14話 少女
――翌朝。
「……増えてる」
リゼットの声に、三人が振り返った。
村の家畜小屋。
昨日、死んでいたのは三頭だった。
けれど今は――六頭。
「昨日の死体が移されたんじゃないのか?」
レオンが死体を見下ろす。
「違うと思う」
リゼットはしゃがみ込み、一頭ずつ確認していく。
「昨日見た三頭も、ちゃんとここにあるわ」
「じゃあ……」
カイルが周囲を見回した。
「新しく三頭、死んだってことか?」
「そう」
リゼットは短く頷いた。
どの死体にも、大きな外傷はない。
血も、ほとんど流れていない。
ただ。
皮膚の下に。
何かがいる。
黒いもの。
それは筋肉とも血管とも違う。
細く。
ぬるりと。
皮膚の下を這っていた。
「……まただ」
夜叉が呟く。
黒い影が、一頭の腹の下をゆっくりと移動する。
一度。
二度。
そして――
ぴたり。
止まった。
まるで。
こちらを見たように。
「……気持ち悪いな」
カイルが顔をしかめる。
リゼットは杖を構えた。
「触らない方がいい」
「分かってる」
誰も死体に近づこうとはしなかった。
そのとき。
夜叉の頭の奥に――
また。
白い景色が浮かんだ。
雪。
凍えるような空気。
白い地面。
赤い色。
自分より大きな腕。
そして――
――やめて……。
――お願い……。
――この子だけは……。
「…………」
夜叉は胸元を押さえた。
「夜叉?」
レオンの声がする。
「……大丈夫だよぉ」
いつものように。
柔らかく笑う。
けれど。
その耳は――
小さく震えていた。
⸻
その日の午後。
四人は村の外れにある森へ入った。
家畜小屋から逃げ出した「何か」が、森へ向かったらしい。
しばらく歩く。
木々の間を抜け。
獣道を進む。
しかし。
「……ここから先は何もないな」
カイルがしゃがみ込んだ。
地面に残っていた足跡は、そこで途切れている。
「気配もない」
リゼットが周囲を見回す。
「逃げたにしては……変ね」
そのとき。
――ぽきっ。
枝が折れた。
四人が一斉に振り返る。
木々の向こう。
そこに――
少女が立っていた。
黒いゴシック調の服。
白い肌。
長い髪。
小さな身体。
一見すれば。
どこにでもいる――
ただの少女だった。
少女は四人を見つめている。
そして。
にっこりと笑った。
「こんにちは」
「…………」
誰も答えなかった。
少女は首を傾げる。
「こんにちは」
今度は。
少しだけ不思議そうな声だった。
夜叉が答える。
「……こんにちは」
少女の顔がぱっと明るくなった。
「返事した」
「うん」
「よかった」
少女は嬉しそうに笑った。
可愛らしい。
本当に。
普通の少女に見えた。
だからこそ。
夜叉は違和感を覚えた。
少女は笑っている。
なのに――
瞬きをしない。
一度も。
夜叉は無意識に、その目を見つめ返していた。
「……ここで何してるの?」
少女は答えなかった。
代わりに。
夜叉を見る。
耳。
髪。
尻尾。
そして――
目。
まるで。
一つずつ確かめるように。
「白いね」
「そうだねぇ」
「耳も」
「うん」
「尻尾も」
「うん」
少女は一歩近づいた。
「触っていい?」
夜叉は少し困ったように笑った。
「どうして?」
「触ったことがないから」
「……何を?」
少女は首を傾げる。
「あなた」
「…………」
カイルの表情が引きつった。
少女はそれを見て、不思議そうに尋ねる。
「嫌?」
「まあ……ちょっとな」
「どうして?」
「知らない奴に仲間を触られるのは、普通嫌だろ」
「普通?」
少女はその言葉を繰り返した。
少しだけ考える。
「……そうなんだ」
少女は素直に手を下ろした。
「分かった」
夜叉が少し驚く。
「……聞き分けがいいねぇ」
「うん」
少女は笑った。
「嫌がることは、しない方がいいんでしょう?」
「そうだねぇ」
「分かった」
少女は頷く。
そして。
少し間を置いて。
「でも」
笑顔のまま。
「食べるのは?」
空気が止まった。
レオンの手が剣へ伸びる。
カイルも短剣を抜く。
リゼットが杖を構えた。
少女は。
三人の動きをじっと見ていた。
「……どうして武器を出すの?」
レオンが答える。
「お前が俺たちを食べると言ったからだ」
「そう」
少女は頷いた。
怒るでもない。
怯えるでもない。
ただ。
少し考える。
「じゃあ……怖い?」
「……何?」
「怖いから武器を持つんでしょう?」
「違う」
夜叉が答えた。
少女が夜叉を見る。
「違う?」
「守るためだよぉ」
「守る?」
「うん」
夜叉は三人を見る。
「自分とか」
少しだけ間を置いて。
「大切な人とか」
少女の表情が。
止まった。
「…………」
「分からない?」
夜叉が尋ねる。
少女は首を横に振った。
「ううん」
そして。
小さく笑う。
「分からない」
「…………」
「大切って」
少女は自分の胸元に手を置いた。
「食べないこと?」
「それとは違うかなぁ」
「じゃあ、何?」
「うーん……」
夜叉は少し考えた。
「一緒にいたい、とか」
少女は。
夜叉を見つめた。
「一緒にいたい」
その言葉を。
一度。
口にする。
「……一緒にいたい」
もう一度。
今度は。
確かめるように。
「それが……大切?」
「そういうこともあるかなぁ」
「……そう」
少女は笑った。
けれど。
その笑顔は。
さっきより少しだけ違って見えた。
少女は夜叉から目を離さない。
「人間って、不思議」
「……人間?」
少女は頷いた。
「うん」
そして。
夜叉を見る。
「あなたたちは、人間」
「…………」
「でも」
少女の視線が。
夜叉の耳へ。
尻尾へ。
そして目へ移る。
「あなたは少し違う」
夜叉の表情が変わった。
「……どうして?」
少女は少しだけ首を傾げた。
「お姉ちゃんと同じ」
「…………お姉ちゃん?」
「うん」
少女は嬉しそうに笑った。
「優しい匂い」
夜叉の耳がぴくりと動く。
「……誰のこと?」
少女は答えない。
「お姉ちゃんって……誰?」
少女は森の奥を見る。
「いるよ」
「どこに?」
「近く」
「今も?」
「うん」
「ここにいるの?」
「うん」
少女は笑った。
「見てるよ」
夜叉の背中に。
冷たいものが走った。
「……私たちを?」
「ううん」
少女は夜叉だけを見る。
「あなたを」
「…………」
「ずっと」
その一言に。
夜叉の指先が僅かに震えた。
少女は。
誰もいない森の奥へ顔を向ける。
そして。
まるで誰かに話しかけるように。
「お姉ちゃん」
返事はない。
「この子だよ」
風が吹く。
木々が揺れる。
それでも。
返事はない。
少女は。
それを当然のことのように受け入れていた。
「見つけたね」
「……何を?」
夜叉が尋ねる。
少女は答えない。
ただ。
夜叉へ向かって一歩近づいた。
そして突然。
しゃがみ込む。
地面に手を伸ばす。
何かを拾い上げた。
それは。
小さな黒いもの。
昨日、家畜の身体の中にあったものと――
同じだった。
少女はそれを指先で転がす。
「これ」
「…………」
夜叉たちが見つめる。
少女は笑った。
「おいしいよ」
そして。
何の躊躇もなく。
口に入れた。
――ぱく。
噛む。
少女の頬が僅かに動く。
そして。
嬉しそうに笑った。
「……やっぱり」
少女は。
森の奥を見る。
「まだいる」
夜叉の耳が立つ。
「……まだいる?」
「うん」
「どこに?」
少女は足元を見る。
「そこ」
次に。
自分の胸を指す。
「ここ」
そして――
四人を指した。
「それから」
少女は。
にっこりと笑った。
「あなたたちの中にも」
「――!」
空気が変わった。
レオンが剣を構える。
カイルが一歩下がり、短剣を握り直す。
リゼットの杖先に魔力が集まる。
少女は。
きょとんとしていた。
「どうして怖がるの?」
「お前……!」
レオンが踏み込もうとする。
しかし。
夜叉が腕を伸ばして止めた。
「待って」
レオンが夜叉を見る。
「夜叉?」
夜叉は少女から目を離さない。
少女もまた。
夜叉を見ている。
その目には。
敵意がない。
いや。
敵意というものを――
知らないようにも見えた。
「……怖い?」
少女が尋ねる。
夜叉は答えなかった。
少女は少し考える。
そして。
ふっと笑った。
「じゃあ、今日は帰る」
「……帰る?」
「うん」
少女は森の奥へ歩き始める。
数歩進んだところで。
振り返った。
「また遊ぼうね」
「…………」
「白い子」
少女は夜叉へ笑いかける。
「お姉ちゃんも、あなたと遊びたいって」
夜叉の目が見開かれた。
「……待って!」
少女は振り返らない。
走っているわけではない。
ただ。
歩いているだけ。
なのに。
木の影を一つ抜けた瞬間――
姿が消えた。
「…………」
カイルが辺りを見回す。
「どこ行った?」
リゼットが魔力を探る。
「……反応がない」
「最初から……魔力なんてなかったみたいに」
レオンが剣を下ろす。
少女が消えた森の中。
四人はしばらく動けなかった。
風が木々の間を抜ける。
葉が擦れる音。
鳥の声。
それ以外には。
何もない。
「……本当に消えたな」
カイルが呟く。
「魔法?」
リゼットが周囲を見回す。
「それなら、何かしら魔力の痕跡が残るはず」
「じゃあ……」
レオンが言葉を止めた。
誰も答えない。
夜叉は。
さっきまで少女が立っていた場所を見つめていた。
そこには。
小さな黒いリボンが落ちている。
夜叉が拾い上げる。
柔らかな布。
どこにでもありそうな。
普通のリボン。
けれど。
裏側に――
小さな刺繍があった。
白い糸で。
たった四文字。
――リリィ。
「……名前?」
リゼットが覗き込む。
夜叉は頷いた。
「たぶん」
「自分の名前を残していったのか?」
レオンが尋ねる。
「分からないよぉ」
夜叉はリボンを指先で撫でる。
「でも……」
少女の笑顔を思い出す。
『また遊ぼうね』
『お姉ちゃんも、あなたと遊びたいって』
「……あの子自身のものだと思う」
カイルが腕を組む。
「リリィ、か」
「普通の名前だな」
レオンが言った。
「うん」
夜叉は小さく答えた。
「だから……余計に変なんだよねぇ」
「何が?」
「名前があること」
三人が夜叉を見る。
夜叉は。
リボンを握る指に少しだけ力を込めた。
「……人みたいに名前があるのに」
森の奥を見る。
「私たちが知ってる生き物とは……全然違う」
誰も否定できなかった。
夜叉は。
もう一度。
森の奥へ視線を向ける。
誰もいない。
何もいない。
なのに。
確かに。
何かがこちらを見ている。
そんな気がした。
「……お姉ちゃん」
夜叉が小さく呟く。
「……もう一人、いるんだ」
その瞬間。
風が吹いた。
木々が大きく揺れる。
その向こう。
ほんの一瞬だけ。
少女と同じ顔が――
見えた気がした。
「…………!」
夜叉が顔を上げる。
しかし。
もう何もない。
ただ。
遠くから。
小さな笑い声だけが聞こえた。
一人分なのか。
二人分なのか。
それすら。
分からなかった。
読んでくれてありがとうございます。




