけだった。


「全員、配置につけ!」


副団長の声が響く。


「第一班、地上誘導!」


「了解!」


「第二班、魔術部隊!」


「了解!」


「第三班、弓兵!」


「了解!」


「第四班、救護!」


「了解!」


「Aランク討伐班は――」


フィルティーナが前へ出る。


「私が指揮します」


剣を抜く。


「蒼穹の牙は右翼」


「了解!」


「白猫の足跡は左翼」


「了解だよぉ」


夜叉が弓を構える。


「目標は討伐」


フィルティーナが言う。


「ただし――」


空を見上げる。


「無理に追う必要はありません」


「……」


「相手はこちらを狙っているわけではありません」


その言葉に、多くの冒険者が頷く。


「ならば、こちらも焦らない」


フィルティーナが剣を掲げた。


「一人で倒そうとしないでください」


騎士。


冒険者。


魔術師。


弓兵。


全員が構える。


「全員で削り――」


一拍。


「全員で生きて帰ります」


「――おおっ!」


討伐隊が一斉に声を上げた。


後に、『黒天鳥』と呼ばれる。


巨大な魔物との戦いが始まった。


───


黒天鳥が飛ぶ。


翼を広げる。


「伏せろ!」


暴風が来た。


ズドォォォォォンッ!!


土煙。


木々が揺れる。


冒険者たちが吹き飛ばされる。


「盾!」


「踏ん張れぇ!」


「防壁展開!」


魔術師たちが防御魔法を展開する。


それでも数人が転がった。


「負傷者!」


「こちらへ!」


治癒班が走る。


だが。


前線は止まらない。


「今だ!」


ガレスが叫ぶ。


蒼穹の牙が動いた。


「ミレア!」


「任せて!」


弓が放たれる。


「ノア!」


「準備完了」


魔法が飛ぶ。


「セラ!」


「行く!」


巨大な盾を構えて突進する。


その後ろからガレス。


「――おおおおおおっ!」


戦斧が黒天鳥の脚へ叩き込まれる。


「効いてる!」


誰かが叫ぶ。


反対側。


「白猫の足跡!」


レオンが叫ぶ。


「行くぞ!」


夜叉の矢。


リゼットの魔法。


カイルの双剣。


レオンの剣。


次々と黒天鳥へ攻撃が集中する。


だが。


黒天鳥は倒れない。


翼を振る。


暴風。


大地が削れる。


冒険者たちが吹き飛ぶ。


「うわあああっ!」


「耐えろ!」


「まだだ!」


騎士たちが盾を構える。


魔術師たちが防壁を重ねる。


弓兵たちが一斉に射る。


矢の雨が空へ昇る。


その一つが黒天鳥の翼へ刺さった。


また一つ。


また一つ。


黒い羽が落ちる。


「少しずつだ!」


副団長が叫ぶ。


「確実に削れている!」


───


戦いは長引いた。


黒天鳥は飛び続ける。


討伐隊は追い続ける。


高く飛べば魔術師が牽制。


低くなれば弓兵が狙う。


地面に近づけば近接班が攻撃する。


そして負傷者が出れば、救護班が運ぶ。


誰かが倒れれば。


誰かが支える。


誰かが魔力を使い果たせば。


別の魔術師が前へ出る。


名も知らない冒険者たちも、決して戦場の飾りではなかった。


「右翼、まだいける!」


「こっちもだ!」


「弓兵、次!」


「魔法撃てる奴は撃て!」


「無理するな! 下がれ!」


名前も知らない冒険者たちが、互いに声を掛け合う。


誰もが自分の役割を理解していた。


それが。


大規模討伐だった。


───


「夜叉!」


フィルティーナの声。


夜叉が振り向く。


「どうしたのぉ?」


「翼の動きを見てください!」


「うん〜」


夜叉は目を細める。


黒天鳥を見る。


右。


左。


翼。


風。


「……分かった」


「何が?」


「右の翼を強く振ったあと――」


夜叉が弓を構える。


「左へ旋回するよぉ」


フィルティーナが頷く。


「なら、そこを狙います」


「うん〜」


夜叉が矢を放つ。


一射。


二射。


三射。


風に流される。


しかし。


三本目が――


翼の付け根へ突き刺さった。


「今です!」


フィルティーナが叫ぶ。


「全員、攻撃!」


魔術師たちが一斉に魔法を放つ。


炎。


氷。


雷。


風。


光。


弓兵が射る。


冒険者たちが走る。


ガレスの戦斧が振り下ろされる。


レオンの剣が叩き込まれる。


カイルが翼の傷を狙う。


リゼットの氷が黒天鳥の飛行を阻害する。


「――落ちろォォォォ!!」


誰かが叫んだ。


黒天鳥が大きく傾いた。


「……!」


しかし。


まだ飛ぶ。


「嘘だろ……」


ガレスが息を呑む。


五百人近い戦力の集中攻撃を受けても。


それでも飛ぶ。


それほどまでに巨大だった。


けれど。


確実に。


その翼は傷ついていた。


黒い羽が。


一枚。


また一枚。


空から落ちていく。


「あと少し!」


ミレアが叫ぶ。


「全員、最後の一押しだ!」


フィルティーナが剣を掲げる。


「全軍――!」


黒天鳥が旋回する。


「――集中攻撃!!」


「おおおおおおおおおおおおっ!!」


大地が震えた。


無数の魔法。


無数の矢。


無数の武器。


すべてが一つの巨大な生命へ向かう。


そして。


黒天鳥の翼が――


止まった。


「……!」


巨体が傾く。


ゆっくりと。


ゆっくりと。


空から落ちる。


「全員、退避!!」


フィルティーナが叫ぶ。


討伐隊が一斉に走る。


そして――


ズゥゥゥゥゥゥンッ!!


巨大な身体が大地へ落下した。


土煙が舞い上がる。


地面が大きく揺れる。


誰も声を出さない。


数秒。


十秒。


やがて。


黒天鳥は動かなかった。


副団長が遠くから確認する。


「……」


騎士たちが見守る。


「…………」


そして。


「討伐確認!!」


その声が平原に響いた。


「黒天鳥――討伐完了!!」


「うおおおおおおおおおおおお!!」


歓声が爆発した。


冒険者たちが武器を掲げる。


騎士たちが叫ぶ。


魔術師たちはその場に座り込む。


治癒班は最後まで負傷者の確認を続ける。


ガレスは戦斧を地面に置いた。


「……疲れた」


ミレアが笑う。


「あなた、最初から最後まで突っ込んでたもの」


「仕方ねぇだろ」


ノアが静かに言う。


「盾役のセラより前に出ていた」


「それは……」


ガレスが言葉に詰まる。


セラが呆れた顔をする。


「リーダーなんだから、少しは考えて」


「はい……」


少し離れた場所では。


白猫の足跡も座り込んでいた。


「つかれたぁ……」


カイルが地面に寝転がる。


「もう動けねぇ」


「同感だ」


レオンも息を吐く。


リゼットは杖を握ったまま、空を見上げている。


「……すごかった」


夜叉も黒天鳥を見る。


「うん」


そこに恐ろしいものは、もうなかった。


ただ巨大な鳥が一羽。


大地に横たわっている。


意思があったのか。


人間を憎んでいたのか。


そんなことは分からない。


ただ。


あまりにも巨大で。


あまりにも強く。


あまりにも自然そのものだった。


だから人々は、それを倒した。


誰かを守るために。


街を守るために。


村を守るために。


そして――


自分たちの日常を守るために。


フィルティーナが夜叉の隣へ歩いてくる。


「終わりましたね」


「うん〜」


夜叉が笑う。


「みんなで倒せたねぇ」


「はい」


フィルティーナも微笑む。


少し離れた場所では、ガレスが他の冒険者たちと肩を叩き合っていた。


「お疲れ!」


「そっちもな!」


「飯食いに行こうぜ!」


「賛成!」


戦場だった平原に、少しずつ笑い声が戻っていく。


名前も知らない冒険者たち。


名の知れたAランクパーティー。


騎士たち。


魔術師たち。


治癒術師たち。


誰一人として、単独ではこの巨大な鳥を倒せなかった。


だからこそ。


今日の勝利は、誰か一人のものではなかった。


全員のものだった。


後に、この討伐戦は王都で大きく語られることになる。


人々はその巨大な鳥を――


黒天鳥と呼んだ。


そしてこの日。


冒険者と騎士団が大規模に協力して一体の超大型魔物を討伐したこの戦いは、


『黒天鳥討伐戦』


として記録されることになる。


――だが。


討伐隊が撤収を始めたころ。


誰にも見られていない場所で。


黒天鳥の身体から落ちた一枚の黒い羽が、風に乗って平原の外へ飛んでいった。


それは森へ向かっていた。


あの日。


白猫の足跡が見つけたものと、同じ色の羽だった。


そして。


その羽が落ちた場所には――


誰かが待っているわけでもない。


ただ。


深い森が広がっていた。


風が吹く。


黒い羽が、草の上で小さく揺れた。


その先に何があるのか。


まだ、誰も知らない。

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