16話 平和な日
夕方。
今日の依頼を終えた夜叉たちは、ギルドを出ていた。
「今日は平和だったな」
レオンが大きく伸びをする。
「うん〜。怪我もしなかったしねぇ」
「俺なんか、一回も剣を抜いてないぞ」
「それはいいことじゃない?」
リゼットが笑う。
「冒険者なのに?」
「冒険者だからこそよ」
「なるほど」
カイルが頷く。
「じゃあ今日は、平和記念日ってことで」
「何それ」
夜叉がくすっと笑った。
四人は夕暮れの街を歩いていく。
空が、少しずつ赤く染まっている。
昼間より人通りは減っているが、まだ店は開いていた。
夕飯の買い物をする人。
仕事を終えて家へ帰る人。
酒場へ向かう冒険者。
それぞれが、それぞれの日常へ戻っていく。
「夜叉、今日はどうする?」
レオンが聞く。
「宿に帰って寝る〜」
「早いな」
「眠いんだもん」
「お前、昼寝しただろ」
「それとこれとは別だよぉ」
「別なのか……」
レオンが苦笑する。
そんな他愛のない会話をしながら、四人は歩いていた。
――その時だった。
通りの先から、一人の老人が歩いてくる。
黒い服。
白い手袋。
背筋の伸びた姿。
手には、小さな紙袋。
老人は四人に気づくと、静かに道の端へ寄った。
「どうぞ」
穏やかな声だった。
「ありがとうございます」
レオンが軽く頭を下げる。
夜叉たちも老人の横を通り過ぎる。
ただ、それだけだった。
――なのに。
「……」
夜叉の足が、ほんの一瞬だけ止まった。
白い耳が、ぴくりと動く。
「……?」
夜叉自身も、何が起きたのか分からない。
ただ。
老人とすれ違った瞬間。
胸の奥が、ざわついた。
夜叉はゆっくり振り返る。
老人は、数歩先を歩いていた。
黒い服。
白い手袋。
背筋の伸びた姿。
夕暮れの光の中でも、その姿だけが妙にはっきりと見える。
「……夜叉?」
カイルが振り返った。
「どうした?」
「……ううん」
夜叉は答えながら、もう一度老人を見る。
老人は振り返らない。
ただ、静かに歩いている。
その歩き方。
その声。
その黒い服。
――どこかで。
何かを――。
「……」
頭の奥に、知らないはずの景色が浮かびかけた。
白い大地。
降り積もる雪。
小さな自分。
そして――。
「……っ」
夜叉は小さく息を呑んだ。
けれど。
それ以上は、何も浮かばない。
「夜叉?」
今度はリゼットが声をかけた。
「大丈夫?」
「うん……大丈夫だよぉ」
夜叉は笑った。
けれど。
その笑顔は、ほんの少しだけ遅れた。
「ただ……」
「ただ?」
リゼットが聞き返す。
夜叉は老人の背中を見る。
「前にも、あの人を見た気がする」
「知り合い?」
「分かんない」
「……そう」
リゼットも老人を見る。
けれど、老人は何も変わらない。
ただの老人に見える。
街を歩いている。
それだけだった。
「……でも」
夜叉の言葉が止まる。
胸の奥に残っている。
この感覚。
初めて会ったはずなのに。
ずっと昔から知っているような。
それでいて――。
なぜか。
絶対に、思い出したくないような。
「……なんでもない」
夜叉は小さく首を振った。
「気のせいだよぉ」
「そう?」
「うん〜」
レオンたちが歩き始める。
夜叉も、その後をついていく。
けれど。
何度も振り返りそうになった。
それでも。
もう、振り返らなかった。
老人は、人の波の中へ消えていく。
誰も気に留めない。
誰も疑わない。
王都にいる、数え切れない人間の一人。
ただ、それだけ。
――そのはずだった。
───
その夜。
宿のベッドに横になっても、夜叉はなかなか眠れなかった。
「……なんだったんだろう」
目を閉じる。
黒い服。
白い手袋。
穏やかな声。
そして。
すれ違った瞬間に感じた、説明できない違和感。
「……」
夜叉は布団の中で、小さく身を丸める。
知らない。
何も知らない。
なのに。
胸の奥に残った感覚だけが。
いつまでも消えてくれなかった。
そして夜叉はまだ知らない。
今日、すれ違ったその老人が。
これから始まる出来事の――
すぐ近くにいることを。
読んでくれてありがとうございます。




