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白織夜叉の冒険譚  作者: 蹴 鞠
第2章
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17話 雨の日の、白猫の足跡


――ある日の朝。


王都には、雨が降っていた。


それも――


ただの雨ではない。


窓の外が白く霞むほどの、大雨だった。


屋根を叩く雨音は途切れることなく響き、街道にはすでに水が溜まり始めている。


普段なら朝早くから聞こえてくる人々の声。


馬車の音。


店を開ける音。


それらさえも、今日はどこか遠かった。


白猫の足跡が泊まっている宿も。


いつもより静かだった。


「……すごい雨だねぇ」


窓際に立った夜叉が、ガラス越しに外を眺めながら呟く。


白い髪の間から伸びた猫耳が、絶え間なく響く雨音に合わせるように、僅かに揺れていた。


「すごい、なんてもんじゃないだろ」


ベッドの上からカイルが言う。


「これ、外に出たら三分でびしょ濡れだぞ」


「三分もいらないと思うけど」


リゼットが紅茶を飲みながら淡々と返す。


「一分」


「そこ競うところか?」


「競ってない」


「……そうか」


レオンは腕を組みながら窓の外を眺めていた。


「今日の依頼はどうする?」


「無理じゃないかなぁ」


夜叉が振り返る。


「森に行ったら、帰ってこられなくなりそうだよぉ」


「依頼先まで行く途中で川ができてそうだしな」


カイルが窓の外を指差す。


実際。


街路の端には、すでに水が流れていた。


「冒険者ギルドも、今日は依頼を減らしてるらしい」


レオンが言う。


「さっき受付の人が言ってた。危険度の高い依頼は、一時的に延期するって」


「じゃあ――」


夜叉が。


ぽん、と手を叩いた。


「今日はお休みだねぇ」


「おお」


カイルが嬉しそうに起き上がる。


「休日!」


「……お前、嬉しそうだな」


「そりゃ嬉しいだろ! 最近ずっと働いてたんだから!」


「働いていたのは全員だ」


「細かいこと言うなよ、レオン」


「細かくない」


そんな二人のやり取りを眺めながら。


夜叉は小さく笑った。


「じゃあ今日は、何しようかなぁ」


「寝る」


即答だった。


「私は賛成」


リゼットも頷く。


「私も寝たいよぉ」


「お前ら……」


レオンが呆れた顔をする。


「せっかくの休日なんだから、もう少し何かあるだろ」


「この雨じゃ外にも出られないしな」


カイルが窓を見る。


その直後。


――ゴロゴロゴロ……。


遠くで雷が鳴った。


「……」


「……」


カイルが静かにベットへ戻った。


「……寝るか」


「そうしよう」


リゼットも頷く。


「お前ら……」


レオンが頭を抱えた。


普段なら。


四人は宿で別々の部屋を取っている。


それぞれ一人の時間も必要だし、装備の手入れや休息も各自で行う。


けれど――


今日は違った。


朝から誰も外に出る気になれず。


いつの間にか。


一番広い部屋に全員が集まっていた。


最初は。


少し話すだけのつもりだった。


それが。


「……眠くなってきたぁ」


夜叉がベッドへ倒れ込む。


そのまま。


白い尻尾を身体に巻きつけた。


「お前、本当に寝るのかよ」


カイルが笑う。


「うん〜」


「早いな……」


「雨の日は眠くなるんだよぉ」


夜叉はそう言って。


もぞもぞと布団へ潜り込む。


すると。


カイルもベッドに寝転がる。


「じゃあ俺も――」


「そこ、私の場所」


夜叉が布団の中から言った。


「え?」


次の瞬間。


もぞっ。


白い尻尾がカイルの腰へ絡みついた。


「お、おい――」


ぐいっ。


「うわっ!」


カイルがベッドから転がり落ちる。


「ぐへっ!」


「そこは私の場所だよぉ」


「尻尾で人を落とすな!」


「ごめんねぇ〜」


全然悪びれていない。


リゼットが本を読みながら。


「……自業自得ね」


「お前まで!?」


夜叉は。


布団の中で小さく笑った。


「私も寝たいよぉ」


「お前ら、全員寝る気か……」


レオンは呆れながらも。


壁際の椅子へ腰を下ろした。


結局。


誰も自分の部屋へ戻らなかった。


雨が激しいせいか。


それとも。


単純に四人とも休みたかったのか。


理由は誰にも分からない。


ただ。


珍しく全員が同じ部屋で。


何をするでもなく。


時間を過ごしていた。


───


昼。


雨は止まない。


むしろ朝より激しくなっていた。


窓の外は白い雨幕に覆われ。


街の景色さえ、ほとんど見えない。


夜叉はベッドの上で丸くなっている。


白い尻尾を身体に巻きつけ。


時々。


眠そうに耳を動かしていた。


リゼットはソファに座って本を読んでいる。


レオンは椅子に座り。


剣の手入れをしていた。


そして。


カイルは――


「暇だ……」


床に寝転がり。


天井を見ていた。


「さっきからそれしか言ってないねぇ」


夜叉が目を閉じたまま答える。


「だって暇なんだよ」


「寝ればいいよぉ」


「もう寝た」


「じゃあ、もう一回寝ればいいよぉ」


「それはもう昼寝じゃなくて本気の睡眠だろ」


「いいんじゃないかなぁ」


「いいのかよ」


夜叉は。


くすっと笑った。


外では。


ずっと雨が降っている。


ザーッ……。


ザーッ……。


その単調な音を聞いていると。


何もする気が起きなくなる。


「……こういう日も悪くないな」


レオンがふと呟いた。


手入れを終えた剣を。


鞘へ戻す。


「普段は別々の部屋だからな」


「そうだねぇ」


夜叉が目を開ける。


「みんなでこうしてるの、なんだか久しぶりかも」


「たしかにな」


カイルも仰向けのまま笑う。


「依頼もない、外にも出られない、やることもない」


「それ、冒険者としてどうなんだ?」


「休日なんだからいいだろ」


「……まあ、そうだな」


レオンも笑った。


そして。


また静かになる。


本をめくる音。


欠伸。


雨音。


時折。


遠くで雷が鳴る。


そんな時間が。


ゆっくりと流れていった。


───


夕方。


雨はまだ降っていた。


王都全体が薄暗い。


それでも。


四人はまだ同じ部屋にいた。


夜叉は窓の外を眺める。


「……今日は、本当に一日中雨だねぇ」


「このまま明日まで降るんじゃないか?」


カイルが言う。


「だったら明日も休みだな」


「都合のいいこと言ってるねぇ」


「いいだろ、たまには」


夜叉は笑った。


「そうだねぇ」


雨の向こう。


ぼんやりと街の灯りが滲んでいる。


その景色を。


四人はしばらく眺めていた。


───


そして――夜。


ようやく。


宿の外が少しだけ静かになった頃。


「……ん?」


夜叉は。


部屋の扉へ顔を向けた。


こんこん。


控えめなノック。


レオンが顔を上げる。


「誰だ?」


「私が出るよぉ」


夜叉が立ち上がる。


扉を開ける。


そこに立っていたのは。


冒険者ギルドの職員だった。


「白織夜叉さん?」


「うん〜」


「鞠凪さんから伝言です」


「お母さんから?」


「はい」


職員は。


少しだけ困ったような顔をしていた。


「今夜、時間があれば……自分の部屋まで来てほしい、と」


「……今夜?」


「はい」


夜叉の耳が。


ぴくりと動いた。


「何か言ってた?」


「それ以上は何も」


「そっかぁ」


夜叉は少し考えた。


お母さんが。


わざわざ人を寄越してまで呼ぶ。


珍しい。


「分かったよぉ、ありがとう」


「では、失礼します」


職員が去っていく。


夜叉は静かに扉を閉めた。


「鞠凪さんから?」


リゼットが尋ねる。


「うん〜」


「何の用だろうな」


カイルが首を傾げる。


「さあ?」


夜叉も首を傾げた。


けれど。


その表情から。


先ほどまでの眠たげな笑顔が。


ほんの少しだけ消えた。


「でも……」


窓の外を見る。


雨は。


まだ降っている。


さっきまでとは違う。


妙に。


静かな雨だった。


「……夜に来てって言われたよぉ」


「夜に?」


レオンが少しだけ眉を寄せる。


「今じゃなくて?」


「うん」


「へぇ〜」


「うん〜」


夜叉は小さく笑った。


「何か、お話したいことがあるのかもねぇ」


誰も。


それ以上は言わなかった。


ただ。


四人の間に。


ほんの少しだけ。


先ほどまでとは違う空気が流れた。


雨音だけが。


部屋の外で静かに響いている。


――その時は。


まだ誰も知らなかった。


その夜。


鞠凪が話そうとしていることが――


夜叉の過去に関わる話だということを。

読んでくれてありがとうございます。

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