10話 デート
王都の朝。
昨日までの騒ぎが嘘だったかのように、街はいつも通りだった。
露店から漂う焼きたてのパンの香り。
石畳を行き交う人々の声。
荷車の車輪が、からからと音を立てている。
そんな街の一角を。
白い髪の女性――白織夜叉は、ゆっくり歩いていた。
「……うん〜」
隣には。
フィルティーナ・ローマンがいる。
「今日は、ずいぶん機嫌がいいわね」
「そうかなぁ?」
「ふふ」
フィルティーナは小さく笑った。
「尻尾がいつもより揺れてるわ」
「……」
夜叉が自分の後ろを見る。
ふわふわの白い尻尾が。
ぱた。
ぱた。
嬉しそうに揺れていた。
「……これは、そのぉ」
「うん」
「……天気がいいからだよぉ」
「そういうことにしておこうかしら」
「むぅ」
夜叉が頬を少し膨らませる。
フィルティーナは楽しそうに笑った。
「それで?」
「うん?」
「今日はどこへ行くの?」
「……決めてないよぉ」
「決めてないの?」
「うん〜」
夜叉は空を見上げる。
雲ひとつない青空。
「今日はねぇ」
少しだけ。
フィルティーナの方を見る。
「フィルティーナと一緒に歩ければ、それでいいかなぁって」
「……」
フィルティーナが止まった。
「……どうしたのぉ?」
「いや」
少しだけ顔を逸らす。
「……それは、不意打ちじゃないかしら」
「?」
「なんでもないわ」
夜叉は首を傾げた。
「変なのぉ」
「夜叉にだけは言われたくないわね」
「えぇ〜?」
二人はまた歩き始めた。
───
「……あ」
しばらく歩いたところで。
夜叉が立ち止まった。
「どうしたの?」
「あれ」
指差した先。
小さな露店があった。
木製の看板には。
『焼き菓子』
と書かれている。
「……」
夜叉の尻尾が。
ぴん。
「……食べたいの?」
「……ちょっとだけ」
「さっき朝食を食べたばかりじゃなかった?」
「甘いものは別だよぉ」
「そうなの?」
「そうなの〜」
フィルティーナは笑って。
「じゃあ、買いましょうか」
「いいの?」
「ああ」
「やったぁ」
夜叉の顔がぱっと明るくなる。
店先で焼き菓子を二つ買う。
一つを夜叉へ。
もう一つをフィルティーナへ。
「はい」
「ありがとう〜」
夜叉は嬉しそうに受け取る。
そして。
一口。
「……ん〜」
目を細める。
「美味しい〜」
「そんなに?」
「うん」
夜叉は焼き菓子を見つめる。
「フィルティーナも食べてみてぇ」
「ん?」
「美味しいよぉ」
「私はこっちを持っているけれど……」
「そうじゃなくて」
夜叉が。
自分の焼き菓子を少し差し出した。
「こっち」
「……」
フィルティーナが固まる。
「……夜叉」
「うん?」
「それは……」
「?」
「……」
フィルティーナは少しだけ困ったように笑った。
「……そうね。せっかくだもの。いただこうかしら」
「うん〜」
一口。
フィルティーナが食べる。
「……」
「どう?」
「……美味しいわね」
「でしょ〜?」
夜叉は満足そうに笑った。
「フィルティーナと一緒だと、もっと美味しいねぇ」
「……」
今度こそ。
フィルティーナは何も言えなかった。
「……どうしたのぉ?」
「あなたは……」
「うん?」
「……本当に無自覚なのね」
「何がぁ?」
「なんでもないわ」
───
午後。
二人は王都の外れにある小さな湖へ来ていた。
観光地というほど有名ではない。
けれど。
水は澄んでいて。
湖面には青空が映っている。
「綺麗だねぇ」
夜叉が湖のほとりに座る。
「ええ」
フィルティーナも隣に座った。
二人の間には。
ほんの少しだけ距離がある。
夜叉は。
ちらり。
フィルティーナを見る。
フィルティーナも。
ちらり。
夜叉を見る。
「……」
「……」
視線が合う。
夜叉が笑う。
「ふふ」
「どうしたの?」
「なんでもないよぉ」
「そう?」
また湖を見る。
風が吹く。
夜叉の白い髪が揺れた。
フィルティーナが。
そっと手を伸ばす。
「……髪が」
「うん?」
「絡まっているわ」
「あ……」
フィルティーナの指が。
夜叉の髪を優しく整える。
「……」
夜叉は動かなかった。
「フィルティーナ」
「なに?」
「こういうの」
「うん?」
「なんだか、恋人みたいだねぇ」
「……」
フィルティーナの手が止まる。
「……夜叉」
「うん?」
「あなた……」
少しだけ。
照れたように笑う。
「そういうところなのよ」
「?」
夜叉には。
やっぱり分からなかった。
───
夕方。
王都へ戻る道。
空が橙色に染まっていた。
夜叉は歩きながら。
今日一日のことを思い返していた。
焼き菓子。
湖。
たくさん話したこと。
何気ない時間。
どれも。
特別なことではない。
けれど。
夜叉にとっては。
全部、大切だった。
「……フィルティーナ」
「なに?」
「今日は楽しかったよぉ」
「私もよ」
「また行こうねぇ」
「ええ」
フィルティーナは頷く。
「次は私が行き先を決めようかしら」
「うん〜」
「覚悟しておいてね」
「何の覚悟ぉ?」
「……それは秘密」
「えぇ〜」
二人の笑い声が。
夕暮れの街に溶けていく。
その日だけは。
魔物も。
怪異も。
不吉な噂も。
二人の間には入り込まなかった。
ただ。
好きな人と歩く。
それだけの時間が。
静かに。
夜へ向かって流れていった。
───
— — 少し、時間を戻そう。
昼下がりの王都。
白織夜叉とフィルティーナ・ローマンは、並んで大通りを歩いていた。
「次は、どこへ行こうかなぁ」
夜叉が辺りを見回す。
「さっき湖へ行ったでしょう?」
「うん〜」
「それから菓子を買って」
「うん〜」
「昼食も食べたわよね」
「うん〜」
「……まだ行くの?」
「今日はデートだからねぇ」
「……」
フィルティーナの耳が。
ほんの少し赤くなる。
「そうだったわね」
「うん〜」
夜叉は何も気にせず歩いている。
その後ろ。
建物の陰。
「……見ろ」
レオンが小声で言った。
「見てる」
カイルが答える。
「めちゃくちゃ仲良さそうじゃん」
リゼットも壁際から二人を眺めていた。
「……あの二人、私たちに気づいてないわね」
「完全に気づいてないな」
「まあ、気づかない方がいいだろ」
レオンが苦笑する。
「今日はそっとしておこう」
「賛成」
カイルが頷く。
「俺たちは……そうだな」
少し考える。
「応援団だ」
「誰がよ」
「俺たち」
「勝手に決めるな」
リゼットが呆れた顔をする。
しかし。
誰も離れようとはしなかった。
───
「夜叉」
「うん?」
「この店はどうかしら?」
フィルティーナが指差したのは、小さな雑貨店だった。
窓辺に髪飾りや小さなアクセサリーが並んでいる。
「わぁ……」
夜叉の目が輝く。
「入ってみたい」
「ええ」
二人が店へ入っていく。
それを。
少し離れた場所から。
「……入ったな」
「入ったね」
「どうする?」
「待つ」
「待つのかよ」
「当然でしょ」
リゼットが腕を組む。
「今日は二人の休日なんだから」
「……お前、意外と楽しんでるだろ」
「何のことかしら」
「顔」
「普通よ」
「いや、絶対楽しんでる」
その頃。
店内では。
「これ、可愛いねぇ」
夜叉が小さな髪飾りを手に取っていた。
白い花を模した髪飾り。
「似合いそうね」
「そうかなぁ?」
「ああ」
フィルティーナは頷いた。
「夜叉の髪に合うと思うわ」
「……」
夜叉が少しだけ照れる。
「じゃあ……買おうかなぁ」
「私が買うわ」
「え?」
「今日の記念よ」
「でも……」
「いいの」
フィルティーナが笑う。
「私が欲しいのよ」
「……?」
「あなたがそれをつけているところを見たいから」
「……」
夜叉の尻尾が。
ぶわっ。
「……夜叉?」
「……なんでもないよぉ」
耳まで赤くなっていた。
店の外。
「…………」
三人が無言になる。
「……」
「……」
「……」
カイルが。
ゆっくり拳を握った。
「よし」
「何がよ」
「応援するぞ」
「だから何を」
「二人の恋路を」
「声が大きい」
「お前ら」
レオンが頭を抱えた。
───
夕方。
日が傾き始める。
「そろそろ帰る?」
フィルティーナが言う。
「うん〜」
夜叉は頷いた。
けれど。
少しだけ。
名残惜しそうだった。
それを見たフィルティーナが。
「……夜叉」
「うん?」
「夕食を食べてから帰らない?」
「……!」
夜叉の耳がぴんと立つ。
「いいの?」
「ああ」
「やったぁ」
「お店を探しましょうか」
「うん〜」
その二人の後ろ。
また三人。
「……夕食まで行ったぞ」
カイルが呟く。
「もう、ここまで来たら帰れないな」
レオンが遠い目をする。
「何で私たちまで付き合ってるのかしら……」
リゼットはため息をついた。
それでも。
少し笑っていた。
───
夜。
二人が選んだのは。
王都の中心から少し離れた場所にある、小さな食堂だった。
昼間とは違い。
店内は静かだった。
暖かな灯り。
窓の外には。
夜の街。
遠くに見える街灯が。
星のように並んでいる。
「……綺麗だねぇ」
窓際の席に座った夜叉が呟いた。
「ああ」
フィルティーナも窓を見る。
「ここにしてよかったわね」
「うん」
二人の前に料理が運ばれてくる。
温かなスープ。
焼いた肉。
香草の香りがする野菜。
そして。
小さなデザート。
「美味しそう〜」
「夜叉は本当に食べ物が好きね」
「だって美味しいものは幸せだからねぇ」
「ふふ。そうね」
二人で笑う。
食事を終える頃には。
外はすっかり暗くなっていた。
夜叉が窓の外を見る。
「……今日は、楽しかったなぁ」
「私もよ」
「朝からずっと一緒だったねぇ」
「ああ」
「こんなにゆっくりフィルティーナと過ごしたの、久しぶりかも」
フィルティーナは。
少しだけ黙った。
「……そうね」
「?」
「私も」
フィルティーナが。
テーブルの上に置かれた夜叉の手を見る。
そして。
そっと。
自分の手を重ねた。
「……?」
夜叉が目を瞬く。
「フィルティーナ?」
「嫌?」
「ううん」
夜叉は。
小さく笑った。
「嬉しいよぉ」
指先が。
ゆっくり絡む。
二人の手が。
静かに繋がった。
「……」
「……」
会話は。
もう必要なかった。
窓の外。
夜空に月が浮かんでいる。
夜叉はそれを見上げて。
「ねぇ、フィルティーナ」
「なに?」
「またこういう日が欲しいなぁ」
「……ああ」
フィルティーナは微笑む。
「何度でも」
「……うん」
夜叉も笑う。
「約束ねぇ」
「ああ。約束よ」
二人の間に。
暖かな灯りが落ちる。
誰にも邪魔されない。
静かな夜。
――ただし。
店の外。
通りの向こう側では。
「……」
「……」
「……」
レオン、カイル、リゼットの三人が。
完全に見守っていた。
「……手、繋いだな」
「繋いだわね」
「……」
レオンが。
少し複雑そうに。
小さく息を吐く。
「……よかった、な」
「うん」
カイルも笑う。
「俺たちの応援は必要なかったみたいだけどな」
「最初から必要なかったんじゃない?」
リゼットが言う。
「……それもそうだな」
三人は顔を見合わせる。
そして。
誰にも気づかれないように。
静かにその場を離れていった。
店の中では。
まだ二人が。
同じ月を見ていた。
――最後まで。
自分たちが仲間たちに見守られていたことには。
気づかないまま。
読んでくれてありがとう〜




